FOU’s blog

日本の大学 今 未来

ヨーロッパの大学 パリ北駅にて

かなり時を経ましたが以下はパリでの出来事。筆者は夏休みをフランスで過ごしていました。行った先はうつろになってきましたが多分南仏のニースかマルセイユに入ってパリから帰国するルートの途上。この日のスケジュールは、国鉄SNCF(もしくはRER)でパリ北駅Gare de NordからシャンティイChantilly-Gouvieuxまでいくところ。パリ北駅はその名のとおりパリから北方面への玄関口、シャルル・ド・ゴール(CDG)空港へ行くとき、長距離国際列車なら、ロンドンやベルギーに行くときにお世話になります。この日行ったシャンティイ駅はローカル線で30分足らず場所。多くの観光客は、とても美しいシャンティイChâteau de Chantillyを目指すのですが、筆者が行ったのはシャンティイ競馬場Chantilly Racecourse とお隣ある馬事博物館Musée Vivant du Cheval。この競馬場はとてもローカルな雰囲気で緑の木々の中に小さなスタンドと芝生が拡がる感じ。周辺エリアもパリ市内と違ってゴミゴミしてなくて少し田舎のフランスを感じることができます。本題とかなりそれてきましたのでその時の出来事。

http://www.ville-chantilly.fr/

【写真】こちらはパリの競馬場 ParisLongchamp racecourse 名前のとおりパリの西地区ロンシャンにあります。大きなレースがあるときはメトロポルトマイヨPorte Maillot駅から無料バスがでています。

France Galop(フランスのJRAのような組織)http://www.france-galop.com/en

f:id:FOU:20201230140555j:plain

パリで出会った日本人研究者のお話

話を戻してパリ北駅での出来事。そのシャンティイへ向かう車内。始発駅のパリ北駅に乗り込み発車を待っていると筆者の後ろの座席にアジア系男性2名(一応Aさん・Bさんとしておきます)が乗り込んできました。お二人は日本語でお話をされそれを聞いている(聞こえてくる)限りお一人(Aさん)はパリのどこかの大学・研究所で研究しているご様子。そして彼らの会話内容はこんな感じ:

Bさん『お久しぶりですね。お元気にしていますか?』

Aさん『いやあ元気は元気なんですけどね。やることがなくて』

Bさん『どうしたんですか?』

Aさん『研究室の人たちとうまく行かなくて、予定していた研究もさっぱりで…』

Bさん『それは大変ですね』

Aさん『そうなんです。あと半年いないといけなくて。帰国したときの報告書は適当に書いときゃいいのですが…』

こんな話を延々15分くらい続けて筆者より先にお二人でどこかの駅で下車しました。筆者は彼らの行動を考えてみました。

注意力が散漫、パリの在来線とはいえお隣にアジア系の人間が座っていたら日本人かもしれない、聞かれたらまずい話は場をわきまえる、程度の想像をしておくべきでした。運が悪かったとすれば、その日本人の中でも筆者のような人物の後ろに座ってしまったことかもしれません。結論とすれば、そういう注意力がないから自分たちでも忘れてしまった頃にブログネタにされてしまうことになってしまいます。

会話の中で分かったことは、Aさんは多分、中国地域の国立大学の教員であること、その研究分野は化学・生物系あたり、なんらかの理由で在外研究員・サバティカル的なポジションを得て1年程度フランスのそれなりの研究施設で(一応)研鑽を積んでいたご様子。もう一人のBさんはそのAさんを訪ねてきた知人の研究者ではないかと推察されます。(散々書いていて説得力に欠けますが)海外でのミスマッチは研究者でも民間企業の人でも、もちろん学生さんでも起こりうること、なので起こった事象を責めて批判するだけでなくその良くない状況をどう打開していくかが大切だと感じます。でないと残った時間がとても無駄です。仮に筆者が同情するなら英語圏でも研究室内でのコミュニケーションは難しいだろうにフランスへ行けば尚更のこと。もちろんフランス側の受入れ機関にしても日本人研究者が憧れて行くレベルの機関なら多くのスタッフは英語は話せるでしょうが、全てをことを英語で済まそうとする訪問者がいたとすればかなり邪魔くさい存在になってしまいます。

筆者がヨーロッパで行ったことのある場所は、フランス、イギリス、ドイツ、デンマークスウェーデンetc。そのあたりの大学事情等々を数話にまとめる予定です。

 

 

 

 

 

 

 

甲南大学 荒勝文策先生の系譜と今 未来

It makes a difference between universities な甲南大学

甲南大学の研究力と人脈のお話。荒勝先生がいたころから続く京都大学との良好な関係を考えてみます。 特に近年、以下の女性お二人の活躍は(大学受験生たちは知らないでしょうが)関西の中堅私立大学の教授としては(良い意味で)身分不相応な?なことが起こっています。

