FOU’s blog

日本の大学 今 未来

さっこんの大学等でのもめごとについてどうしたものかと考えてみる1 ー若者の寮生活編ー

なんだか最近大学を中心とした教育機関関係でのもめごとがたくさんメディアを賑わせています。その中でも筆者が感じるのは寮のあり方。大学以外の施設の問題を含めなんでこうなっちゃいるのか総合的に考えてみたいと思います。話が長くなりそうなのでこちらで①ー若者も寮生活編ー、もう一つで②ー日本文化編ーとしてまとめます。

大学の寮って大丈夫?ー体育会系だけでなくみんな心配ー

疑問? どうして学生は違法薬物しちゃうんだろう?

日大さんはアメフト部、東農大さんはボクシング部、朝日大学さんはラグビー部、そして一番新しい事例では早稲田さんの相撲部の学生さんまで違法薬物で逮捕。この4つの大学の類似性・共通点を説明するのは難しいところですが、筆者なりに感じるのは、みんな私立大学、所謂成果を求められる強化指定という言葉が使われる強豪クラブ、スポーツ系入試のような特待付き入学した学生が多そう、誰かが密売人から入手し、そこから拡散、あたり。

ここも台所のゴキブリ理論で考えれば、この半年ほどの短い期間に4件の事件が明るみにでるということは、潜在的にはもっと多くの大学の寮でこのようなことが行われていると考えるべき。

違法薬物が寮内で蔓延していく理由については、数人で寝る相部屋の環境、いまだに続く日本流の先輩後輩関係、そして大学の寮管理の甘さがあげられると思います。特に私大の体育会系の寮。筆者は長く大学で働いていますが、この類の寮は働いていた大学ではみたことありません。このことについては、大げさではなく大学のあり方についての深いミゾ?が。筆者から言わせれば、どこからこんな特定の部活のため予算がついて寮が存在するのか?存在していいのか?。反対に日大さんや東農大さんのような(特に首都圏の)私大に関わりを持つ人ならこんな寮はあって当たり前のお話。このあたりはそれぞれの大学の決め事で、筆者とかがとやかく言う話ではありません。が、少なくとも大学は、このような寮をつくるのであればしっかり管理する責任が生じます。

寮内での違法薬物利用は、最初の違法薬物入手者が、個人で使用するのみならず、同部屋の学生、部活で関係する先輩後輩のルートを介して伝播いくことも十分考えられます。その流れをどう断ち切るか。特に部活の先輩から強要されて断り切れず犯罪に手を染めてしまう可能性のある後輩学生も、ある意味被害者とも言えます。とはいえ、筆者も良案があるのかと言えばありません。基本的に考えられるのは20歳前後の(部活メンバーのような利害関係の生じやすい)若者を必要に以上に一緒に住まわせないこと。仮にその必要がある場合は、(月並みですが)一人部屋を中心として、寮の管理を厳格化すること、常日頃より、居住者には社会人としてのコンプライアンスを徹底するようにアナウンスすること、寮生活・学生生活について信頼できる人物により、第三者的な立場で相談ができ、秘密が守られる窓口を設けること、くらいは最低限度のお仕事だと思います。言い方は雑ですが、若い学生を必要以上に集団で住まわせるからこんなことで苦労しなきゃいけないんです。

この項の最後として言わないといけないことは、使ってしまう学生も、大麻取締法が規制強化される中、いい年なんだから、軽いノリでやってしまうと自分の人生で取り返しのつかないことになることくらいアタマにいれないとダメです。大学としても面倒みきれません。ついでにいうと、刑法改正で撮影罪が新設され従来の法設定よりも個別具体的になり厳罰化されました。アタマの悪いスケベな学校の先生たちが毎日のように捕まっているのを反省の糧とし、学生さんたちは日ごろの行いに気を引き締めることが必要です。

学生寮の管理ってこのままで良いものか心配してみる ー特に体育会系専門の寮ー

大学の寮は、大学から遠方に住む学生への便宜として提供するのが一般的ですが、今回、薬物問題が起こった寮は、アメフトだのボクシングだのラグビーだのの所謂体育会系クラブのために設置されたものばかり。筆者の目からは、大学、(大学側の)部活の監督等の管理者、学生のアマアマな体質があるようにしか見えません。それとこの話、日大のアメフト部の寮だから生じたという事案でもありません。完全に台所のいたるところにゴキブリが見え隠れている状態ですので、同様のことをやっている大学とその寮は、総点検をすることが必要です。筆者個人的には、ドーピングの面も含め駅伝のような陸上競技を行う学生の健康管理がどうなっているのか気になります。アスリート管理がしやすいという理由だけで学生を寮に押し込み勉強もさせず運動?スポーツ?をさせるというのは国際標準からも外れています。(NCAA所属でアメフトやゴルフetcなどの競技をしている大学生は勉強時間も確保されています。)

