FOU’s blog

日本の大学 今 未来

【大学いろいろ】歯を抜きました(右下第二大臼歯)

先日歯を抜きました。ブログの性質上大学の国際交流を中心とした視点を絡めていろいろ考えていきたいと思います。※書いてることに歯科治療の専門用語を交えますが雰囲気で感じてください。また、筆者は歯科医師の資格はありませんのであくまで個人の体験談としてお読みください

保存困難

ずっと前からなんですが、、右下の6・7部分が良く腫れ、その都度対処療法をしていました、が、ついに限界がきました。痛みがとても強く市販のロキソプロフェンを飲んで様子をみていましたが5時間で痛みがやってきます。これはもう無理ということで歯医者さんになんとかスケジュール調整してもらって土曜日の閉店前にチェアに座ることができました。先生、この部分のデンタルを撮ってしばしチェック。やはり歯根部にかなりの腫れが拡がっています。先生のご判断は『抜きましょか?』『えっ今?』『はい』と即決。土曜日の昼下がり、予期せぬ抜歯という結末に多少ドキドキしましたが、患者的にもそれが一番の解決と思いお願い。抜歯自体は浸麻してそれほど痛みもなくあっというまに抜歯完了。痛み止めと抗生剤をもらって終わり。で、抜歯のみのお代は三割負担で810円(270点)。

余談:を抜いたんですが、の根っこも同様の状態でこちらも痛みがあり再受診。の抜歯は良いとしてまで抜いてしまうと全体的な咬合のバランスに影響がでるので保存することとし、根充してクラウンをのっけることに。こちらは結構しました。

時計が止まっている

なんでこの金額にこだわるかというと、前世紀(1990年代)、大学病院で医療事務をしていたとき、抜歯の点数をうっすら覚えていたことから。

日本の診療報酬に基づく抜歯の点数は、難易度の高い埋伏智歯の抜歯でも1000点ちょっと。これって非常に観血的(手術)なもので、埋伏智歯のあるところをレントゲンで確認し、抜歯時は伝導麻酔して(場所にもよりますが)歯ぐきを切開して(場合によっては)顎骨に埋まった状態の歯をペンチ的な器具で引っこ抜くようなとてもワイルドでリスキーなもの。で、ちなみに抜歯のコストは一番奥から前の歯に向かうにつれお代はお安くなっていきます。で、当時の奥歯の抜歯のコストは270点くらい、前の方にいくにしたがいお値段はお安くなります。で、これは今もほぼ変わっていません。

その他、今現在の治療で参考となりそうなものとしてインプラント。当時は治験レベルでしたが一歯につき9万円程度。そして今、そのコストは『時価』の時代に。病院の知名度、用する設備、使う素材により数十万円必要。そもそもインプラントって顎骨に直接ネジを差し込んで土台を作りその上に人工の歯をのっけるものなので、(一般的には)非常に安定します。理論値的にはとてもよさげなのですが、骨の中に異物(金属・セラミックetc)を埋め込むものなので課題はたくさんあり簡単そうで簡単ではありません。また患者側もインプラントしたら終わりという安心感をもっちゃダメで、通常の歯同様のメンテナンスが必要。そんなインプラントですが、現在は、技術の進歩がある(はず)ですので大丈夫なようです。また、歯科医院によっては、(医院が続く限り)施術後の保証もやってくれるようです。。

診療報酬(歯科)でわかること ー驚きの2700円(270点)ー

で、抜歯時の状況は麻酔でわかりませんでしたが、かなりグリグリされてひっこ抜かれました。抜かれた歯はあたりまですが血まみれ。術前にデンタル(X線)一枚を撮り、抜歯後は数時間は麻酔の効果で痛みはないが、それ以降じわじわい痛むためと感染予防で、鎮痛剤、抗生物質とうがい薬を処方してもらいました。それらを入れてもコストは三割負担なら2000円程度で済みます。

で、なんでこのことを書いているかというと、そのお値段。歯科医療の事務をしていると抜歯時のコスト(点数)はイロハの部類なのでよく覚えていますが、当時の点数・金額と(ほぼ)変わりはありません。ということは四半世紀の間お値段そのままの据え置きの価格。参考までにのような埋伏智歯の抜歯でも1000点程度。抜いてくれた先生の説明によると、歯科診療報酬の改定で他の治療コストを上げるバランス上いつまでたっても抜歯の点数をあげることができないらしい。そんなんで厚労省的にはいろいろ苦労して診療報酬の改定をおこなっているとのこと。

で、そんな抜歯事情についていろいろ考えました

①普通の歯医者さんは抜きたくなくなる

歯医者さんは初期研修以降たくさん抜歯のような口腔外科領域の治療経験は必要十分に有しています。そうじゃなきゃ歯科医師としてやっていけません。

そんな抜歯ってどんな人が摘要になるか考えてみると、若い年代は基本歯がしっかりしているので、(多分)いわゆる親知らずが中心。高齢になるにつれ歯槽膿漏に起因したものが多くなるんじゃないかと思います。※詳しく知りたい方は歯医者さんで聞いてください。なので普通の患者さんはそこそこ歯の状態はしっかりしているので根幹治療が中心となり抜歯が必要は多くはないと思います。