甲南大学の学長と他の学長を比べてみる 

 関学、関大、卒業生が学長に。そのまま他機関での経験もなくそのまま学内でのキャリアパスにより学長職までたどり着いています。他の方もそれぞれに魅力な学長さんだと思います。そんな中、甲南大学の2020年度から学長さんをやっている中井伊都子さんは京都大学法学部卒、ご専門は国際法学(国際的な人権問題の研究)。で、この人は別の大切なお仕事を拝命しています。それが国連人権理事会諮問委員会(Human Rights Council Advisory Committee)委員(2019年~)。この委員会は国連人権理事会への助言を行う非常の重要な機関で国連加盟国から18名選ばれたうちのお一人であり日本代表。通例で2期務めるようですので2025年あたりまでこの職につきます。また、学長就任時年齢が55歳とかなり若めなのでその後もいろいろ要職にに就くことが可能。それまでのお二人は神戸大学名古屋大学の出身者から選ばれていますので甲南大学法学部勤務の教授が選ばれること自体異例。関関同立産近甲龍の中には法学部自慢の大学がいくつかあったりしますのでこれは大きなインパクトを与える出来事だったと思います。

https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinken_r/hrcac.html

https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/AdvisoryCommittee/Pages/Members.aspx

もうお一人は科研費政策に尽力

もうおひとかたは西村いくこさん、ご出身は阪大理ですが、その後は長く京大理で教授をやって荒勝先生のように席を甲南大に移します。植物の分子生物学のフィールドで非常に著名、それは十数年継続して研究代表者として基盤研究(S)や(A)クラスの科研費が採択され続けていることでもわかります。そして西村先生も中井先生も同様別のお仕事で存在感を示しています。それは科研費関係のお仕事、日本の文科省予算から交付される年間二千億円を超える科研費日本学術振興会が実質的に事業の全てのプロセスを担っています。審査の方法は、だいたい書面審査(ピアレビュー)で絞り込み、その中から専門的な知識を有する人たちが会合(合議審査)して最終決定していきます。(国際関係の事業は別に国際事業委員会という別の枠組みで決めることもあります。)全ての審査をする人は同じフィールドかつ中立的立場ので研究者が行う仕組みになっています。(例えば東大の先生からの申請なら東大以外の研究者が複数(だいたい6名)で審査します。)科研費はこのような仕組みで多くの審査を行う必要があるので巨大なデータベースの中から毎年7000人を超える研究者を選考し委嘱して審査体制を整えています。そのような仕組みのおおもとを担っているのが学振内にある学術システム研究センター(この組織自体も130名超の研究者の集合体)。その副所長をしているのが西村先生。学術システム研究センターには個別の科研費への審査権限はありませんが、このような巨大な科研費審査の公正で透明性の高い制度設計と見直しを継続して行うことに尽力されています。このような立場の人が(東大京大ならともかく)甲南大学にいることが自体が異例ということで、かなりご高齢なのに学長直属(特別客員教授というご身分で今も卒業(退任)できず?にがんばっていらっしゃいます。

興味のある人は、日本学術振興会→科学研究費補助金・学術システム研究センター でみてください

科研費のことは常勤の大学事務職員の人でも『知っている人もちょこっとだけ知っている』程度、詳しく分かっている人はほんとに少数。大学関係のブログでも話題にもなりません。日本の大学においては外部資金(と国際交流)のことをちゃんと知っている職員の養成はとても大切なことと感じます。

【写真】JSPSの入口    昔は千代田区一番町にあったのですが今は少し移転して麹町の綺麗なオフィスビルを使っています。JR四ツ谷駅に近い新宿通沿いでご近所には上智大学さんやホテルニューオータニさんがあるところ。また、よく学振がらみで会議を行う弘済会館さんもお隣になり便利になりました。

f:id:FOU:20201221225144j:plain

お二人の様々な場での影響力を考えてみる

 まず中井学長、国連からどこにでもいける青いパスポートをもらえます(まあ国連職員ですから)。外務省へいく際、中に入るには手荷物検査場があってセキュリティチェックがあるのですが、アポさえいれてればスタッフがまっていてくれて顔パスで中に入れます(多分)。対応者も課長級以上、政務官さんや副大臣さんあたりともお話が可能な立場。また、法務省内閣府あたりともルートができていそう。大学関連なら海外の大学相手に国連人権理事会諮問委員会委員の肩書きを使えることも大きなメリット。この肩書きに敬意を表さない国・大学はありません。なお公平性を担保するために言うなら同志社大も中井先生とタイプは異なりますが女性学長が就任されています。ダイバーシティSDGsという言葉が認識され実践しないと行けない時代になり、特に大学はその象徴となり得る存在と言えます。こうした(学内で女性が活躍できる)風通しの良さは大学の運営・評価が高まる理由の一つと(筆者はオトコですが)感じます。 