※近々にその2部分を書きます

 

 

ヨーロッパの大学9 写真でみる東欧 ー若い人は海外へ行こうー

こちらは、西ベルリンシリーズからの続き部分。ざっくりいうと東ベルリン→チェコスロバキア(当時)→オーストリアハンガリー等々へ。整理が悪くてお見せしたかったネガが何本かがどこかに隠れていますが、改めて見つかったらブログに使いたいと思います。すいません。こちらでは大学ネタは皆無です。

(当時の)東ヨーロッパは面白い

東ベルリンではフンボルト大学の前をとおりすぎた記憶があります。そこからまずチェコスロバキアへ行きました。こちらでは、特に若い方にはそんなに古くもないけどかなり今と違うヨーロッパの様子を見るのも良い機会かもしれません。ちなみに現地で出会った早稲田大の学生によると2000人の早稲田学生がヨーロッパに来ている!と言ってました。かなり不正確で乱暴な数字だと思いますが、確かに2月から3月の西側ヨーロッパは日本の大学生の姿はたくさんでした。今の若い人たちもがんばって海外に行ってみましょう。

久しぶりにクイズQ:筆者が東ベルリンでタクシーに乗った時、ドライバーは『おまえは○○○国からきたんだろ』と言われました。さて、その国はどこでしょう?答えは一番最後で。

地球の歩き方(東欧編)は、通称『地球のだまし方』(当時)

時代は1980年代末、ソ連があって、東ドイツがあってベルリンの壁もまだありました。もちろん西ドイツ以西のヨーロッパには多くの日本人観光客がいて今とさほどかわりません。ところが東ヨーロッパは別世界。入国するにはビザを取得しないといけないし、ホテルも自由に選ぶことが出来なかった時代。だからこそ東欧を歩く際は地球の歩き方は必需品でした。当時の歩き方(東欧編)は、ソ連編が確かあったので、東ドイツ(当時)、チェコ・スロバキア(当時)、ハンガリーユーゴスラビア(当時)あたりについて全般の紹介。当時の現地情報は、実際その地を旅した人物のレポート・報告記事が多く入ってるのですが、お話したとおり、当時の社会情勢で、東側地域を旅した旅行者の数が少ないため、情報が不正確。例えば〇〇通りの3丁目の角においしいレストランがあるとか書かれていて、実際に行ってみたらそんな痕跡なしなんてよくある話。なので、東欧へ行く旅行者はしっかりしていないと生きていけません。

♪ リンゴの花ほころび ♪ Katyusha/Катюша

トリビアのお話。当時の東欧はソ連(ロシア)人がどこにでもいて幅を利かせていました。異なる国で2回体験したのですが、当時の向こうのレストランでは結構普通にバンドの人がいていろいろ演奏を行っています。そんなところで食事をしていて、お客さんの中にロシア人がいるのがわかると決まってこの曲を演奏し、拍手喝さいとなって(表向きは)盛り上がります。でも、当時でも東欧の人たちのロシア感情は良くないわけで、そんな中でのおもてなしの作法なんだなと体感。

もう一つ、ついでに詠み人知らずの小話

ソ連の政治家たちが東ドイツから列車でソ連に帰るときの会話。

政治家A 『今どのあたりを走ってるんだ?』

政治家B 『腕を窓から出したらわかります。腕にキスをしてくれたんでまだ東ドイツの中みたいです』

政治家A 『今どのあたりを走ってるんだ?』

政治家B 『腕に唾を吐きかけられたんでポーランドに入ったみたいです』

政治家A 『今どのあたりを走ってるんだ?』

政治家B 『腕の時計を盗まれたんでソ連に戻ったみたいですよ』ちゃんちゃん お粗末でした。

それでは、以下、写真ごとに解説していきます

【写真】チェコスロバキアプラハ・カレル橋とプラハ城界隈 ヴルタヴァ川はドイツのエルヴェ川方面に流れていくようです。

【写真】ハンガリー 多分ブダペストのどこか 当時のチェコスロバキアハンガリーを比べると断然ハンガリーの方が旅しやすかった記憶があります。チェコスロバキアは、街中にたくさん警官?らしい人が巡回していて暗い雰囲気。その点ハンガリーは、街の雰囲気は明るく、料理もおいしいしかった記憶が。今はどうなっているのでしょうか。

【写真】ハンガリー・ブタペストではホテルではなく、こんな感じで立ち並ぶアパートの部屋貸しで泊まりました。駅とかのTurist Informationで(バックパッカーを見たら)紹介してくれます。価格は忘れましたが非常に安価でした。確か朝ごはんも出してくれた記憶あり。もともとバックパッカーってそんなもんで、今となってはよくもまあ、こんな無計画で軽いノリの旅に出かけていたもんだと回顧する日々。

