FOU’s blog

日本の大学 今 未来

University of Osaka が Osaka Metropolitan University になった意味合いについて考えてみる 3/18追記あり

どこまで意地を張るかと思っていましたが(見かけ上は)急転直下英文名称の変更が行われました。この名称は筆者が可能性を示した事例のNO2の名称案!(というか他に良いものがみつからないもので)

3月12日夕刻の発表が楽しい

このことについては、あべのメディックス(あべのハルカスのご近所)において記者会見を行ないました。西澤理事長(市大医)、辰巳砂学長予定者(阪大工)らによる会見が開かれ、1月頃より議論が行なわれ、最終的に3月に新大学名称検討委員会(SDGsを標榜している大学のわりに構成員6名全員オトコの委員会)においてOsaka Metropolitan University(仮称)に(改めて)決まったとのこと。同時に阪大、大阪公立大双方が、同刻にHPにて発表も行ないました。また、両大学は(雨降って地固まり?)包括連携協定とやらも締結することに。ここまでは、双方オトナの対応に見えるのですが筆者的に気になった部分も。

大阪公立大学側のHPからの情報には、University of Osaka から Osaka Metropolitan University に変わった経緯には一言も触れず、突然新たな名前になったことのみ紹介を行なっています。この記者会見の場には阪大の総長西尾先生(京大工)もいて、記念写真にも収まっているのですが、なぜか(写真には西尾先生が写っているのに)写真のキャプションは西澤・辰巳砂先生のお名前のみ(3/13深夜現在)。方や阪大のHP発表には、大阪公立大学側が理解を示し名称変更を行なってくれた等々への謝辞が記されています。なんだか微妙に温度差が。また、勘ぐってみたいことが、この重要な会見に大阪市大の荒川学長(市大医)の姿が見えません。名称変更に反対の意志を示したかったのかも。

このようなお話、全国ネットにはほど遠いので関西圏以外の人たちにとってはどうでもいい話の類だと思いますが、お耳汚しに。また、発表から間もないのでこれからもいろいろ動きがあるかもしれません。詳しく知りたい人はそれぞれのHPや関西圏のメディアをググってお楽しみください。 

【3/18追記】

思ったよりメディア・他のブログとも反応が薄いですね。多分、関西の大学の英語の表記ということもあって、多くの人たちの関心事にまで届かなかったと言うことでしょう。なお、知人の大学関係者の認識は『結局、公立大工法人大阪側が墓穴を掘った上、阪大に修正話を押し切られてしまった』で、筆者もそれが妥当な成り行きと言えると思います。

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ヨーロッパの大学2 エラスムスとブレインドレイン

これまでざっと北米の大学たちをみてきました。ここからはしばらくヨーロッパをみていきます。 

エラスムスは続く

大学で働いていて国際交流課の人たちが「エラスムス・ムゥンドスがさぁ~」とかいう言葉を発しているとこの人たちはすごいエリートなんだと一般の職員を誤解させてしまいます。(多分たいしたことは言ってません。)エラスムス計画は、1980年代から開始、MEXTの資料は少々古いですが流れをつかむには分かりやすいと思います。現在はエラスムス・プラスと呼ばれるプログラム群が進んでいます。また、別途、若手研究者を中心とした域外交流プログラムとしてマリキュリーアクションも継続して行われています。

筆者的にこの流れを説明をすると、EUができたそもそもの理由・目的が、域内の経済・政治・外交・防衛など多岐にわたる国家間の統合。その中には高等教育を中心とした教育制度の均衡化によって流動性Mobilityを生み出すこと。その地ならしのため、域内の初等中等教育+大学学部+大学院修士課程+大学院博士課程の標準修業年限の調整、何時間で1単位をもらえ卒業・修了(ECTS)できるかあたりの調整を行い続けています。これらがうまくいけば、A国で取得した学位・成績の読み替えてB国の大学で短期・長期学ぶことを容易にする、というのが当面の目標。しかし、始めて30年くらいたっていますが、EUの予算上の制約、加盟国の西高東低的な経済格差、EU加盟国の増加、英語系次いで仏語系話者の文化圏とその他言語文化圏との衡平性の維持等たくさんをまとめることについてまだまだ時間がかかりそうです。また、ドイツのように公教育化による大学教育の平準化(とても良い大学を作るよりもどこの大学もそこそこのレベルを有する)を行ってきた国もあったりで、それぞれの国によっても大学の存在自体が異なっています。そんないろいろがあるのですが、そもそもな、なぜEUエラスムスを進めざるを得ない理由、それがアメリカの大学へのBrain Drain。イギリスの大学は、それなりにアメリカの大学とwin-winの関係にありますが、EU域内東へ進むほど高いレベルの大学を受けて豊かになりたい人たちはアメリカを目指します。特にアメリカの場合、行ってしまったら(いついてしまって)帰ってこない可能性が高いので、行ってしまわれる国々は大変。そんな背景の中でEUとしてのインセンティブを提供する必要が生じているのがこの制度設計の理由。その中の一部に域外との学術交流という仕組みを作っているものもありますがそれほど多くもありません。 