そんな状況の中、今どきの歯医者さんがそんな治療を日々行っていると、抜歯の症例は少なくなる➡(いろんなリスクを考えると)抜歯することが億劫になる➡口腔外科をやっている病院へ紹介状を書きたくなるへの流れが生じてしまいます。

それに、歯医者さんの立場にたっても、夕方医院を閉じる直前に抜歯したりすると、それ以降の経過(痛みや出血の度合いetc)がわからないので患者さんへの安全配慮のため、他院への紹介が増えるのかもしれません。

②で、日本の抜歯は…

そんな経緯もあってか、抜歯や口腔内治療のお値段は世界的にみてもかなりお安め。歯科治療に限っていえば、日本国内での保険診療による歯科治療はかなりコスパの高い傾向にあると筆者は感じます。反対に海外に行って歯科治療を甘くみていると大変なことに。最悪ケースとして、アメリカ滞在中、①日曜の深夜、②歯が痛み、③救急車を使って病院へ行き、④抜歯と処置をしたら数十万を要する可能性も。コストは日本の百倍以上!。海外旅行傷害保険に入っているから大丈夫と思っていたら、小さく歯科治療は除くと書かれている場合もあるので注意が必要。口の中は、虫歯治療に気を取られますが、バスルームや外出先での転倒事故による口の中のケガも想定できます。やはり、口の中を含む旅行保険に加入して海外へ行く方が良いかもしれません。

反対に、海外の人にとって、日本における歯科治療は費用はかなりお安めに映るかもしれません。今のところ、インバウンド需要により歯科治療の需要が高まることはなさげですが、海外との価格格差ってあるんだということは知っておく方が良いかもしれません。

 

番外編 ヨーロッパの大学 写真でみる Ost-Berlin und Prague

 

新たに見つかったネガを電子化しました。東ドイツとチェコスロバキアの当時の様子をご案内します。

テキトーにキャプション入れますが、半世紀前の話で筆者もよく覚えていませんので、へーっそーだったんだ程度で納めてください。ちなみにカメラは Nikon FM に Zoom-NIKKOR Auto 43~86mm F3.5 をつけてFUJIFILM 400 36枚撮で撮影しています。(機材は当時の『普通』で大したことはありません。)

西ベルリンから東ベルリンへ

【写真1】国境駅 Bahnhof Berlin Friedrichstraße フリードリッヒシュトラーセ駅

当時、DB、S-Bahn、U-Bahn の集まる駅、西ベルリンからの国境駅にもなっていました。筆者はここで東ドイツ・東ベルリンへ入国します。で、日本人に限っては…(当時)非常に人畜無害的な取扱いをされていましたので、入国等々は緩めです。当時、東側で見かけるアジア人は、北朝鮮、中国、ベトナム、カンボジア、ミャンマー、ラオス等々の(当時)社会主義政権の国々が中心でした。それでも東側でみかけるアジア人は少なめ、そんななかにいる数少ない日本人は物好きでチャレンジャーな若者が中心。

この国境駅のパスポートコントロールの際の出来事を今でも思い出すこと① まあ普通の入国手続きではあるのですが、受付をしてくれるのが(戦争映画などでよくみる)第二次世界大戦中のドイツ兵的な姿なので結構緊張、順番が回ってきてその担当の金髪の若い兵隊さんに赤いパスポートを出そうしたら、ちょうどそのタイミングでほっと一息カップアンドソーサーのスタイルで(さらに)小指を立ててコーヒーを飲んでいて、タイミング悪く?視線があってしまいました。お互いなんだか気まずい雰囲気でしたがちゃんと入国させておもらいました。

【写真2】Berliner Dom und Berliner Fernsehturm ベルリン大聖堂 とテレビ塔

駅から続くフリードリッヒ通りを歩くのが当時の観光ルートの基本。確か地球の歩き方東欧編にもそう書かれていました。写真のとおり筆者はいつも『歩き方』を持って歩いています。

テレビ塔を見て今でも思い出す(当時の)話②:当時の共産圏では、その精神に則り、人民は働いていたそうな。そのためかわかりませんがそのテレビ塔の下にあった食堂で食事をしていると洗い場で一生懸命食器を洗って働く若い女性が異様に超美形。今現在の社会では違うお仕事をしていいてもおかしくはないと(勝手に)感じてしまう、これが社会主義政権下のあり様。なお、テレビ塔は今でも元気に使われているようです。

tv-turm.de

【写真3】Brandenburger Tor 東ベルリンから見たブランデンブルク門

ブランデンブルク門のあるところまでが東ドイツの管理区域。周辺に人影はまばら、というか進入禁止の柵が設けられているのですが、これを乗り越えて入ると(多分)数回警告ののち、言うことを聞かなかったら躊躇なく普通に銃撃され射殺されます。そんなで洒落はききませんので誰も入りません。で、ここからまっすぐ門の向こう側が西ベルリン方面。