【写真】ハンガリー・ブタペスト レンタルルームのあったアパート

【写真】ブダ城 ブダ地区にあるお城。 ドナウ川が見るだけで寒そう。

 【写真】西ドイツの列車 どうやって西側に戻ってきたのかも憶えていませんが、写真をみるとダルムシュタットから西ドイツに入りハイデルベルグへ向かったようです。そういえばみんな大きめのトーマスクックの時刻表とにらめっこしてスケジュールを決めていた記憶がよみがえります。だいたい日本人は一等のユーレイルパスを買ってきて持っているのでバックパッカーの割に一等車を占拠して(多少)ひんしゅくを買ったかもしれません。

※現地で出会った手を振っている写真の彼女は、東京の(アタマの良い)女子大の人で就職内定先は(この当時で)外資系のコンピュータ関連企業。座っている女性(黒い髪だけの人)は、確か京大法で、就職内定先は、某超有名新聞社とお話していました。東ヨーロッパでは日本人旅行者がとても少ないので出会うとすぐに友だちになります

【写真】ハイデルベルグのバス停 ここでバスの乗ったときキセルチェックがあって何人か捕まっているのをみました。その時はコート姿の二人の男性が入ってきてチェック。特に旅行者は些細な金額なのでちゃんと料金は払いましょう。

答え合わせ A:答えは『あんたはベトナムから来たのかい?(原文独語と片言の英語)』でした。当時の東欧は、ワルシャワ条約機構に属し、ソ連ブロック経済圏に入っていました。東南アジアでもドミノ理論というのがあって、ベトナム社会主義国化し、その他の国も共産化しないかアメリカなんかは心配していた時代。実際ベトナムの隣国カンボジアではポルポト政権による虐殺が行われています。

そんなで、東側エリアにいるアジア系の人物をみたら多くの人は、ベトナム人とかを連想してしまうようです。なお、(多分)ドライバーさんが中国や北朝鮮ではなくベトナム人を連想したのは、筆者の顔つきの影響もあるかもしれません。※キャセイでヨーロッパに行った帰りに香港でトランジットした際、グラウンドスタッフに危うくバンコク行きに案内されたこともありました。

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日大の出来事を感じながら私立大学の有り様を考えてみる ーやはり国際感覚ゼロー2

日大アメフト部さんの薬物使用の件まだもめています。というか盛り上がっています。

みんな理事長が悪いらしい

基本的にそもそものお話は、アメフト部の寮内で麻薬片が見つかった。いろいろ事情聴取をしているとまだまだ使った学生がいるみたい、で、警察とかが捜索中。というところですが、今回の報道は、大学執行部での情報共有がうまくっていないとのことで、理事長が(アメフト問題を長引かせたとされる)理事の一人をやめさせようと動いていることについて。

で、筆者として気になる部分は、そんな理事会マターの内部情報がどんどん誰かがリークしていてそれが一部のメディアにあふれ出ていること。それを受けたメディアは、ウクライナ情勢よりもイスラエルガザ地区侵攻危機よりも、経済対策の国会審議よりも優先して流れてくること。

類似の大学に関するお話をすれば、最近、近畿大学では体育会系の剣道部の学生同士が、深夜に居酒屋で未成年学生を含めてお酒を飲んだあと東大阪市の路上で暴行を加えたことが原因で、その中の一名が亡くなる事件が発生しています(詳細は警察取り調べ中)。また、近大では、2017年にいわゆる一気飲みで学生一名が死亡しています。

筆者個人としては、体育会系ということはアスリートとして剣道やっている学生たちが、近鉄大阪線の最終電車も終わってしまったであろう深夜1時を回った時間にも関わらず大学の近所の居酒屋に集まって酒飲んでいたこと自体、どうなのかなぁ、もう昭和じゃないんだから大学生の特権みたいな意味不明な自由の謳歌は全くナンセンス。で、少なくともこの飲み会がなければ学生一名の命は救われていました。筆者としては、部活と密接に関連した飲酒事件ですから、大学としても偶然のはずみとかで片付けず、学生の飲酒についてはもっと厳しいルール化が必要。だって午前様の時間に大学生が酒飲んでいること自体異常です。

怒りの矛先は少し近大さんへ行ってしまいました。すいません。で、こんな大きな事案も起こっているのであれば、メディアの人は、近大の理事長さんである世耕さんに対しても記者会見の要求や辞職要求してもよさそうなもんですが、全然その雰囲気なし。やはり弱くて叩きやすい林理事長ばかりがターゲットになっています。特に林さんシンパではありませんが、このような報道や事件への向き合い方では良くなるものも良くなりません。

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【短編】高野山に行った話をなんとか強引に大学の国際化と関連づけて考えてみる