そして日本の大学の立場ですが、基本的なスタンスは見ているだけしかありません。どちらかというと文科省さんや学振さんが『日本といろいろやりしょう』と様々な機会にEUとのパイプを絶やさないことが大切だと感じます。また、以上の取組みはEUとしてのもの、加盟各国、そして各大学においても様々な交流プログラムがあるので引き続き確認が必要です。

MEXT H16 制度部会(第8回)議事要旨 欧州における高等教育に関する動向について

https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/003/gijiroku/attach/1414179.htm

駐日欧州連合代表部 https://eeas.europa.eu/delegations/japan_ja

The Marie Skłodowska-Curie Actions (MSCA) https://ec.europa.eu/research/mariecurieactions/

 【写真1】ヨーロッパつながりのみでMont Saint-Michelの写真 Parisからでも朝早めのTGVにのれば日帰りで行けます。満潮時はこんな感じ

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【写真2】ガレットはブルターニュあたりの郷土料理。島内の観光客向けレストランでいただきましたがお値段を除けばOKです。

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【写真3】いやになるほどたくさんのムール貝 潮の干満の影響でおいしいとこの地方のムール貝AOC格付けされているものもあります。

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【写真4】カモメ 海が遠浅な感じがわかってもらえると思います。

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ヨーロッパの大学1 パリ北駅にて

かなり時を経ましたが以下はパリでの出来事。筆者は夏休みをフランスで過ごしていました。行った先はうつろになってきましたが多分南仏のニースかマルセイユに入ってパリから帰国するルートの途上。この日のスケジュールは、国鉄SNCF(もしくはRER)でパリ北駅Gare de NordからシャンティイChantilly-Gouvieuxまでいくところ。パリ北駅はその名のとおりパリから北方面への玄関口、シャルル・ド・ゴール(CDG)空港へ行くとき、長距離国際列車なら、ロンドンやベルギーに行くときにお世話になります。この日行ったシャンティイ駅はローカル線で30分足らず場所。多くの観光客は、とても美しいシャンティイChâteau de Chantillyを目指すのですが、筆者が行ったのはシャンティイ競馬場Chantilly Racecourse とお隣ある馬事博物館Musée Vivant du Cheval。この競馬場はとてもローカルな雰囲気で緑の木々の中に小さなスタンドと芝生が拡がる感じ。周辺エリアもパリ市内と違ってゴミゴミしてなくて少し田舎のフランスを感じることができます。本題とかなりそれてきましたのでその時の出来事。

http://www.ville-chantilly.fr/

【写真】こちらはパリの競馬場 ParisLongchamp racecourse 名前のとおりパリの西地区ロンシャンにあります。大きなレースがあるときはメトロポルトマイヨPorte Maillot駅から無料バスがでています。

France Galop(フランスのJRAのような組織)http://www.france-galop.com/en

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パリで出会った日本人研究者のお話

話を戻してパリ北駅での出来事。そのシャンティイへ向かう車内。始発駅のパリ北駅に乗り込み発車を待っていると筆者の後ろの座席にアジア系男性2名(一応Aさん・Bさんとしておきます)が乗り込んできました。お二人は日本語でお話をされそれを聞いている(聞こえてくる)限りお一人(Aさん)はパリのどこかの大学・研究所で研究しているご様子。そして彼らの会話内容はこんな感じ:

Bさん『お久しぶりですね。お元気にしていますか?』

Aさん『いやあ元気は元気なんですけどね。やることがなくて』

Bさん『どうしたんですか?』

Aさん『研究室の人たちとうまく行かなくて、予定していた研究もさっぱりで…』

Bさん『それは大変ですね』

Aさん『そうなんです。あと半年いないといけなくて。帰国したときの報告書は適当に書いときゃいいのですが…』

こんな話を延々15分くらい続けて筆者より先にお二人でどこかの駅で下車しました。筆者は彼らの行動を考えてみました。

注意力が散漫、パリの在来線とはいえお隣にアジア系の人間が座っていたら日本人かもしれない、聞かれたらまずい話は場をわきまえる、程度の想像をしておくべきでした。運が悪かったとすれば、その日本人の中でも筆者のような人物の後ろに座ってしまったことかもしれません。結論とすれば、そういう注意力がないから自分たちでも忘れてしまった頃にブログネタにされてしまうことになってしまいます。

会話の中で分かったことは、Aさんは多分、中国地域の国立大学の教員であること、その研究分野は化学・生物系あたり、なんらかの理由で在外研究員・サバティカル的なポジションを得て1年程度フランスのそれなりの研究施設で(一応)研鑽を積んでいたご様子。もう一人のBさんはそのAさんを訪ねてきた知人の研究者ではないかと推察されます。(散々書いていて説得力に欠けますが)海外でのミスマッチは研究者でも民間企業の人でも、もちろん学生さんでも起こりうること、なので起こった事象を責めて批判するだけでなくその良くない状況をどう打開していくかが大切だと感じます。でないと残った時間がとても無駄です。仮に筆者が同情するなら英語圏でも研究室内でのコミュニケーションは難しいだろうにフランスへ行けば尚更のこと。もちろんフランス側の受入れ機関にしても日本人研究者が憧れて行くレベルの機関なら多くのスタッフは英語は話せるでしょうが、全てをことを英語で済まそうとする訪問者がいたとすればかなり邪魔くさい存在になってしまいます。

筆者がヨーロッパで行ったことのある場所は、フランス、イギリス、ドイツ、デンマークスウェーデンetc。そのあたりの大学事情等々を数話にまとめる予定です。

 

 

 

 

 

 

 

甲南大学 荒勝文策先生の系譜と今 未来

It makes a difference between universities な甲南大学

甲南大学の研究力と人脈のお話。荒勝先生がいたころから続く京都大学との良好な関係を考えてみます。 特に近年、以下の女性お二人の活躍は(大学受験生たちは知らないでしょうが)関西の中堅私立大学の教授としては(良い意味で)身分不相応な?なことが起こっています。

甲南大学の学長と他の学長を比べてみる 

 関学、関大、卒業生が学長に。そのまま他機関での経験もなくそのまま学内でのキャリアパスにより学長職までたどり着いています。他の方もそれぞれに魅力な学長さんだと思います。そんな中、甲南大学の2020年度から学長さんをやっている中井伊都子さんは京都大学法学部卒、ご専門は国際法学(国際的な人権問題の研究)。で、この人は別の大切なお仕事を拝命しています。それが国連人権理事会諮問委員会(Human Rights Council Advisory Committee)委員(2019年~)。この委員会は国連人権理事会への助言を行う非常の重要な機関で国連加盟国から18名選ばれたうちのお一人であり日本代表。通例で2期務めるようですので2025年あたりまでこの職につきます。また、学長就任時年齢が55歳とかなり若めなのでその後もいろいろ要職にに就くことが可能。それまでのお二人は神戸大学名古屋大学の出身者から選ばれていますので甲南大学法学部勤務の教授が選ばれること自体異例。関関同立産近甲龍の中には法学部自慢の大学がいくつかあったりしますのでこれは大きなインパクトを与える出来事だったと思います。

https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinken_r/hrcac.html

https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/AdvisoryCommittee/Pages/Members.aspx