西村先生は、とりあえず学振内に自分のイス机があります。学振と文科省は友好関係にありますので、研究振興局や高等教育局あたりに行くことがあったとしたら(多分)課長級以上が応接室で対応してもらえます。(私大の学長ご一行が文科省へ行っても待たされたあげく係長あたりの職員がざわつく課内の書類山積みのミーティングテーブルで短時間お話ししてサイナラというのはよくあることです。)また、国内の大学や理研産総研のような機関とも密接なお話が可能。また海外の学振同様のファンディングエージェンシー、NSF、CNRS、The Royal Sosiety、AvH等々とのパイプができることも甲南大学にとってもメリットの大きな話だと思います。 

今回の挙げたような関西圏の私大で働く女性研究者が日本の中枢で活躍できていることは、日本の教育・学術研究においても非常に良い出来事。いかに研究業績が優れていても、旧帝大出身のおじさまが中枢にいると『ああ~やっぱり…』的なイメージになるので、女性で、(これまでオトコ中心の)自然科学系の分野で、なおかつ名もなき中堅私大で、働く西村先生という存在は、現在の社会的要請の象徴として受入れ易かったのかもしれません。これは中井学長も同様です。また、甲南大とは直接のご縁はありませんが、関西圏がらみでいえば学振の監事をしている小長谷有紀さんも京大文ご出身で長く大阪の民博(万博公園太陽の塔のあるあたり)でモンゴル研究をされている(知る人ぞ知る)方。京大にゆかりがある女性たちの活躍というのは、何かのキーワードになりそうです。 

二つ偶然は続かない

若い人には気難しく冗長なお話を書いてきましたが、結びとして、このような文化があるところが甲南大の特色。このお二人を考えるにつけ関関同立あたりの重厚長大な大学たちとは異なる大学作りが行われている証左と筆者は考えます。そうでないとこのような役職につく人物が突如のラッキーで二人も現れることはありません。どうも関西圏での評判『甲南大の学生はおぼっちゃまでチャラい』というのは多少正しい気もしますが、大学本体と教員組織は真逆で非常にしっかりしている印象。筆者的には大学経営上採算性の高くはないと感じる、知能情報学部、マネジメント創造学部、フロンティアサイエンス学部のような(良い意味で)小粒で専門性の高い学部をキャンパスを含めて(西宮・ポートアイランド)作るところがチャレンジングに感じます。(北米の大学のHPをみればよく分かりますが(例えばグロスで)単純に1学部600人募集するのではなく、学ぶ学生へ様々なニーズにこたえられるよう多彩なプログラムを提供する方式の方が好まれています。また、一部の大学に見られる人件費抑制のため、定年退職したおじいちゃん教授ばかりを再雇用するようなことにも依存せず、京大を中心としたやるきのある若手の教員で固めていることも教育の質を高める要因になると感じます。

 京大との良いパイプ

 増井先生が甲南大にいた時代は、甲南大学で働くということは京大の研究者としては、即ドロップアウトした存在と見られていたのかもしれせんが、現在はそうでもありません。大学院重点化以来、京大など旧帝大においても、優れた研究をしていても自分の研究室から出て行かないといけない研究者が必ず出てきます。そのような研究者の受け皿として甲南大があるということは決して悪い話ではありません。実際、甲南大では文系・理系を問わず京大出身者が多くを占めています。教育研究のレベルで京大と友好関係にあることは教育の質を維持するためにも非常に役立ちます。

最近大学を選ぶ際気になること

予備校を中心とする受験産業界。一例をあげれば『(長年の研究でお魚の養殖がうまくいった大学があったとして)その波及効果で大学の偏差値が上がり受験生が増え上位大学に肉薄』的な分析を、特定の私立大学だけを切り取り(たかだか予備校模試に依存する程度の)エビデンス不明の偏差値情報に、したり顔の自称受験評論家が今年の受験傾向を占なうなんてなんて(韓国あたりはそんな傾向がありますが)北米・欧州の大学関係者にとてもとても恥ずかしくてお話できません。話は過去に遡りますが、筆者が大学受験をしている頃も首都圏の私立大学を中心に学部名に『国際』を付けるだけで集客を狙う大学がたくさん出てきている時機がありました。どうも日本の私立大学は未だ内向きでローカルネタと正体不明のメディア戦略で学生を集める性癖が続いている気がしてなりません。

筆者個人的には、関西圏の人たちはこのような偏差値序列の先入観から脱却し、関西以外の人たちは4年間過ごすには、とても楽しい阪急岡本界隈での生活を夢見て受験してみるのも良いと感じます。

甲南大学さんで回り道しましたが、このあともう少し海外の大学事情を考えてみます

 

 

 

 

 

 