ほんの少し前、知人と高野山に行ってきました。このブログは、一応大学関係のことを中心に書くことを生業の基本としていますので、その視点を国際ネタを中心に強引に加味しました。なおローカルネタが多いので関西圏外の方は雰囲気でお楽しみください。

高野山への道 ー南海電車に乗ってみるー

公共交通機関で行くのなら南海電車になります。筆者は神戸からですから、まず阪神電車に乗り尼崎駅、そこから阪神なんば線経由で近鉄難波駅へ。なお、難波でおりずにそのまま乗っていると近鉄奈良駅まで連れていってくれます。

阪神電車の路線の途中には、甲子園駅阪神タイガース)とドーム前駅(オリックスバファローズ)がありユニフォームを着た人たちでにぎわいます。

近鉄難波駅から南海電車難波駅までは歩いて5分くらい。この途中の道が大変。関西空港からやってくる旅行者たちがメトロ、近鉄阪神はあまり関係なし)に乗り換えるので大混乱。南海難波駅周辺の(いわゆる)ツーリストインフォメーションも長蛇の列になっています。

南海電車は、海沿いを走り関西空港に接続する南海本線高野山へ行く高野線の2路線があります。基本的には、大阪南部から和歌山を結ぶ電車。

そんな普通で目立たない南海電車さんですが国際化の波が。2016年頃、難波発関西空港行の急行電車(関空急行)の車掌さんが、車内アナウンスで(ついうっかり)普通の空港を使わない利用者さんに対して『車内では外国人の利用者が多くご不便をおかけしています…』的なことを言ってしまいさあ大変、人権や差別を気にする人たちから怒られたことがありました(関西では有名な話)。今でもそうですが関空の空港利用者の車内マナーの悪さはひどいもんで(注:こんなネタを書くときも筆者は絶対外国人がひどい・わるいとは書きません、これがコツ)、巨大なスーツケースを通路に邪魔におくわ、シートは無駄に広く独占して電話までするわで大変な状況です。車掌さんに良くないところがあるとすれば、外国人と主体を特定してこの連中が普通のお客さんに迷惑をかけていると詫びてしまったこと。言い方的には、外国人と特定せず、『大きなスーツケースのようなお荷物をお持ちのお客様は周囲のお客様へのお配慮をお願いいたします』的なものであればそれほどもめなくて良かったんだと思います。国際化について多く情報発信している大学ですから、外国や外国人に関しての表現で大学の意図に反した非難に受けないよう言葉遣いには細心の注意が必要です。

話をもどして、難波駅から座席予約をしていた特急高野号(8時42分発)で出発。普通に行く在来線と比べ30分くらい時間が節約できます。座席の予約はweb上で簡単にでき乗車する2日前に予約したときは画面上半分くらい空きがありましたが当日は満席。見てわかる外国人旅行者も結構いました。乗り方のコツ、座席の予約は必ず進行方向右側を押さえること。この電車は山間に入ると左側は山、右側は谷になっていてキレイな景色を眺めることができます。

南海高野線は、橋本駅くらいまでは普通の通勤通学客がいますが、その先は単線区間になりカーブと標高差のある山の中へ。ホイールベースの短い車両を使っていますが、それでも走るとキィキィと車輪の泣くのが聞こえてきます。この山間には真田幸村幽閉の地であった九度山駅や名前がそれらしいので受験生に人気のある学文路(かむろ)駅があったりして眺めているだけで楽しめます。そして電車の終着駅極楽橋駅に到着。ここから改めてケーブルカーに乗り換え最終目的地の高野山駅まで運んでくれます。このエリア、標高が800メートルありますのでかなりひんやり、秋口とかは着ていくものに注意が必要です。

高野山を歩いてみる

高野山極楽橋)駅の駅前には南海りんかんバスさんの乗り場があって観光客の行きたいところにはどこでも行けるようになっています。前回は一日券を買いましたがICカードが使えるのでそちらに変更。外国人旅行者も旅慣れたものでMobile Suicaの利用者がたくさんですが全然トラブルなし。この方が運転手さんも会話の手間が省けて助かると思います。外国人の人たちでも旅行本読んで自分の力でここまでやってこれるレベルの人たちなのでしっかりしています。最近京都などの観光地では、Overtourism の話題が出てきますが、高野山に関しては地域と旅行者との均衡と調和がとれているように感じます。

奥の院

高野山に来たら必ず訪れないといけないところ。筆者のおススメコースは、バスで奥の院口駅から参道に入り、いろいろみて奥の院前から違うところへ行くというパターン。その奥の院口バス停からはすぐに奥の院へ続く参道が見えます。後は歩くのみ。日本人も含めてですが、歴史を感じさせる墓石と巨大な杉の木は、誰もが厳かな気持ちになります。この参道をしばらく歩くと御廟の入口が見え、小さな橋を渡ると御廟エリア。こちらで今でも空海さんはお元気に生活されていて毎日お食事もいただいています(お坊さんたちが一定のお時間になるとカゴに入れてデリします)。ですので、この中での写真撮影や不謹慎な行為は禁止。日本語や英語で厳しくダメですよ!の看板がたくさんありますので、みんなルールを守って参拝していました。中の様子ですが、日本のたくさんお寺の中でも格別な祈りの場となっています。