【写真4】参考:西ベルリンから見た Brandenburger Tor ブランデンブルク門①

【写真5】参考:西ベルリンから見た Brandenburger Tor ブランデンブルク門②

【写真6】参考:西ベルリンから見た Brandenburger Tor ブランデンブルク門③ 見てのとおり、場所によっては壁にデンすることができます。

【写真7】Neue Wache (新衛兵所)の衛兵交代式 行った当時は、旧東ドイツ・東ベルリンにあった「反ファシズム記念館(Antifaschistisches Museum)」という名称で交代式は行われていました。で、今現在、この名称で建物は存在していません。 社会主義政権の遺物ということでこの施設名称での営業は終わってしまいましたが、引き続き新たな建付けで交代式は行われているようです。

反ファシズム記念館(Antifaschistisches Museumが消える話③:当時この場所って『歩き方』にもちゃんと載っていて重要施設。それが時を経て現在、反ファシズム記念館もしくは Antifaschistisches Museum でググってもその姿はなし、特に写真は全滅。どちらかというと Neue Wache で調べると辛うじて出てきます。探すの大変でした。で、何が言いたいかというと、電脳世界への過信、過去にあった出来事も比較的見えない力で消されたり書き換えられしてしまうこと。今の世の中、数多くの情報があふれているようで、何かの理由で容易に消されてしまうことがあるのかもしれません。

で、見どころは銃剣付小銃を持った兵隊さんによるプロシア式で行われる衛兵交代式。東アジアの一部諸国でも類似のことを行っていますが、足が短く体格的にも劣るのでどうも迫力に欠けます。こちらは本場ものなので見ごたえあり。

www.visitberlin.de

【写真8】交代要員の3人の衛兵さんがやってきます。イメージ的に歩く速度はタッタッタよりかなりゆっくりめ。そのゆっくりした歩調を合わせることに技量を感じます。ちなみに後ろで見物している方々は、NATO軍(確かアメリカ軍etc)の方。定時に衛兵交代が行われるので(筆者もそうですが)それなりに見に来る人がいる観光地となっていました。なおこの状況は、多分ですが、東西のベルリン区域の非武装地域になっているので、一定の要件を満たせば、NATO と WTO(ワルシャワ条約機構)の職員の往来が認められていたようです。

【写真9】3名のうち2名が交代します。後ろでみているのはNATO 関係者

【写真10】連れてきたうちの一人がそれまで立っていた2人を連れて帰ります。後ろでちょっと偉い目の兵士(伍長さんクラス?)がチェックを入れています。

【写真11】建物には弾痕のあとが目立ちますが、、赤軍のベルリン侵攻はもっともっと激しいもので建物自体もっと大きな損害を受けていたはず。ですので、今ある建物は戦後テキトーにそしてそれらしく修復をしたのかもしれません。※一応、念のため、この写真を撮る時、伍長さんに『フォト?』と聞き『ヤッ』のお返事をいただきました。

【写真12】反ファシズム記念館(Antifaschistisches Museum)の内部 英語で類推できるわかりやすいドイツ語

【写真13】取材?協力してくれた東ドイツの兵隊さん(逆光でいろいろ手間ひま省けました) 多分徴兵の方でどこかの基地とかにいくところだったのかな。そんなで街中至る所で軍靴が響いています。日本で『軍靴の音が聞こえる!』と些細なことを気にする人たちは、若い時からこのような経験して免疫をつめばよかったんだと思ってしまいます。

【写真14】フンボルト大学ベルリン 本館 (Hauptgebäude der HU Berlin)

19世紀末ごろよりドイツ帝国の発展とともに大学も発展。第一次大戦後のヴァイマール共和国時代は一定の輝きがあったのですが、ナチス政権時代には焚書もされたりして大変。第二次大戦後は社会主義政権下ということもあり沈滞。息を吹き返したのはドイツの統合後。日本とのつながりでは、明治期から日本人の留学者も多く、最近では(アノ)斎藤幸平さんなんかもこちらで学位取得をしています。なお、個人的には、実力がある人なので、YouTube やチャラいトーク番組に出るよりしっかりした硬派の論文を書いてもらいたいです。

なお、この時の写真と今現在の写真を見比べてみるとその差は歴然。今のフンボルト大学はとてもきれいにそして優雅に整備されています。

 【写真15】鉄道駅 名前は不明。この駅からプラハに行きました。

【写真16】プラハ行の列車 当時、東側はユーレイルパスの適用範囲外なので二等車で 移動。一昔前の中国や北朝鮮なんかもそうですが共産圏の旅客車両の色はなぜかダークグリーンが好まれます。みてのとおり制服姿の人がそこいらじゅうにいます。