もうお一人は科研費政策に尽力

もうおひとかたは西村いくこさん、ご出身は阪大理ですが、その後は長く京大理で教授をやって荒勝先生のように席を甲南大に移します。植物の分子生物学のフィールドで非常に著名、それは十数年継続して研究代表者として基盤研究(S)や(A)クラスの科研費が採択され続けていることでもわかります。そして西村先生も中井先生も同様別のお仕事で存在感を示しています。それは科研費関係のお仕事、日本の文科省予算から交付される年間二千億円を超える科研費日本学術振興会が実質的に事業の全てのプロセスを担っています。審査の方法は、だいたい書面審査(ピアレビュー)で絞り込み、その中から専門的な知識を有する人たちが会合(合議審査)して最終決定していきます。(国際関係の事業は別に国際事業委員会という別の枠組みで決めることもあります。)全ての審査をする人は同じフィールドかつ中立的立場ので研究者が行う仕組みになっています。(例えば東大の先生からの申請なら東大以外の研究者が複数(だいたい6名)で審査します。)科研費はこのような仕組みで多くの審査を行う必要があるので巨大なデータベースの中から毎年7000人を超える研究者を選考し委嘱して審査体制を整えています。そのような仕組みのおおもとを担っているのが学振内にある学術システム研究センター(この組織自体も130名超の研究者の集合体)。その副所長をしているのが西村先生。学術システム研究センターには個別の科研費への審査権限はありませんが、このような巨大な科研費審査の公正で透明性の高い制度設計と見直しを継続して行うことに尽力されています。このような立場の人が(東大京大ならともかく)甲南大学にいることが自体が異例ということで、かなりご高齢なのに学長直属(特別客員教授というご身分で今も卒業(退任)できず?にがんばっていらっしゃいます。

興味のある人は、日本学術振興会→科学研究費補助金・学術システム研究センター でみてください

科研費のことは常勤の大学事務職員の人でも『知っている人もちょこっとだけ知っている』程度、詳しく分かっている人はほんとに少数。大学関係のブログでも話題にもなりません。日本の大学においては外部資金(と国際交流)のことをちゃんと知っている職員の養成はとても大切なことと感じます。

【写真】JSPSの入口    昔は千代田区一番町にあったのですが今は少し移転して麹町の綺麗なオフィスビルを使っています。JR四ツ谷駅に近い新宿通沿いでご近所には上智大学さんやホテルニューオータニさんがあるところ。また、よく学振がらみで会議を行う弘済会館さんもお隣になり便利になりました。

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お二人の様々な場での影響力を考えてみる

 まず中井学長、国連からどこにでもいける青いパスポートをもらえます(まあ国連職員ですから)。外務省へいく際、中に入るには手荷物検査場があってセキュリティチェックがあるのですが、アポさえいれてればスタッフがまっていてくれて顔パスで中に入れます(多分)。対応者も課長級以上、政務官さんや副大臣さんあたりともお話が可能な立場。また、法務省内閣府あたりともルートができていそう。大学関連なら海外の大学相手に国連人権理事会諮問委員会委員の肩書きを使えることも大きなメリット。この肩書きに敬意を表さない国・大学はありません。なお公平性を担保するために言うなら同志社大も中井先生とタイプは異なりますが女性学長が就任されています。ダイバーシティSDGsという言葉が認識され実践しないと行けない時代になり、特に大学はその象徴となり得る存在と言えます。こうした(学内で女性が活躍できる)風通しの良さは大学の運営・評価が高まる理由の一つと(筆者はオトコですが)感じます。 

西村先生は、とりあえず学振内に自分のイス机があります。学振と文科省は友好関係にありますので、研究振興局や高等教育局あたりに行くことがあったとしたら(多分)課長級以上が応接室で対応してもらえます。(私大の学長ご一行が文科省へ行っても待たされたあげく係長あたりの職員がざわつく課内の書類山積みのミーティングテーブルで短時間お話ししてサイナラというのはよくあることです。)また、国内の大学や理研産総研のような機関とも密接なお話が可能。また海外の学振同様のファンディングエージェンシー、NSF、CNRS、The Royal Sosiety、AvH等々とのパイプができることも甲南大学にとってもメリットの大きな話だと思います。 

今回の挙げたような関西圏の私大で働く女性研究者が日本の中枢で活躍できていることは、日本の教育・学術研究においても非常に良い出来事。いかに研究業績が優れていても、旧帝大出身のおじさまが中枢にいると『ああ~やっぱり…』的なイメージになるので、女性で、(これまでオトコ中心の)自然科学系の分野で、なおかつ名もなき中堅私大で、働く西村先生という存在は、現在の社会的要請の象徴として受入れ易かったのかもしれません。これは中井学長も同様です。また、甲南大とは直接のご縁はありませんが、関西圏がらみでいえば学振の監事をしている小長谷有紀さんも京大文ご出身で長く大阪の民博(万博公園太陽の塔のあるあたり)でモンゴル研究をされている(知る人ぞ知る)方。京大にゆかりがある女性たちの活躍というのは、何かのキーワードになりそうです。 