帰りは御廟から歩いて奥の院前のバス停へ。道路等は整備されていますが特に何かがあるわけでもなく、高野山全体にも京都や上野・浅草のような旅行客による大混雑はありせん。そんなで食べるところもはちようさんいれても数件のみ。これが秋の観光シーズンの状況ですので、早めの紅葉が終わり冬が訪れるともっと静けさに満ちた場になると思います。

【写真1】はちよう 奥の院へ続くバス停前にあるお店。お味はどこまでも普通です。

hachiyo.business.site

②壇上伽藍と金剛峯寺

奥の院からバスで金剛峯寺へ行くのもそれほど時間を要しません。金剛峯寺周辺のインフラも良く整備されていて、大型バスがとまれる駐車場があったりして高野山の中では一番賑やか。筆者あたりは、高野山には南海電車でくるもんだというイメージがありますが、高齢の人にはバスで運んでもらえるのがラクチンなのかもしれません。

ファミマ高野山 壇上伽藍の入口、バス停金堂前駅降りてすぐにあります。観光客が歩くエリアにあるコンビニは多分ここだけかもしれません。高野山では競合相手なし。そんなで、和食中心でしかも開いている食べ物屋さん自体少ない場所なので、特に欧米系の外国人にはありがたい存在。そのためか、for here する人たちのため、店先の駐車場をクローズして屋外にあるイートイン?コーナーを設置していて大賑わい。筆者もここでカフェラテで休憩。駐車場を開放してイス机をおいています。欧米系の外国人旅行者はサンドイッチや総菜をチンしてお箸を使って食べていました。筆者も欧米をほっつき歩いていた時は短パンでT-Shirt姿でうろうろしていましたが同じ感じ。ここもクレジットカード1枚があれば店員とのコミュニケーション不要で買い物できるので利用しやすいんだと思います。外にスペースを作らざるを得なかったのは、ファミマ側としても、これがないと食べる人が違うところに持って出ることが迷惑につながらないか考えられたからだと思います。そういいつつ、あわただしい時間帯はお昼のみ。高野山って夜になったら人影はまばら、地元の人は自宅に帰り、旅行者は宿坊で精進料理を食べてほっこりしているのが良くあるすがた。そんなでファミマさんはお昼以外はそれほど儲からないかもしれません。ここでは早めにメリハリつけて閉店した方がいいかも…。

そんな高野山の夜はどうなるかというと宿坊での滞在が今でも主流。場所的に新たにホテルや旅館はできそうにありません。宿坊は一度泊まりましたが、精進料理のよるごはん、朝はおつとめ(任意)してからあさごはんが主流。いわゆるお坊さんがお料理をだしてくれたりするのでちょっと違う雰囲気になります。最近では英語OKのお寺も増えましので外国人の方にも良い体験になると思います。

そんなで、昔からある喫茶店や食堂はあまり元気がなくてオープンしてるのかもわからないお店も結構あります。そんな中でも新しい息吹はあって天風テラスさんのような、欧米を中心とした旅行者をターゲットした新しいお店も少しはできてはいました。

天風てらす オープン前に行ったので利用できませんでしたが、良い雰囲気のお店でした。洋風のランチとかスイーツを食べたい時はおぼえておく方が良いお店です。

www.ichinohashi.co.jp

ここからが壇上伽藍と金剛峯寺。まず、ファミマを出ると中門がまず見え、その奥に金堂が見えてきます。山間という物理的な理由も含め、法隆寺とかのような対称な伽藍配置は行われていないようですが、西に西塔、東に東塔がたっていたりします。比較する話でもありませんが今現在の京都の寺社より旅行者が少ないのでゆっくり時間をかけてみて回れます。

【写真2】御社 空海さんがここにお寺を作る際、それまでこの地にあった世俗の信仰も大切にして共存するため建てた神社。日本史の教科書に出てきた神仏習合的なポリシーのようです。