【写真17】多分プラハ駅の前 ココはチェコスロバキア社会主義共和国(当時)の首都プラハ。よく見ると背後の車はベンツ、その後ろのスローガン的な掲示が共産圏的だったので撮影。

【写真18】ユリウス・アルノシュト・ヴィレーム・フチーク さん像 (Julius Arnošt Vilém Fučíkチェコ作曲家・軍楽隊指揮者 19世紀末から20世紀初頭に活躍した方。こちらも折角撮ったのでお見せしておきます。この像は今でもご健在のようです。

【写真19】プラハのレーニン像 当時は寒い中でもお花も絶やされずおかれていたのに壁崩壊とともに状況は一変。どこかに処分をされたようです。ヒトラーやスターリン像って当然の気はしますが、レーニンさんってそこまで悪事を働いた気もしないのですが、ロシア人によるソビエト型社会主義の象徴として消えないといけなかったようです。

 おわりに

おわりもなにもあったものではありませんが、十年一昔✕4回以上していますからそりゃいろいろ変わるもんです。今を標準にして生きていてもどんどん時代は動きます。最近、鴨長明さんの言葉や、ニューシネマパライスやタイタニックの最後のシーンを見るにつけ時代を感じる筆者でした。。

fou.hatenadiary.jp

 










 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真で【写真で見る森ノ宮キャンパス】大阪公立大学森ノ宮キャンパスあれこれ ②

シリーズ②です。ついにグランドオープンしましたのでそのお祝いを兼ね大学職員のランチタイタイムのお笑いネタとしてご活用ください。なお、大阪ローカルを注釈なし容赦なしにそのまま書きますのでがんばってついてきてください。大学職員の方には新キャンパスを作ったらどうなるかを学ぶ良い機会になると思います。施設内の写真も筆者の判断で入れていますが、どこかから何か言われたら素直に削除します。悪いことは(多分)書いていませんので大目にみてください。

で、結局、どうなの?

周辺環境 森ノ宮~キャンパスへの道

【写真1】中央大通り(下)と阪神高速(上) 奥に向かって歩くとJR森ノ宮駅にたどりつきます。で、中央大通りの意味合いは、東は奈良・生駒から西は大阪港方面までをつなぐ大阪を代表とする主要幹線の『通り』。タテには御堂筋、堺筋等多くの筋が何本も走っているのですが、ヨコにならこちらが一番の主要な道路。基本的に歩車分離はしっかり行われています。で、ご覧のとおり歩行者は少なめ。

【写真2】目印のロイホの交差点 この中央大通りを交差しているのが疎開道路 こちらを左へ

【写真3】疎開道路 北に向かって歩く。ただ、歩きだしても大学の建物は見えません

【写真4】森ノ宮病院さん。まだまだ歩く。

森ノ宮キャンパスについたっ!

【写真5】じゃじゃーん!ハム大森ノ宮キャンパスの外観 疎開道路より奥まったところにあるので建物が急に見えてきます。大きな構造物ではあるのですが、URさんの大きな高層住宅に囲まれているのでさほど目立ちません。

【写真6】建物外観  記念写真撮影位置 

【写真7】建物外観 キャンパス案内図 建物構造がコの字になっていることがわかります。

【写真8】建物外観 大阪城公園駅からこの建物につながる未完成の歩行デッキ。次の工事でJR大阪城公園駅とメトロ森ノ宮新駅を結ぶ予定。

【写真9】建物外観 食堂 OMU Dining  食堂のつくりはまあまあ普通ですが、頑なに土日は営業しないことを明記するところが面白い。と、いうことで、筆者みたいに週末行くと(催事があっても)開いていません。外部の方も利用可ですので、お昼の繁忙時間は手間のかかるうどん・ラーメン類は販売しない等々チャレンジャーの試みをご確認ください。

【写真10】建物外観 コの字建物の奥からの眺め。外側が西になります。面白い構造をお楽しみください。

【写真11】建物外観 コの字の奥(東)にあるのが(メイン&サブ)アリーナ。名前的に『アリーナ』ってそのままやん、ひょっとするとネーミングライツ狙い?こちらも週末は人の気配なし

【写真12】建物外観 玄関(入口) 授業のある時は主要箇所の扉は開錠されているようですが、当日は開いているのはこちらのみ。用事のある教員・学生は守衛室的なところから入るようです

【写真13】屋内 1階 話題?のエスカレータ 上を目指す大学ですから下りは階段のみ。ただしお隣にはエレベータもあります。ある日普通に大学へ勉強しに行くとエスカレータ前に『エレベータ点検中』的な貼り紙があったりしたら絶望的な気持ちになり心の動揺が激しくなると思います。あと傘置き場はココにありませんので教室までビショビショでもっていくみたい。

【写真14】屋内 2階 事務室 週末なので人影なし 便宜上少しづつ現実的な紙の案内が増えてきました

【写真15】屋内 2階 いろんな案内 スクールカラーの金文字を用いているのとデザイン優先なので(筆者個人的には)視認性に難ありと感じます。お手洗いの前にある男女のピクトグラムはどっちか認識しずらくてトラブル発生しないか多少心配。なお、こちらも週末はやっていません