二つ偶然は続かない

若い人には気難しく冗長なお話を書いてきましたが、結びとして、このような文化があるところが甲南大の特色。このお二人を考えるにつけ関関同立あたりの重厚長大な大学たちとは異なる大学作りが行われている証左と筆者は考えます。そうでないとこのような役職につく人物が突如のラッキーで二人も現れることはありません。どうも関西圏での評判『甲南大の学生はおぼっちゃまでチャラい』というのは多少正しい気もしますが、大学本体と教員組織は真逆で非常にしっかりしている印象。筆者的には大学経営上採算性の高くはないと感じる、知能情報学部、マネジメント創造学部、フロンティアサイエンス学部のような(良い意味で)小粒で専門性の高い学部をキャンパスを含めて(西宮・ポートアイランド)作るところがチャレンジングに感じます。(北米の大学のHPをみればよく分かりますが(例えばグロスで)単純に1学部600人募集するのではなく、学ぶ学生へ様々なニーズにこたえられるよう多彩なプログラムを提供する方式の方が好まれています。また、一部の大学に見られる人件費抑制のため、定年退職したおじいちゃん教授ばかりを再雇用するようなことにも依存せず、京大を中心としたやるきのある若手の教員で固めていることも教育の質を高める要因になると感じます。

 京大との良いパイプ

 増井先生が甲南大にいた時代は、甲南大学で働くということは京大の研究者としては、即ドロップアウトした存在と見られていたのかもしれせんが、現在はそうでもありません。大学院重点化以来、京大など旧帝大においても、優れた研究をしていても自分の研究室から出て行かないといけない研究者が必ず出てきます。そのような研究者の受け皿として甲南大があるということは決して悪い話ではありません。実際、甲南大では文系・理系を問わず京大出身者が多くを占めています。教育研究のレベルで京大と友好関係にあることは教育の質を維持するためにも非常に役立ちます。

最近大学を選ぶ際気になること

予備校を中心とする受験産業界。一例をあげれば『(長年の研究でお魚の養殖がうまくいった大学があったとして)その波及効果で大学の偏差値が上がり受験生が増え上位大学に肉薄』的な分析を、特定の私立大学だけを切り取り(たかだか予備校模試に依存する程度の)エビデンス不明の偏差値情報に、したり顔の自称受験評論家が今年の受験傾向を占なうなんてなんて(韓国あたりはそんな傾向がありますが)北米・欧州の大学関係者にとてもとても恥ずかしくてお話できません。話は過去に遡りますが、筆者が大学受験をしている頃も首都圏の私立大学を中心に学部名に『国際』を付けるだけで集客を狙う大学がたくさん出てきている時機がありました。どうも日本の私立大学は未だ内向きでローカルネタと正体不明のメディア戦略で学生を集める性癖が続いている気がしてなりません。

筆者個人的には、関西圏の人たちはこのような偏差値序列の先入観から脱却し、関西以外の人たちは4年間過ごすには、とても楽しい阪急岡本界隈での生活を夢見て受験してみるのも良いと感じます。

甲南大学さんで回り道しましたが、このあともう少し海外の大学事情を考えてみます

 

 

 

 

 

 

甲南大学 荒勝文策先生の系譜を感じてみる 下 増井先生日本へ

下では甲南大学の研究力のお話をいくつか

荒勝先生と増井先生の出会い

増井禎夫(ますいよしお)という先生は、荒勝文策先生と同じく京大理学部のご出身、ただしフィールドは生物学。年齢が40歳ほど離れていますが(多分)京大入学が1949年だと思いますのでかろうじてキャンパス内をうろちょろ歩く荒勝先生の姿を見かけていたはずです。また、荒川先生も増井先生のお顔を知っていたかもしれません。そして荒勝先生は1950年に京大を定年、そのまま甲南大学の学長に就任します。増井先生はもう少しお勉強を続け1955年に修士号取得。そのまま甲南大学理学部助手として職につきます。そういうことで、お二人は、甲南大学で再会しました。そして増井先生は、少し時間をおいて1961年には京大で博士(理学)をもらっています。仕事をしながらなので、論文博士での取得かもしれません。

増井先生アメリカへ、そしてカナダへ

1965年、増井先生は、助教授に昇進、でもあっさりと1966年にはアメリカへ。研究留学に行った先はイェール大学。Webで見つけられる記録はこのあたりまでなのですが、筆者的に不思議と言うか増井先生の非凡さを感じるのとして、なんで日本の名もなき大学の30半ばの助教授が天下のイェール大学で研究のためのポジションを得て、3年後にはトロント大で助教授となって研究の地盤を固め成果を出せたのか。北米での増井先生の研究は、細胞生物学というフィールドでカエルの卵を中心にして細胞の周期を進めたりする物質の解明を進めたこと。増井先生が報告したカエル卵抽出液frog egg extract はそれ以降の分子生物学の解明に大きく貢献したとのこと。(書いててもよく分かりせんが典型的な基礎科学の世界のようです。)