【写真3】金堂 中門から入ってすぐ。大きな建物です。

【写真4】根本大塔 再建されて間もないので周囲とのコントラストが違ってきます。周りと馴染むまで100年くらいかかりそうです。

【写真5】東塔 阪神間では秋は始まったばかりでも高野山では木々の葉が少し色づいてきていました。

【写真6】金剛峰寺のお庭 蟠龍庭(ばんりゅうてい)誰かが歩いた跡が少し…

まとめ ー和歌山・奈良も魅力がたくさんー

神戸からだと、特急高野号を使っても3時間。少々時間を要しますが、欧米系の外国人の学生や研究者の方に日本の歴史・文化を知ってもらうことができる良い場所だと思います。山方面の和歌山は十津川も魅力的ですが車がないときついですがチャンスがあればどうぞ。奈良に関しては、奈良市東大寺奈良公園春日大社のあたりと法隆寺が定番となりますが、もう少し南へ行って明日香村やさらにその奥の吉野もとても楽しい場所です。吉野はどうしても桜のイメージになりますが一年をとうして楽しめます。

 

 

 

 

海外でお世話になった先生を思い出して日本の大学の現状を悲しんでみる2 ー日本の現状編ー

いろんな人の経歴を書きます。その理由・説明はあとの方で。

欧米ではこんな感じで普通

北米代表 ラマール先生

学歴:

1977-81    B.Sc. (Biology)  Georgetown University, 1981

1981-82    D.E.A. (Oceanology) Université d'Aix-Marseille II, 1982

1982-85     Docteur ès Sciences (Oceanology), Université d'Aix-Marseille II, 1985

1986-87     M.A. (East Asian Languages and Civilizations), University of Chicago                                    (Thesis: The Transaction of Language and Desire in Genji monogatari)

1987-92     Ph.D. (East Asian Languages and Civilizations), University of Chicago, 1992

職歴

1987-1988    Assistant Instructor, East Asian Civilizations, University of Chicago.

1990-1991    Coordinator, Center for East Asian Studies, University of Chicago

1992-1997    Assistant Professor, Department of East Asian Studies, McGill University

1997-2007    Associate Professor, Department of East Asian Studies, McGill University

2001-2004    Chair, Department of East Asian Studies; Director, Centre for East Asian Research

2007- 最近退職   Professor, East Asian Studies & Associate, Art History and Communication Studies

現在-  Distinguished Service Professor in the Department of Cinema and Media Studies, East Asian Languages and Civilizations, and the College

ジョージタウン大学は(ご承知のとおり)言わずと知れた泣く子も黙る超名門大学、次いでエクス=マルセイユ大学でMDを取得。ここまでは、生物学・海洋学のような自然科学系分野に関心を持っていたことがわかります。ところが1985年ごろ、何かに目覚め?源氏物語研究の世界へ。改めて(こちらも超名門)シカゴ大学でMDを取得しなおしています。(言い方には注意が必要ですが)アメリカのエリート層(知識があり裕福)の典型的キャリアとも言えます。また、ラマール先生はフランス語も普通に話せるのでフランス語圏で学ぶことも教えることも造作ないので、マギル大での居心地も良かったんだと思います。で、今現在は、シカゴ大学の特別教授(Distinguished Service Professor)。

北米では基本的に、40歳くらいまでは、いろんなところで学び、教え、それが固まってきたら固定したところ(McGill Univ.)に落ちつく感じ。

lamarre-mediaken.com

EU代表 Markus Gabriel(マルクス・ガブリエル)さん

ヨーロッパの研究者代表に選びました。筆者はあまり存じあげませんが、最近出版物、テレビで引っ張りだこの方。ドイツ・ボン大学にお勤めですが、活躍の場は世界。わかりやすいドイツ観念論の再構築(筆者はテキトーに書いてるんで間違っていたらすいません)の分野で脚光を浴びています。

※筆者が書いている出典は、以下の非常に詳細なpdf版英語履歴書Markus Gabriel (Curriculum Vitae – January 2023)から用いています。眺めていて日本人の研究者も見習ってこれくらい自分のキャリアを㏚しないといけないのかなあ、と感じるすごいボリューム。

ガブリエルさんは、人気者すぎて多少特異ですが、DAADやAvH等々の(ドイツ政府の)助成を受けているのはわかります。また、ドイツ国外でも、アメリカ、スイス、(なぜだかたくさん)ハンガリーポルトガルでも様々なポジションで活躍されていることもわかります。EU域内での活躍については、ERASMUSの影響もあるのではと筆者は推測します。オコチャマ的な物言いになりますが、日本人の先生もガブリエルさんみたいにたくさん言葉が話せたら活躍の場が広がるんだと思います。

www.philosophie.uni-bonn.de

日本代表 斎藤幸平さん

日本代表。先にお示ししたお二人のような、今現在、欧米で普通に行われている人材流動性についていける日本人の研究者は、斎藤幸平さんくらいしか思いつきません。

東大(ちょっとだけ)→ウェズリアン大学→ベルリン自由大学→フンボルト大学→カリフォルニア大学サンタバーバラ校(JSPS海特)→大阪市大→東大

簡単に言えば世界のどこでもやっていける人。筆者には、東大でポジションを得たとかでそれで終わる人には見えませんし、終わってはいけない人だと感じます。というか、このレベルで教育・研究ができ、海外の大学からお呼びがかかる日本人教員がたくさん出てこないことには日本の高等教育は変わりません。