【写真16】屋内 1階 OMU Base (無人コンビニ)の周辺 平日はこのテーブルで学生が食べているんだと思います。

【写真17】屋内 1階 OMU Base (無人コンビニ)の店内をのぞいてみると商品はすくなめ。多分的システム上多くのものを登録・展示するのが大変なのかもしれません。

【写真18】屋内 1階 OMU Base 無人のコンビニエリア 週末で学生が来ないこともあってか(多分)日持ちしない商品はおいていない印象。この品揃えなら来るときにコンビニ買う方が選択肢は多いと思います。また、大学生協だからといってお値段がお安いものがたくさんあるわけでもありません。

※利用方法:認証手続きの済んだ学生証(スマホ)をかざすと中に入れて欲しいものを手にしたら、そのままシステム上で精算することができる仕組み。

【写真19】屋内 1階 学生ラウンジ内の多目的ブース イメージ的には(多分)少人数での部活・サークル活動やゼミの勉強会のような用途に使える小部屋。この部屋の番号が"10"ですので10以上こんなお部屋があります。

【写真20】屋内 4階 中教室(1年次生授業用) フロアにはところ狭しと同じような教室が並びます。

【写真21】屋内4階 設置意図が分かりにくいですが、、(多分)今のところ学生のくつろぎエリア。

【写真22】屋内 4階 大講義室 講堂の次に大きなお部屋。階段があるので階段教室。座席間隔と前後ピッチともに余裕なし。後ろの席にいると板書を見るのは結構厳しそう。基本はスクリーン投影で。

【写真23】屋内 12階 SMBCスカイラウンジ ネーミングライツにSMBCさんが協力をしてくれたようです。大阪城眺めながら集会や会合を行なえるために利用されているようです。

【写真24】屋内 12階 SMBCスカイラウンジ 週末は何もなければ施錠されているようですが、何かの催事で扉を開けていると事情をよく知らない市民・府民たちが迷い込んでくるようです。

【写真25】屋内 12階 SMBCスカイラウンジ ベランダ等はありませんが西側の窓からはガラス越しに大坂城の写真撮影が可能 窓越し+zoom 拡大しているのでお許しください。

【写真26】屋内 12階 文学部・研究科のエリア こんな感じで教員室、講義室、演習室etcが並んでいます。筆者個人的には、あんまり見たことがいない雰囲気。出来立てというのもありますが、設備は良いように見えました。なお廊下をほっつき歩いていると授業のない週末でも先生や院生?を中心した学生がちらほら。大学らしくて良い雰囲気に感じられました。

【写真27】屋内 4階 ライブラリー(図書館のこと)① 週末なので利用者は少ないですが、座っているのは(多分)近隣の利用登録を済ませた外部の人。

【写真28】屋内 4階 ライブラリー(図書館のこと)②

【写真29】屋内 4階 ライブラリー(図書館のこと)③

【写真30】屋内 4階 ライブラリー④ 掲示版 豊臣兄弟!

【写真31】ここから4階からの景色① ライブラリー(図書館)の中からのみ外側のテラスに出て撮影可能。

謎のたくさんのEVバス これが最近噂になっているEVバスの置き場。EXPOの際、評判の悪かったEVバスは路線バスの用途でも利用はできないので(多分)九州の会社さんへ返品することに。ただ、バスの販売会社さんは修理したから使えると押し問答しているようです(ただしこの会社民事再生手続き中)。とりあえずは今静かに大阪メトロのバス置き場で旅立ちを待っています。なお、素人考えですが、長期間放置(放電)しているのでバッテリーがどうなっているかも謎。

【写真32】4階からの景色② こちらは北方向。手前にあるのが大阪市中浜下水処理場

【写真32】4階からの景色③ 北側にはUR団地が立ち並んでいます

【写真33】4階からの景色④ 西側には大阪城と大阪ビジネスパークのビル群

【写真34】4階からの景色④ キャンパスの外観。前庭の右側は次の工事のため封鎖されています。

写真はこれでおわり 以下雑感

出来栄えは非常に良い

吉村府知事が YouTube 等々に登場して『すごいやろ!』的に自画自賛していますが、忖度なしにそのとおりだと思います。全国の大学で教育施設を(公立大なので)安価に提供しているところはありません。施設の良さはテレビドラマのキャンパスものにも十分使えます。

※吉村知事が出ているYouTubeはググればすぐに見つかりますので気になる方は閲覧をおススメします。

でも、立地がどうしても気になる

今後、地下鉄(大阪メトロ)の延伸、JR大阪城公園駅まで歩行デッキの設置等が行われアクセスの利便性を高めるようです。反対に言えばそれだけ(今のところ)不便な場所。地下鉄も森ノ宮方面からの単線路線(一駅)なのでキャンパス前に駅が出来てもそれほど時間の短縮にもなりません。稼働率を上げるため(例えば)夜間の大学院や大学講座を行うにしても、あまり歓迎されそうにありません。また、キャンパスの周辺300メートル以内にコンビニや食べるところはありません。ここは遠い…。