まとめが多少早いですが、増井先生の研究は北米でも高く評価され、その功績により二つの大きな国際賞を受賞します。機会があればこのようなBrain Drain(頭脳流出)については、エラスムス計画(The European Community Action Scheme for the Mobility of University Students : ERASMUS)のお話をする際にでも考えてみたいと思います。

1992 ガードナー国際賞 Canada Gairdner International Award https://gairdner.org/

1998 アルバート・ラスカー基礎医学研究賞  http://www.laskerfoundation.org/awards/

両賞とも年間数名が受賞する世界的に著名な医学賞で、2000年代に入ってからは、山中伸弥先生、森 和俊先生(京大:毎年ノーベル賞が期待されている)、他にも阪大の審良先生、東大の大隅先生(ノーベル賞受賞済み)などが受賞しています。

Yale University https://www.yale.edu/

University of Toronto  https://www.utoronto.ca/

増井先生、甲南大学へ里帰り

研究の場をカナダに移し数十年。増井先生は再び甲南大学を訪れます。これは増井先生が平成14年度日本学術振興会(学振・JSPS)が行う外国人著名研究者招へい事業で採択されたから。この事業は、海外で著名な研究業績を有する研究者を日本の大学等へ招へいすることによりその機関の国際化と学術の進展を計ることが目的。この年度は他に3名の研究者が採用されていてそれぞれ東大、京大、名大から招へいされています。この事業は、学振の外国人研究者の日本への招へいを促進することの一環でPD(ポスドク)レベルから中堅、優秀な研究者とおおよそ3カテゴリーに分け行ってきました。この最上位の招へい事業は十数年続きましたが、現在は、外国人招へい研究者(短期)と呼ばれる事業に引き継がれています。増井先生の場合は指定された約1年の間に3回に日本とカナダを行ったり来たりをして、そのうち半年は日本に滞在。その間に甲南大学においては学生に対して教育の立場から、先生たちとは様々な共同研究を行いました。同様に、国内の多くの研究機関も訪問、北から北大、東大、東工大、慶大、神大理研(神戸)、山口大、九大、熊本大etcで講演、意見交換を実施、この分野での学術の進展に協力してくださいました。

JSPS 外国人著名研究者招へい事業 https://www.jsps.go.jp/j-awards/index.html ※詳しく書かれていてオススメですがデータが古いので確認されるならお早めに。

ちなみに約15年続いたこのプログラム、結局50名近くの著名な研究者を日本へ招へいしましたが、その間に関関同立産近甲龍の関西私立8大学のうち他に採択された大学は甲南大学の増井先生先生と立命館大学さんからの1名のみ(ケンブリッジ大(インド国籍)・ノーベル経済学賞受賞者)。その他は国立の常連校がその大半をしめています。外部資金(科研費)の応募は、なかなか大学受験偏差値どおりにいきません。しかし、このプログラムはかなりオープンかつ単純なもので、海外の有名な研究者を日本に呼んでそのインパクトを学生への教育と国際共同研究の発展につなげるというもの。基盤研究のようなこれまでの研究経過と実績がものを言うタイプの科研費と異なり、さほど科研費実績の目立たない大学であって良いアイデアがあれば応募して採択できそうなプログラム。そして甲南大学は応募して採択されました。また、そもそもですが、科研費を中心とする外部資金というものは申請ベース。筆者は、増井先生の場合、京大から応募してもかまわない応募を甲南大学から行ったことに価値を感じます。(善し悪しはありますがこのような招へいを旧帝大ばかりでやるのではなく甲南大学のような中堅私立大学から行ったことに意義を感じます。)

長くなってしまいましたが、以上はささやかな一例。このあたりが甲南大学と他の大学と違うと筆者が感じるところ。特に2000年代に入ってから(大学受験業界の人は気づかないかもしれませんが)現在に至るまでも大学としての良い進化をしています。