甲南大学 荒勝文策先生の系譜を感じてみる 下 増井先生日本へ

下では甲南大学の研究力のお話をいくつか

荒勝先生と増井先生の出会い

増井禎夫(ますいよしお)という先生は、荒勝文策先生と同じく京大理学部のご出身、ただしフィールドは生物学。年齢が40歳ほど離れていますが(多分)京大入学が1949年だと思いますのでかろうじてキャンパス内をうろちょろ歩く荒勝先生の姿を見かけていたはずです。また、荒川先生も増井先生のお顔を知っていたかもしれません。そして荒勝先生は1950年に京大を定年、そのまま甲南大学の学長に就任します。増井先生はもう少しお勉強を続け1955年に修士号取得。そのまま甲南大学理学部助手として職につきます。そういうことで、お二人は、甲南大学で再会しました。そして増井先生は、少し時間をおいて1961年には京大で博士(理学)をもらっています。仕事をしながらなので、論文博士での取得かもしれません。

増井先生アメリカへ、そしてカナダへ

1965年、増井先生は、助教授に昇進、でもあっさりと1966年にはアメリカへ。研究留学に行った先はイェール大学。Webで見つけられる記録はこのあたりまでなのですが、筆者的に不思議と言うか増井先生の非凡さを感じるのとして、なんで日本の名もなき大学の30半ばの助教授が天下のイェール大学で研究のためのポジションを得て、3年後にはトロント大で助教授となって研究の地盤を固め成果を出せたのか。北米での増井先生の研究は、細胞生物学というフィールドでカエルの卵を中心にして細胞の周期を進めたりする物質の解明を進めたこと。増井先生が報告したカエル卵抽出液frog egg extract はそれ以降の分子生物学の解明に大きく貢献したとのこと。(書いててもよく分かりせんが典型的な基礎科学の世界のようです。)

まとめが多少早いですが、増井先生の研究は北米でも高く評価され、その功績により二つの大きな国際賞を受賞します。機会があればこのようなBrain Drain(頭脳流出)については、エラスムス計画(The European Community Action Scheme for the Mobility of University Students : ERASMUS)のお話をする際にでも考えてみたいと思います。

1992 ガードナー国際賞 Canada Gairdner International Award https://gairdner.org/

1998 アルバート・ラスカー基礎医学研究賞  http://www.laskerfoundation.org/awards/

両賞とも年間数名が受賞する世界的に著名な医学賞で、2000年代に入ってからは、山中伸弥先生、森 和俊先生(京大:毎年ノーベル賞が期待されている)、他にも阪大の審良先生、東大の大隅先生(ノーベル賞受賞済み)などが受賞しています。

Yale University https://www.yale.edu/

University of Toronto  https://www.utoronto.ca/

増井先生、甲南大学へ里帰り

研究の場をカナダに移し数十年。増井先生は再び甲南大学を訪れます。これは増井先生が平成14年度日本学術振興会(学振・JSPS)が行う外国人著名研究者招へい事業で採択されたから。この事業は、海外で著名な研究業績を有する研究者を日本の大学等へ招へいすることによりその機関の国際化と学術の進展を計ることが目的。この年度は他に3名の研究者が採用されていてそれぞれ東大、京大、名大から招へいされています。この事業は、学振の外国人研究者の日本への招へいを促進することの一環でPD(ポスドク)レベルから中堅、優秀な研究者とおおよそ3カテゴリーに分け行ってきました。この最上位の招へい事業は十数年続きましたが、現在は、外国人招へい研究者(短期)と呼ばれる事業に引き継がれています。増井先生の場合は指定された約1年の間に3回に日本とカナダを行ったり来たりをして、そのうち半年は日本に滞在。その間に甲南大学においては学生に対して教育の立場から、先生たちとは様々な共同研究を行いました。同様に、国内の多くの研究機関も訪問、北から北大、東大、東工大、慶大、神大理研(神戸)、山口大、九大、熊本大etcで講演、意見交換を実施、この分野での学術の進展に協力してくださいました。

JSPS 外国人著名研究者招へい事業 https://www.jsps.go.jp/j-awards/index.html ※詳しく書かれていてオススメですがデータが古いので確認されるならお早めに。

ちなみに約15年続いたこのプログラム、結局50名近くの著名な研究者を日本へ招へいしましたが、その間に関関同立産近甲龍の関西私立8大学のうち他に採択された大学は甲南大学の増井先生先生と立命館大学さんからの1名のみ(ケンブリッジ大(インド国籍)・ノーベル経済学賞受賞者)。その他は国立の常連校がその大半をしめています。外部資金(科研費)の応募は、なかなか大学受験偏差値どおりにいきません。しかし、このプログラムはかなりオープンかつ単純なもので、海外の有名な研究者を日本に呼んでそのインパクトを学生への教育と国際共同研究の発展につなげるというもの。基盤研究のようなこれまでの研究経過と実績がものを言うタイプの科研費と異なり、さほど科研費実績の目立たない大学であって良いアイデアがあれば応募して採択できそうなプログラム。そして甲南大学は応募して採択されました。また、そもそもですが、科研費を中心とする外部資金というものは申請ベース。筆者は、増井先生の場合、京大から応募してもかまわない応募を甲南大学から行ったことに価値を感じます。(善し悪しはありますがこのような招へいを旧帝大ばかりでやるのではなく甲南大学のような中堅私立大学から行ったことに意義を感じます。)