また、非常にそもそもですが、、大多数の学部の学生は入学後1年間のみの利用。2年生になると遠く離れた杉本や中百舌鳥のキャンパスで」学ぶことになります。ですので、4年間、このクオリティの施設での学びはできないことは知っておくべき。

総合知はどこへ 文学部はリベラルアーツの基本

筆者のこだわりはココ。幸か不幸か文学部は、森ノ宮キャンパスで卒業するまでずっと学ぶことが可能。また、生活科学部・医学部のリハビリ部門も同様。筆者の考える総合大学や総合知の意味って、いろんな様々な知見を膨らまして学びの成長があるものだと思います。※わかりやすい一例を言うと、経済学部や法学部の学生が自分の学びの中に哲学的なアプローチを加えて論文を書くなんて非常によくある事例と思います。反対に文学部で哲学学んでいる学生が法律と哲学との関わり合いを知りたいと思っても同様。このようにキャンパスを複数化すると生じるデメリットもあることは認識する方が良いかも。あとのご判断は皆様それぞれで…。

 

 

 

 
















 

近大もかっ!【内閣総理大臣の選出について】重要なお知らせ by Kindai University

コネタその②です。今度は近大さんのホームページにもこんなんでてました。これもなんだか東京人の知らない世界で面白そう。で、もはや時の人ですので、全てのひとに粗相のないよう丁寧に書きますね。

www.kindai.ac.jp

なんと大学教授にまでっ!

2004年ごろ、高市さんは選挙におちて、お仕事がなくなってしまった約3年間近畿大学経済学部の教授職をお勤めになっていらっしゃいました。ご承知のとおり、近大さんは世耕ファミリーが営む大学で、就任の頃は、世耕弘成さんのお父様である世耕弘昭さんが理事長をお勤めになっていらっしゃいました。ご縁は大切です。

私大はちがうんだなぁ

で、国公立大学で働いている人はすぐに気が付くはずなのですが…これまでの高市さんには高等教育における教育・研究の実績・業績はありません。資格は神戸大学経営学部の経営学士のみ。一般的に国立大学で、教授職につくには、高等教育における教員歴、研究指導歴、査読論文数が重要。特に大学院レベルでは、マル合、Dマル合の資格がなければ、教授のポジションを就くのは絶対無理。ですので、一般的に、国立大なら助教や研究員、良くて特任(任期付・非正規)の名を付いた准教授での採用がせいぜい。また、いくら業績を加味しても、大学院での教鞭はしんどいところがあります。その中で、大学院課程があまり充実していない近大さんというところ採用に適していたのだと思います。

でも、そこはさすがに近大さん、優秀な教育人材を見過ごすわけにはいけませんから、教授でお招きしたんだと思います。経歴的には、松下政経塾アメリカ議会における実務経歴をお持ちですので、学部学生向けの授業なら十分。産業政策論ゼミでも盛り上がっていたようで何よりです。(実際、大きい声では言えませんが、私大の教員任用って『この人大丈夫?』って人結構あります。)

なお、キャリア上、Professor の肩書は海外では有用。国内での認知度は高くありませんが、名刺に Professor (もしくはProf.)がついていると、Dr. や PhD. 同様に評価してもらえます。

まとめ?

で、現職総理大臣のご高説を聴けた学生たちも、今では四十台。『大学おったころな総理大臣から講義受けててたんや、ほんまやで』的な会話で盛り上がれるのはうれしいことかも…

 

 

【内閣総理大臣選出おめでとう!】とのことです by Kobe Univeristy

コネタです。神戸大学さんのホームページにこんなんでてました。なんだか東京人の知らない世界で面白そう。※高市さんって、これまでの永田町にはない面白い化学反応が生じそうで興味がでてきました。

神戸大学: Top>お知らwww.kobe-u.ac.jp

↑長く貼られるものでもありませんので、中身を解説するとお写真と神戸大学経営学部卒であること。女性初、これからのご活躍をお祈りします、でシンプルに終わらせています。

どうでもいいことをいろいろ考えてみる。(みんな推測)

神戸大学にしたのは

いろんなメディア記事によると、早慶も合格していただけど(家族の助言・経済状況で)神戸大学を選んだご様子。関西圏の国立大学序列(のみ)で考えると、他に(なんとか)自宅通学できる京大・阪大があるのですが、それを選んでいないのは、多分模試結果で『京大・阪大はいけるかもしれんけどあかんかもわからんな…』等々いろんな人に言われて(安全パイ(あんぱい))で必ず現役合格する神戸大学を選んだのでは…。当時の社会環境を加味して考えると『女性で一浪はちょっとなぁ…』という時代でもあり選んだと思います。でも現役で神戸大は大したものです。