グローバル感なし

最初に日本の先生たちの英語能力。まだ、工学系・自然科学系分野では、Nature や Science を代表とする国際学術誌への投稿のような目的をもって研究している先生たちも多いのが救いですが、人文社会科学系分野は絶望的。(少なくとも)英語で海外に研究成果の情報発信ができる人材が極端に枯渇しています。反対に言うとこのことは欧米の学生・研究者が日本に来て気楽に学んで研究する際の障壁にもなります。日本人でもノーベル文学賞を受賞したり、毎年期待されている人がいることを見ても、文章の多言語化により海外の人に良いものを知ってもらうことがとても大切なことがよく分かります。だって英文学や英語学教える先生まで日本人である必要はありません。前世紀(1990年代)の文部省・文部科学省の資料を眺めていても国際化の進展なんて言葉は今と同じような調子で書かれています。例えば、これをクイズにして『この国際化に関する文書は1995年のものですか?2020年のものですか?』と出題したら、たくさんの人が不正解になる難問になりそうです。で、結局のところ、同じことを繰り返し停滞しているのが日本の大学の姿。

もう一つのポイントが教員の人材流動性。欧米の基本パターンは、40歳手前までは、様々な大学でキャリアを積み、それ以降は、安定したポジションで教育研究を行うのですが、日本の場合は、どこかでポジションを得たらそこに固執流動性はなかなか起こりません。筆者が考えるその理由は、①大学で働くことを雇用の面(職を奪われる)で捉えがち、②違う大学へ移るにしても私大を中心とした大学間の教育・研究環境のレベル差への懸念、あたりの影響が大きいのではと感じます。以下のとおり文科省も昔からいろいろやってはいますが、代わり映えなし。

まとめ

言いたいことは、(ホントいうのも恥ずかしいのですが)日本の大学・大学教員の国際的な孤立。英語が話せないことは、英語が話せない英語教師が教える初等中等教育時代の英語授業の影響もありますが、大学教員の英語による情報発信能力のアップは(これもいまさらですが)急務。大学関係者がTHEのような国際大学ランキングを気にするのであれば、そもそもレベルでの英語の学術論文作成の強化、教えている教員自体が日本国内だけではなく、海外の大学でポジションをとり活躍できる仕組みづくりがこちらも急務。でないと、日本の大学の国際的地位は低下するばかり。今さらですが、明治時代、船に乗ってはるばる海外へ行き、西洋の知見を持ち帰って人たちもたくさんいたのに、今の日本の現状は悲しくなるばかりです。www.mext.go.jp

www.meti.go.jp

www.mext.go.jp

https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu10/002/shiryo/__icsFiles/afieldfile/2018/08/13/1408158_4_1.pdf

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神戸市さんが王子公園駅界隈に大学誘致したのが今後どうなるのか考えてみる5

王子公園再整備基本計画の進捗で、神戸市さんから新たに【王子公園再整備基本計画(素案)【全体編】令和5年9月】の発表がありました。大学以外の部分が中心ですが、それでも筆者は関学さんへの心配の度合いが増していきます。

基本計画(素案)での大学のかたち

そもそもですが、神戸市さんのプランは、今の王子公園をどうするかというと、公園機能の向上、動物園の近代化(SDGsを考え動物福祉に留意して動物収集をおこなう)を目指しているように感じます。そして大学の招致。

また、神戸市側からの目線による大学イメージも記されています。基本的には、とても総花的。書かれている言葉でいうと、地域、社会、世界について配慮したキャンパスをつくること。そして、神戸市民・近隣住民への貢献も重要項目。大学が何をやるかのコンセプトはイノベーションアントレプレナー(シップ)が中心のよう。そして建物の色はアースカラー(ミント色?)にすること。

この文書を作った人は、多分、大学・教育・研究関係のHPをググりまくり、それらしい言葉を見つけたんだなあ、と、ある意味感動する立派な書きぶり。

そんな出来上がる大学像は、大学でない神戸市側からはある程度踏み込んで書くことはできますが、今の段階で大学側が『○○学部を収容定員四千人で作ります!』なんてことは口が裂けても言えません。その理由は、MEXTの承認を全く得ていないから。(どこかの大学が次年度開講の新学部をつくるPRをする際は必ず『設置許可申請中』の言葉を必ず入るあるアレ)。その中で、神戸市からは、あ~しろこ~しろの要請がどんどん出てきて、関学さんとしては大変です。