長くなってしまいましたが、以上はささやかな一例。このあたりが甲南大学と他の大学と違うと筆者が感じるところ。特に2000年代に入ってから(大学受験業界の人は気づかないかもしれませんが)現在に至るまでも大学としての良い進化をしています。

次項で現在の気になる人物お二人を紹介してみます。

f:id:FOU:20201217004221j:plain

 

 

 

甲南大学 荒勝文策先生の系譜を感じてみる 中

では関西私立大学での甲南大学の立ち位置を筆者の視点で評価してみます

今の甲南大学 関関同立産近甲龍

関西圏での大学受験業界では、一般的に関関同立と呼ぶ4大学とその一つ下位にある産近甲龍と呼ぶ4大学があって~というカテゴリー分けが通説化されていて、高校生もその家族も高校の進路指導の先生も含め『そんなもんなんだ』と理解しています。しかしながら、筆者のような私立大学以外の高等教育(その中でも大学院教育・国際交流・研究支援あたり)で飯を食ってきた者にとってはどちらも大して差がない存在にしかみえません。一例をあげれば研究力、外部資金となる科研費の中でも、もっとも基本的な基盤研究の受託件数、JSPS特別研究員や同外国人特別研究員の採択数なんて、京大阪大はもとより神戸大学にもその数値は遠く及びません。

それでも、そんな筆者にランク付けしろとどうしてもという言うのであれば、関関同立なら同志社(まあまあ)→関学・関大(同じ)→立命(いくな)、産近甲龍なら甲南→京産龍谷(同じ)→近大(いきたけりゃどうぞ)の感じ。その理由はそもそもの話に立ちかえり、ちゃんと大学が学生に教育を提供できていて、先生がちゃんと研究して成果を出しているかがポイントに考えるから。まずでは教育環境について、研究環境についてはで書いてみたいと思います。

 【写真】2枚とも正門周辺、コロナ対策で一方通行の制限を行っていました。学生も不要不急の登学の制限があるようでまばら。

f:id:FOU:20201124234642j:plain

f:id:FOU:20201124234916j:plain

甲南大を推す理由 少人数制

関関同立の学部毎の学生数は大体3000人規模、甲南大は1500人台。なお、首都圏に行くとさらに巨大な学部もあったりします。そんな大学では講義室もバカでかく300人あるいは500人以上収容できる講義室がたくさんあることをHPで(自慢げに)見せてくれたりしています。規模の大きな大学なら人気ある科目(いわゆる楽勝科目)の履修登録者数が1000人超えでも(全員出席しないことを見越して)300人部屋を割り当てるような愚鈍なご都合主義をやっていたりします。演習と語学系科目を除けばほぼ全ての科目をこの調子でやって卒業させてしまう日本の私立大学の異常性については多くの人たちに気づいてもらいたいところです。

海外に目を転じれば、北米の大学でも大教室はもちろんあります。筆者自身も大学に階段教室はあってもよいものだと思います。アメリカの場合、結構意外になりますが、高等教育の主体となる州立大学の方が公的な社会的要請もあって学生の受入れは多め。反対に私立大学の方が(高い授業料を学生に求めている責任もあり)入学者の絞り込み行っています。いずれにしても日本の私立大学のようなことはやっていません。カナダについても高等教育はほぼ全てが州の仕事ですから公教育的な歯止めがきいて学生の受入れが極端に多くなることはありません。

参考:アメリカUCBerkeleyの場合https://admissions.berkeley.edu/student-profile

日本の(私立)大学に話を戻すと、なんでこんなことになってしまったのか?その理由の一つは、1960年代から1980年代まで続く極端な大学の入学定員の拡大を主として私立大学が請け負ってきたこと。その負となる出来事が、日大紛争から始まる学生運動の要因の一つとなりました。戦後の高度経済成長期の日本社会の縮図で興味深いことが多いのですが、どんどん脱線しますので、機会があれば別のところで。以下、参考となりそうな資料をいくつか。

文部科学省HP : (リンクなし) トップ > 白書・統計・出版物 > 統計情報 > 文部科学統計要覧・文部統計要覧 > 文部科学統計要覧(平成30年版)>11 大学内(excel)→過年度は5年刻みですが状況はよく分かります。

資料7 高校教育及び大学教育との接続の現状(3/5) (mext.go.jp)pdf file

高学歴社会の大学―エリートからマスへ (UP選書)