次項で現在の気になる人物お二人を紹介してみます。

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甲南大学 荒勝文策先生の系譜を感じてみる 中

では関西私立大学での甲南大学の立ち位置を筆者の視点で評価してみます

今の甲南大学 関関同立産近甲龍

関西圏での大学受験業界では、一般的に関関同立と呼ぶ4大学とその一つ下位にある産近甲龍と呼ぶ4大学があって~というカテゴリー分けが通説化されていて、高校生もその家族も高校の進路指導の先生も含め『そんなもんなんだ』と理解しています。しかしながら、筆者のような私立大学以外の高等教育(その中でも大学院教育・国際交流・研究支援あたり)で飯を食ってきた者にとってはどちらも大して差がない存在にしかみえません。一例をあげれば研究力、外部資金となる科研費の中でも、もっとも基本的な基盤研究の受託件数、JSPS特別研究員や同外国人特別研究員の採択数なんて、京大阪大はもとより神戸大学にもその数値は遠く及びません。

それでも、そんな筆者にランク付けしろとどうしてもという言うのであれば、関関同立なら同志社(まあまあ)→関学・関大(同じ)→立命(いくな)、産近甲龍なら甲南→京産龍谷(同じ)→近大(いきたけりゃどうぞ)の感じ。その理由はそもそもの話に立ちかえり、ちゃんと大学が学生に教育を提供できていて、先生がちゃんと研究して成果を出しているかがポイントに考えるから。まずでは教育環境について、研究環境についてはで書いてみたいと思います。

 【写真】2枚とも正門周辺、コロナ対策で一方通行の制限を行っていました。学生も不要不急の登学の制限があるようでまばら。

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甲南大を推す理由 少人数制

関関同立の学部毎の学生数は大体3000人規模、甲南大は1500人台。なお、首都圏に行くとさらに巨大な学部もあったりします。そんな大学では講義室もバカでかく300人あるいは500人以上収容できる講義室がたくさんあることをHPで(自慢げに)見せてくれたりしています。規模の大きな大学なら人気ある科目(いわゆる楽勝科目)の履修登録者数が1000人超えでも(全員出席しないことを見越して)300人部屋を割り当てるような愚鈍なご都合主義をやっていたりします。演習と語学系科目を除けばほぼ全ての科目をこの調子でやって卒業させてしまう日本の私立大学の異常性については多くの人たちに気づいてもらいたいところです。

海外に目を転じれば、北米の大学でも大教室はもちろんあります。筆者自身も大学に階段教室はあってもよいものだと思います。アメリカの場合、結構意外になりますが、高等教育の主体となる州立大学の方が公的な社会的要請もあって学生の受入れは多め。反対に私立大学の方が(高い授業料を学生に求めている責任もあり)入学者の絞り込み行っています。いずれにしても日本の私立大学のようなことはやっていません。カナダについても高等教育はほぼ全てが州の仕事ですから公教育的な歯止めがきいて学生の受入れが極端に多くなることはありません。

参考:アメリカUCBerkeleyの場合https://admissions.berkeley.edu/student-profile

日本の(私立)大学に話を戻すと、なんでこんなことになってしまったのか?その理由の一つは、1960年代から1980年代まで続く極端な大学の入学定員の拡大を主として私立大学が請け負ってきたこと。その負となる出来事が、日大紛争から始まる学生運動の要因の一つとなりました。戦後の高度経済成長期の日本社会の縮図で興味深いことが多いのですが、どんどん脱線しますので、機会があれば別のところで。以下、参考となりそうな資料をいくつか。

文部科学省HP : (リンクなし) トップ > 白書・統計・出版物 > 統計情報 > 文部科学統計要覧・文部統計要覧 > 文部科学統計要覧(平成30年版)>11 大学内(excel)→過年度は5年刻みですが状況はよく分かります。

資料7 高校教育及び大学教育との接続の現状(3/5) (mext.go.jp)pdf file

高学歴社会の大学―エリートからマスへ (UP選書)

おさらいとなりますが、高等教育をやっていて、学生数が多い授業から生じる弊害は山ほどあります。その一番は座学となって一方通行の授業となること。場合によっては、教える側も学ぶ側も一度も目を合わせず言葉を交わさず、それでいて定期試験をやれば単位が転がり込んでくるような高等教育をやっているのはG7諸国では日本だけ。真面目に大学で勉強をしたい人には偏差値の高低に関わらずこの日本独特の授業スタイルはオススメできません。蛇足ですが、首都圏にある日本ではトップクラスの私立大学の(アメリカ留学経験のある)総長は『世界でトップクラス』の大学を目指すことを標榜していますが、そのためには、数が力ではなく、入学定員の適正化がその近道になると感じとってもらいたく思います。