前回も書いたとおり、アントレプレナー(シップ)に関する教育研究は、経営学部・研究科であったり、社会人大学院、特にMBAコースとあたりでは、必須科目として行われていますが、アントレプレナー(シップ)主体の教育というものはあまり見えてきません、イノベーションについても同様。こんな感じの漠然としたイメージの中、市と大学とがキャンパス作りを進めることになるので実務段階に入るともっと考え方の相違が露呈してきそうです。

で、今さらとそもそも ー筆者の雑感ー

どうもこのお話、勢いでいろいろが決まってしまったようで。漠然と景観優先で高さ制限等の条件がたくさんある公園内に、何を教えるかすらもわからい収容定員四千人想定の新キャンパスをここ数年で作れるのか?、世界にどう広がる・つながるとかのとりくみも見えてきません。

で、そもそもですが、それなら最初に筆者が書いたように新設する動物園と接点をもつ獣医学部を単体で設置する方が意図が分かりやすくて良かったかもしれません。もしくは、神戸大学医学部の附属病院や研究センターの新設であるなら反対する人も少なかっただろうにと未練がましく感じてしいまいます。今さらこのタイミングでは、覆水なんちゃらで仕方ありません。

今後は、関学さんの発表待ち。良いアイデアを期待して待つようにします。

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【答えあわせと今後】令和5年度「人文・社会科学系ネットワーク型大学院構築事業」の募集情報をもとにいろいろ考えてみる3

遂に9月19日付けで、選定結果が公表されました。当初より公表が遅れた理由は、選定に関する委員会が、諸般の事情でずれ込み9月11日になったからのようです。で、筆者のがんばった予想は散々。このことで反対に選考する側の意図が見えてきたように感じます。

採択された大学の傾向

筆者の予想の基本は、申請大学も連携大学もそれぞれで大学院教育がある程度充実していることを重視し、事業が円滑に進むことを考えました。その考え方がそもそもの間違い。どちらかというと、この事業を行うことにより課題解決を行う取り組みに期待をかけているのだと感じます。ですので、ここでは、大学院が充実している東大と京大あたりが連携して何か行うことより、うまくいっていない大学院を連携させ活性化する取り組みの方に期待しているのだということ。そのため、申請大学の中に旧帝大の名前はありません。

一番典型的な例として、龍谷大学さんの申請。琉球大学さんはともかくとして、龍谷大学さん京都文教大学の大学院教育って(正直言って)かなり未知数。これまでの常識?ではとてもとてもと思っていました。そんな三大学が連携して、新たな知を提供することにより大学院の機能を活性化させることに主眼をおいたものだと筆者は勝手に得心しています。また、申請本体の企画も良い書きぶりだったのかもしれません。

他に筆者が低評価して採択された、茨城大学さん、大阪公立大学さんにも一定の傾向があります。龍谷大学さんの時と同様、連携大学の中に大学院としては未知数の大学が必ず参加していること。このことからみてもこの事業を実施する上での意図が見えます。

反対に不採用になった金沢大学さん、大阪教育大学さんの取り組み。特に金沢大学さんの申請は、タイトルを読む限り、魅力的で良い成果が出るように感じていたので残念。申請書の中身の問題でしょうか…。

今後どうなる

どこかで習いましたが、この手の選考では、応募者する側の意識として、倍率三倍を超えると応募意欲が低下する傾向があります。反対に倍率が低いと成果を見込めない申請まで採択する可能性が高まります。今回の選考委員会のコメントの中にも記されているとおり、募集期間が短かく、そのため応募件数も少なく、応募8件の中から5件を採用するというかなり甘めの選考となりました。採用された5大学は、新規事業で先例がない中、成果を出せれるよう頑張らないといけません。

事業が動き出すと、当然、大学院の事業ですので、Mは標準修業年限2年なので学生はすぐに入れ替わる、Dは博士論文の作成を複数大学院でどのようにケアするかがポイントになると思います。どちらもスピード感が大切。そのため開始年度よりしっかり出さないと、次年度交付金の減額もありますのでかなり大変。(余計なお世話ですが)特に龍谷大学さんあたりは、外部資金の執行とかの経験が乏しいと思いますので、注意が必要だと感じます。

最後にいくつか

この事業の取り組みは、①学部学生に大学院というところに興味をもってもらい、②自らの大学院では足りない部分があれば他の大学院と補完・連携をし、③大学院での情報発信を活発化させて学生の就職機会の提供を増やしていく考え方だったと思いますが、筆者的にはどうなるかよく見えてきません。ですので、『やってみなはれ』で頑張っていただき、どんな成果が出るのか楽しみに待ってみるしかありません。また、このテーマの最初にも記しましたが、このような学部持ち上がりの学生への事業とともに、学びなおし・リスキリングのための社会人向け大学院の充実、特に博士学位の3年取得の促進等々も同時に行う必要を感じます。

(月並みな表現ですが)大学院改革は待ったなし、何でもかんでもできることは挑戦していかないと世界からどんどん取り残されていきます。

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