おさらいとなりますが、高等教育をやっていて、学生数が多い授業から生じる弊害は山ほどあります。その一番は座学となって一方通行の授業となること。場合によっては、教える側も学ぶ側も一度も目を合わせず言葉を交わさず、それでいて定期試験をやれば単位が転がり込んでくるような高等教育をやっているのはG7諸国では日本だけ。真面目に大学で勉強をしたい人には偏差値の高低に関わらずこの日本独特の授業スタイルはオススメできません。蛇足ですが、首都圏にある日本ではトップクラスの私立大学の(アメリカ留学経験のある)総長は『世界でトップクラス』の大学を目指すことを標榜していますが、そのためには、数が力ではなく、入学定員の適正化がその近道になると感じとってもらいたく思います。

そんな日本の私立大学の中で、甲南大学各学部の入学者数はそれぞれ400名未満に調整されています。これまで定員の増加をしてこなかったことはオトナの諸般の事情もあったことも想像できますが、結果としてミディアムサイズの総合大学としての個性を出すことができ他の大学との差別化を図ることができていると思います。

 

 

fou.hatenadiary.jp

 

 

 

 

 

 

 

 

甲南大学 荒勝文策先生の系譜を感じてみる 上

荒勝先生のお話をしましたのでそのつながりで日本の大学を久しぶりにご紹介。荒勝先生は京大退官後甲南大学の学長を長く務められました。写真のいくつかは最近撮影したもの。

甲南大学阪神間モダニズム https://www.konan-u.ac.jp/

【写真】甲南大学の北校舎 神戸は坂が多くここまで歩くと息が切れます

f:id:FOU:20201115222400j:plain

【写真】1枚目、2枚目 甲南大学の最寄り駅は、阪急神戸線岡本駅。神戸三宮駅から大阪梅田駅まで続くこの路線は関西でも有数のお金持ちエリア。甲南大学のある岡本駅エリアも有数の高級住宅街として知られています。東京の人になにげに説明するなら成城学園前駅とその周辺に急坂を足した雰囲気だと思っていただければ良いと思います。また、岡本駅は、甲南女子大学(今は甲南大学とは別法人)と神戸薬科大学の最寄り駅でもあります。なお、阪急岡本駅の数百メートル南側にJR摂津本山駅もあり、京都方面や新幹線でJR新大阪駅から来る人にはJRの方が便利かもしれません。

f:id:FOU:20201117084031j:plainf:id:FOU:20201117084241j:plain

【写真】フロイン堂 岡本駅から甲南大学へ向かう途中にあるパン屋さん。ブーランジェリーブームで、なおかつ、その中でも激戦区といわれる神戸において、誰もが敬意を示す老舗中の老舗のお店。1932年創業、今でも全てのパン作りの行程を手作業で行い窯焼きする食パンは吉田茂宰相も愛したとのこと。(詳細は『フロイン堂・岡本』あたりでググればいくらでもでてきます。)

f:id:FOU:20201115230354j:plain

甲南大学という大学の有り様を示すものとして、岡本駅から甲南大学へ道のりもあります。だいたい普通の大学なら、最寄り駅から大学正門に行き着くまで、ごちゃごちゃした学生向けの飲食店やカラオケ店があるもの(阪大なら石橋駅界隈、関大なら関大前駅界隈、近大なら長瀬駅界隈etc)ですが、岡本駅界隈はその手のお店は皆無。ブティックやヘアサロン、カフェなどのお店がしばらく並び、すぐに高級住宅街があらわれその中をしばらく歩くと阪急マルーン(センスの良い小豆色)っぽい色彩で統一されたキャンパスが現れます。

【写真】阪急神戸線の車両 阪急電車は全てこの色(阪急マルーン)の車体に統一されています。

f:id:FOU:20201115222020j:plain

『甲南』という言葉、六甲山の南側という意で、場所的なイメージとしては東は兵庫県芦屋市あたりから西は神戸市中央区あたりまで。お漬物の甲南漬のようなブランド名称でも用いられていて全国ネットではありませんが関西エリアではそこそこなじみのある言葉です。このあたりは、江戸末期の安政の五カ国条約により外国向けに神戸港が開港。明治期には外国人居留地が発展するにつけ貿易に関わる日本人も集まり独特の文化を持つ国際都市が生まれることになります。大正期には、日本人のあいだでも西欧的な生活文化の取り入れることが盛んとなり、フロイン堂さんのようなパン屋さんでパンを買い、テニスやゴルフのようなスポーツをして、週末にはフランス料理を楽しめるような富裕者層が集まるエリアとして甲南地域は発展してきました。特に関東大震災以降、日本経済の中心地として神戸と大阪はその重要度は増していきます。そのようないろいろ恵まれた地に甲南大学は生まれました。当初は甲南地域の財界人を資金により旧制私立甲南高等学校として誕生、戦後、現在の新制甲南大学となります。

その新制甲南大学の初代学長になったのが京大を退官した荒勝文策先生。一見ミスマッチにも感じますがそうでもありません。生まれは元々現在の兵庫県姫路、甲南大学の数駅お隣の御影師範学校神戸大学の前身)で学びその際、できたばかりの甲南高等学校で所謂非常勤講師を数年していたようです。 fou.hatenadiary.jp