そんな日本の私立大学の中で、甲南大学各学部の入学者数はそれぞれ400名未満に調整されています。これまで定員の増加をしてこなかったことはオトナの諸般の事情もあったことも想像できますが、結果としてミディアムサイズの総合大学としての個性を出すことができ他の大学との差別化を図ることができていると思います。

 

 

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甲南大学 荒勝文策先生の系譜を感じてみる 上

荒勝先生のお話をしましたのでそのつながりで日本の大学を久しぶりにご紹介。荒勝先生は京大退官後甲南大学の学長を長く務められました。写真のいくつかは最近撮影したもの。

甲南大学阪神間モダニズム https://www.konan-u.ac.jp/

【写真】甲南大学の北校舎 神戸は坂が多くここまで歩くと息が切れます

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【写真】1枚目、2枚目 甲南大学の最寄り駅は、阪急神戸線岡本駅。神戸三宮駅から大阪梅田駅まで続くこの路線は関西でも有数のお金持ちエリア。甲南大学のある岡本駅エリアも有数の高級住宅街として知られています。東京の人になにげに説明するなら成城学園前駅とその周辺に急坂を足した雰囲気だと思っていただければ良いと思います。また、岡本駅は、甲南女子大学(今は甲南大学とは別法人)と神戸薬科大学の最寄り駅でもあります。なお、阪急岡本駅の数百メートル南側にJR摂津本山駅もあり、京都方面や新幹線でJR新大阪駅から来る人にはJRの方が便利かもしれません。

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【写真】フロイン堂 岡本駅から甲南大学へ向かう途中にあるパン屋さん。ブーランジェリーブームで、なおかつ、その中でも激戦区といわれる神戸において、誰もが敬意を示す老舗中の老舗のお店。1932年創業、今でも全てのパン作りの行程を手作業で行い窯焼きする食パンは吉田茂宰相も愛したとのこと。(詳細は『フロイン堂・岡本』あたりでググればいくらでもでてきます。)

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甲南大学という大学の有り様を示すものとして、岡本駅から甲南大学へ道のりもあります。だいたい普通の大学なら、最寄り駅から大学正門に行き着くまで、ごちゃごちゃした学生向けの飲食店やカラオケ店があるもの(阪大なら石橋駅界隈、関大なら関大前駅界隈、近大なら長瀬駅界隈etc)ですが、岡本駅界隈はその手のお店は皆無。ブティックやヘアサロン、カフェなどのお店がしばらく並び、すぐに高級住宅街があらわれその中をしばらく歩くと阪急マルーン(センスの良い小豆色)っぽい色彩で統一されたキャンパスが現れます。

【写真】阪急神戸線の車両 阪急電車は全てこの色(阪急マルーン)の車体に統一されています。

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『甲南』という言葉、六甲山の南側という意で、場所的なイメージとしては東は兵庫県芦屋市あたりから西は神戸市中央区あたりまで。お漬物の甲南漬のようなブランド名称でも用いられていて全国ネットではありませんが関西エリアではそこそこなじみのある言葉です。このあたりは、江戸末期の安政の五カ国条約により外国向けに神戸港が開港。明治期には外国人居留地が発展するにつけ貿易に関わる日本人も集まり独特の文化を持つ国際都市が生まれることになります。大正期には、日本人のあいだでも西欧的な生活文化の取り入れることが盛んとなり、フロイン堂さんのようなパン屋さんでパンを買い、テニスやゴルフのようなスポーツをして、週末にはフランス料理を楽しめるような富裕者層が集まるエリアとして甲南地域は発展してきました。特に関東大震災以降、日本経済の中心地として神戸と大阪はその重要度は増していきます。そのようないろいろ恵まれた地に甲南大学は生まれました。当初は甲南地域の財界人を資金により旧制私立甲南高等学校として誕生、戦後、現在の新制甲南大学となります。

その新制甲南大学の初代学長になったのが京大を退官した荒勝文策先生。一見ミスマッチにも感じますがそうでもありません。生まれは元々現在の兵庫県姫路、甲南大学の数駅お隣の御影師範学校神戸大学の前身)で学びその際、できたばかりの甲南高等学校で所謂非常勤講師を数年していたようです。 fou.hatenadiary.jp