なお、ご承知のとおり神戸大学経営学部は旧三商(他に一橋大、大阪市大)の名門といわれています、が、多分奈良の大和郡山からだと半分の時間で行ける大阪立大学(当時)のお名前はでてきません。諸般の事情はあるのかもしれませんが、神大と市大の差はこんなところからも見てとれます。

②通学の大変さ

高市さんは、当時奈良県橿原市在住、いろいろあって自宅通学にしたようです。ただ、ここから神戸大へ行くのは結構なチャレンジ。とりあえず、神戸大学へ行くとして、最寄の駅は、近鉄・JR両線使えそうですが、ちょっとだけ便利そうな近鉄大阪線と考えてルート検索します。(このあたりは筆者は土地勘はありますので多分コレ)

始発駅は近鉄大阪線大和八木駅あたりと仮定、いざ出発!

近鉄大和八木駅近鉄大阪阿部野橋駅天王寺

近鉄大阪阿部野橋駅で大阪メトロ御堂筋線天王寺駅に乗換え

③大阪メトロ御堂筋線天王寺駅➡大阪メトロ御堂筋線梅田駅

④大阪メトロ御堂筋線梅田駅➡阪急神戸線大阪梅田駅に乗換え

阪急神戸線大阪梅田駅➡阪急神戸線阪急六甲駅(多分西宮北口駅で普通に乗り換え)

⑥神戸市バスで神大正門前(六甲台第1キャンパス )へ➡正門から坂登って経営学部へ

 神大はキャンパス内も坂がきいのですが、一番上のところに商学部はあります。

 ※慰めの言葉をかけるとすれば夜景はとてもキレイです。

以上の所要時間は約2時間。特にラッシュアワーと重なる1限目の授業は大変だったと思います。それで授業が終わって同じ道を帰宅。これもしんどそう。高市さんはこれだけでも普通によく頑張って通学したといえます。

政権の特色として言えること ー関西圏の初等中等教育は優秀?ー

高市さんは、奈良県の公立小中高で学びました。維新の会関係でも、吉村さんも藤田さんなど大阪府の公立小中高の卒業者。高校卒業後も首都圏以外の大学卒業出身者が多数。ついでに言えば今年のノーベル賞受賞2名も関西圏の大学。近年、首都圏を中心とした富裕者層の中高一貫校への嗜好や首都圏の(意味不明な)大学人気の中、『(地方にある)普通の学校で勉強してがんばっても大丈夫なんや』の発想が芽生えて欲しいものです。

最後に宇野さん(宇野宗助さん)も忘れないで…

1943年(昭和18年)10月に旧制神戸商業大学(現・神戸大学)に進学。しかし2か月後に学徒出陣となり、そのままシベリア抑留となってしまい大学は卒業できていません。それはそうとしても、一応、同じく自民党総裁なのに大学として知らん顔するのはちょっと可哀そうな気がします。

 

 

ゲレーロJr. さんの出生地ということでモントリオールを思い出してみた

メジャーリーグも最終盤。オンタリオはともかくとしてケベック出身で活躍している方がいるとは知りませんでした…

カナダケベック州出身のメジャーリーガーって…

Toronto Blue Jays でがんばっているゲレーロJr. (Vladimir Guerrero Ramos Jr. )さんってカナダ国籍でなおかつケベック州モントリオールのご出身ということで驚き。ドミニカ共和国の国籍もお待ちのようですがカナダではよくあるお話だと思います。ご両親の関係で話せる言語はスペイン語とフランス語、そして英語もだいぶんお話可になってきたとか。これもカナダではよくあるお話。

で、よくあるお話ではないのが野球。筆者は一年モントリオールにいましたが、一年の半分以上は屋外競技には適さない環境だし、実際、若い人たちがバットやグラブをもって遊んでいる姿もみたことありません。そんなところで育ったゲレーロJr.さんの活躍が興味深く感じてしまいます。また、地元モントリオールの人たちはどんなで応援しているかも気になります。あとはお写真で。

【写真1】 Rogers Centre ブルージェイズのスタジアム これはドジャースじゃなくてヤンキースの試合。この場所は、本当にトロントの中心部にあるので見に行くときすごく便利です。おとなりには Scotiabank Arena(NHLのToronto Maple Leafs・NBLToronto Raptors がみれます)で、下のお写真はゴジラさんの時代ですからかなり前。当日バックネット裏の席を買いましたがそれほどのびっくりではない価格。※なお、ここはカナダですから、✕ Center・〇 Centre になります

【写真2】高等教育中心のブログですから少しは学びのことも。以下ケベックケベックの時制表現 分かりやすいのでホテルに泊まった時すかさず撮ったもの。以下でフランス語の勉強をしてみます。

フランス本国でのお食事の時制の変化

フランス本国のホテルに泊まりその次の朝、お腹がすいたので朝ごはんの会場はどこかと探していると【le petit déjeune ➡】の案内を見かけます。で、フランス本国での記載は以下のとおり。