 

 

台湾の大学3 国立台湾大学 台北帝国大学と荒勝文策先生

これからが台湾シリーズのメインテーマ こちらも写真多めです

理学部物理学系今昔と資料館探訪

【写真】こちらが古くからのメインストリート、ヤシノキ並木が続きます。この道に沿って教育研究の施設が並んでいます。

f:id:FOU:20201109234013j:plain

【写真】ヤシノキ並木にある建物

f:id:FOU:20201109234420j:plain

【写真】その中にある建物の一つが物理学系の入る建物。建物はかなり古い感じ

f:id:FOU:20201109235136j:plain

 【写真】訪問した施設がこちら 2000年代に入って帝大時代からの資料・収蔵品を集めて展示をしています。研究室一部屋程度、それほど大きなスペースではありません。英語表記だとNTU Heritage Hall of Physics(Nucler Physics) となっています。大学の過去の歴史と物品を将来に残す意図を感じます。

国立台湾大学様 訪問の際、施設内での展示品の写真撮影時は管理者的な女子大生様から許可を得ましたがブログ掲載等の利用方法についてははっきりとした承認を得ておりません。何か差し支え等がある場合、お申し付けいただければ写真等の情報を削除等いたします。

f:id:FOU:20201108062632j:plain

【写真】研究室の系譜 左から荒勝文策教授(初代講座教授・京大)、(先任)太田頼常助教授(初代講座助教授・京大)木村毅一助手(京大)、植村吉明技術員(台北高等工業学校)、もうお一人の戴さんも京大理卒の方。多分人事と予算の制約上教授一名+太田助教授+助教他で講座を開始したことが分かります。大学が開校したとき、荒勝先生で38歳、他の皆さんは20代で研究を開始したことになります。

f:id:FOU:20201110002012j:plain

【写真】昭和3年大学が作った所謂大学案内。大学令帝国大学令から始まり、大学の講座数、教職員の定員、各種学内規程、学生の制服デザインまで記されています。設立当初は大学全体で専任教授22名・専任助教授16名・専任助教22名で教育研究活動が始まっています。以下写真は理農学部の教授の紹介欄。理農学部の教授は11名(荒勝先生は一番最後)、筆者個人的な見立てでは農学の教育研究が優勢、農学研究の一環で理学系部門がサポートをしているように見えます。このような資料を見るだけでも原子核物理が専門の荒勝先生にとっては帝国大学の看板はあってもかなりのミスマッチで恵まれた研究環境ではなかったようです。

資料:台北帝国大学一覧. 昭和3年(台北帝国大学 編)インターネット公開(保護期間満了)国立国会図書館デジタルコレクションより

f:id:FOU:20201112005727j:plain

【写真】右側は荒勝先生の任用状、台湾総督名で台湾高等農林学校教授を任じられています。台北帝大が本格稼働する前に台湾でのポジションを得ていたようです。ただ実際にはこの期間は台湾では教鞭に立たずイギリスへ研究留学し当時の最先端研究の現場を知ることが出来たようです。以下その流れ、

1926年(大正15年)任台湾省高等農林学校教授(ヨーロッパ滞在中は主に英・ケンブリッジ大学キャヴェンディッシュ研究所で研究)
1928年(昭和3年)  任臺北帝國大學理農学部首任物理學講座教授

1936年(昭和11年)任京都帝国大学理学部教授

左側は、「アトムのひとりごと (1982年)」 木村毅一先生の著書

f:id:FOU:20201110002110j:plain

【写真】『広島原爆後日譚』木村先生が、広島に未知の新型爆弾が投下されたとの報を受け荒勝先生たちが現地調査を行った際の直筆レポート。現地においては理研の仁科先生のグループとともに使用された兵器が原子爆弾であると断定しています。

f:id:FOU:20201110002448j:plain

【写真】昭和19年に許さんが職工見習いで理学部勤務を命じられた発令書(日本の東大京大でもこんな資料を常設展示している部門は(筆者の知る限り)ありません)

f:id:FOU:20201111094019j:plain

 【写真】物理学講座の鍵の管理簿 こちらは年号が民国表記になっていますので管理責任者は終戦後もしばらく勤務を続けた太田先生の名前になっています。

f:id:FOU:20201111094112j:plain

 台北帝大における荒勝先生の一番の業績は、コッククロフト・ウォルトン回路型加速器を稼働させ原子核人口変換を成功させた(1933年)ということで評価されています。筆者の当初の認識は帝大という恵まれた環境と潤沢な研究費があったからこそ出来た業と感じていましたが、昔も今もそれほど世の中は甘くはないよう。いかに帝大でのポジションとはいえ『40前の若手教授のやっている訳の分からん研究』に多額の資金提供は行えません。また、物理学講座の構成員もまだ20代の若者数名のみ、草創期のバタバタした大学の中で会議や授業、諸々の雑用に追われながら5年ほどで研究施設を整え結果を出したことについて荒勝先生の別の意味での非凡さを感じます。技術支援を行った精糖会社をパトロンとして資金援助を受けるなど素朴で温厚な写真の姿とは裏腹に泥くさい地道な取組みもされていたことが印象的。

筆者は詳しい成り行きは知りませんが、(多分)荒勝先生の研究の進展に驚いた政府はその研究の場を講座ごと京大へ移します。それ以降さらなる研究の進展がありますが、時を経ず第二次世界大戦に突入。海軍は荒勝先生の研究に興味を示しますが、あくまで机上理論での検討程度。もともと当時の日本では軍産学で系統だった研究開発をする体制が整っていなかったことと軍側にも東洋一と謳われた大阪砲兵工廠のような自前の研究開発生産拠点が各地にあったので、それほど京大の教授先生にアタマを下げる必要もなかったのかもしれません。いくつかご参考:

台北帝国大学京都大学における初期の加速器開発と原子核物理学研究(前編)竹腰 秀邦(会誌内に当該レポートがあります。) 日本加速器学会 

荒勝文策と原子核物理学の黎明

荒勝文策と原子核物理学の黎明

  • 作者:政池 明
  • 発売日: 2018/04/11
  • メディア: 単行本
 

 

大学の誕生〈上〉帝国大学の時代 (中公新書)

大学の誕生〈上〉帝国大学の時代 (中公新書)

  • 作者:天野 郁夫
  • 発売日: 2009/05/01
  • メディア: 新書
 

 

 

 

台湾の大学2 国立台湾大学 ぶらり歩き

 ここから公館メインキャンパスのご紹介、写真は多めになります。

国立台湾大学

最寄り駅はMRT(台北捷運)新店線(R07)公館駅下車すぐ。なお公館駅にはカッコ書きで(台灣大學・National Taiwan University)の記載があります。行くとき、帰るときは、各路線が集まる中正紀念堂駅乗り換えでの利用になる感じ、先にご案内した医学部関連のキャンパスもご近所ですので当時の日本政府は、このあたりにまとめて大規模な文教施設を作ったようです。そしてこの大学は現在も台湾を代表する研究型大学院大学として国内外から高い評価を得ています。それは卒業生に李遠哲さん(ノーベル化学賞・PhD from UC Berkeley)がいて、政界でも李登輝総統から現在の蔡英文総統に至るまで政党は違ってもこの大学の出身者が占めていることでもよく分かります。

キャンパスは、古い戦前の建物を残した感じのエリアがある一方、現代的な施設もあったりします。入口は車が行き来できるメインゲートもありますが、脇道から関係者以外でも普通にキャンパスへ入れる小道もありました。(数回行ってるので写真は夏冬あります。)構内の雰囲気は台湾らしく治安良好、大学関係者以外の人たちも散策しています。キャンパスの構成も日本の大学と一緒なので日本の大学関係の人はすぐに馴染めると思います。

【写真】日本的に言えば学生福利厚生棟 

f:id:FOU:20201108112618j:plain

【写真】キャンパス内のスナックコーナー1

f:id:FOU:20201108124511j:plain

【写真】キャンパス内のスナックコーナー2 メニュー豊富

f:id:FOU:20201108164805j:plain

【写真】農業総合館 農業で自然科学系と社会科学系をまとめているのが特色のよう

f:id:FOU:20201108170225j:plain

【写真】修士(Master)の学生さんにもちゃんと研究室を割り当てています 。なお台湾での漢字表記は碩士というみたいです

f:id:FOU:20201108170416j:plain

【写真】同じ敷地内に農業試験場
f:id:FOU:20201108172325j:plain

【写真】農業試験場2

f:id:FOU:20201108172536j:plain

キャンパスグッズですが、お手頃T-シャツなど各所の売店で購入可能。特色あるものとして台湾各地にある農学部の農場で採れた農産物・加工品の販売も。その中に農学部農場産の台湾高山茶も。台湾高山茶は冷涼多雨な標高の高い山の上で手間暇かけて生産された高級な烏龍茶(日本で人気が出ないのが個人的にすごく謎)。産地の名称としては大禹嶺、梨山阿里山あたりの名前がついたものが有名。なお、生産数が少ないこともあり市中ではまがいものも多いのも事実。反対に大学ブランドで販売しているので偽物の可能性は低いと思います。肝心の味ですが筆者的には普通の烏龍茶とは異次元の香りと味わいがあり好きな味です。ただ日本的なお茶の入れ方ではないので茶器も準備したりといろいろ大変。前回筆者は以下のお店で高山茶以外にも各種購入しました。店内ではいろいろなお茶を試飲させていただいてゆっくり選ぶことができます。このお店はご参考程度にしていただき、他にも歩き方さんや台北ナビさんにもいろいろ解説・紹介がありますのでご関心のある人はチェックしてみてください。

wangtea.com.tw