朝ごはん petit déjeune

お昼ごはん déjeuner

夜ごはん dîner

それがケベックへ行くと写真のように変わります。ご承知のとおり(知ってることを前提として書きますね)、1763年のパリ条約によりフランスは、イギリスに対して北米にあったフランス権益の大部分を放棄しました。そのあとのケベック(旧ヌーヴェルフランス)に取り残された人(貧農とイエズス会組織の人)は、イギリス文化に囲まれた中で独特の生活を強いられます。なお、イギリス統治時代においても、フランス語の利用は認められていました。ただし、フランス本国との交流は途切れたので、少しずつ表現方法に差が出てくることに。それのわかりやすい事例が時制。それ以外のことはよくは知りませんが、フランスはベルギー・スイスのような近隣国や世界各地に海外領土を持っていましたので、その場所ごとにちょっとずつフランス語の表現方法が異なってくるようです。で、この写真はモントリオールにあるホテルの案内。筆者の予想では、ホテルの宿泊者は英語話者が中心になるのであんまり気づく人は少ないと思います。

朝ごはん Déjeuner

お昼ごはん Diner

夜ごはん Souper

※写真にある dépanneur(日本語的発音はデパニュー)は、コンビニ。英語の対訳 Convenience となっていますね。

【写真3・4】その頃(どの頃?)の East Asian Studies, Mcgill Univeristy の掲示板。今現在はもっと中国関係が増えているんだと思います。



 

【良し悪しを決めるのはあなた!】大阪公立大学森ノ宮新キャンパスあれこれ グランドオープン情報①

ついにグランドオープン。大学職員のランチタイタイムのお笑いネタとしてご活用ください。なお、大阪ローカルを注釈なしのそのまま書きますのでがんばってついてきてください。大学職員の方には新キャンパスを作ったらどうなるかを学ぶ良い機会になると思います。

新キャンパスに何ができるの?

ハム大森ノ宮キャンパス建設の意味合いは二つ。一つは、いくつもあるハム大キャンパスの本部機能を持ちます。そのため、次回の工事(1.5期工事?)では、(いわゆる)理事長さんや学長さんのお部屋も作られます。で、主たる目的は、(いわゆる)すべての学部一年次学生への初年次教育の場となります。ハム大の説明では、中百舌鳥・杉本町キャンパスのようにキャンパスが分散していて、すべての学生が集まれる場が無かったので(筆者には大きく説得力の欠ける説明に感じます…)、初年次教育(いわゆる)ぱんきょ~を行う場として作られたようです。ただし、文学部と生活科学部(一部)と医学部リハビリ学科は、卒業(修了)するまでの間、ここでお勉強することになります。それもなんだか違和感を持ちますが…。

近年、日本の大学で、初年次教育のため、これだけ大規模に新たにキャンパス・建物を作ることもレアですので、大学職員の皆さんがいるそれぞれの大学においても学びになるとも思います。なお、ブログの内容のうち、大学に関する情報は、ハム大HPから得ています。ですので皆さんも筆者同様みることは可能。では進めていきますね。

キャンパスはどこ?

場所は、大阪市城東区。このわかりにくい写真(下)は、筆者がJR環状線天王寺発➡大阪行きに乗り大阪城公園駅北あたりから撮ったもの。右上にある茶色っぽいの⇩建物が森ノ宮キャンパス。お隣の白いのがURさんが1970年代に建てた高層住宅群。

ここで学ぶ学生への通学区間証明(通学定期の発行)ができる駅は、森ノ宮駅(JR環状線・大阪メトロ)、京橋駅(JR環状線・大阪メトロ・京阪)、鴫野駅(JR学研都市線・大阪メトロ)、緑橋駅(大阪メトロ)と、たくさんあるように見えアクセス豊富そうですがさにあらず。現実的には多くの学生は、森ノ宮駅からの(10分以上)歩きになりそうです。別ルート、特に京橋駅・鴫野駅方面は、(一応)通学推奨道路上に歩道スペースがなく車がビュンビュン行きかう道路。それに、そもそも距離が長いので行くにしても帰るにしても歩くのがだるおもになります。筆者なら強め雨が降っていたら帰宅するかもしれません。なお、直線距離で一番近いJR環状線大阪城公園駅は、安全上の理由で対象外になります。

【写真1】JR大阪城公園駅を大阪方面へ電車が動き出してのすぐの眺め、見てわかるように直線距離でもかなり遠方にあるのがわかります。で、駅とキャンパスの間にはJRとメトロの車庫があるのでダイレクトに歩くことはできません、そのため、将来的には、この駅の北側から歩行デッキを第二寝屋川沿いに作り、大阪メトロ森ノ宮新駅まで結ぶ計画があるよう、、ですが、、JRの線路を回り込んで作らないといけないのでかなりの距離ロス、多分、そして結局、森ノ宮駅~森ノ宮キャンパスまでの距離と大して変わりません。この遠さ、距離感を東京でいうと東西線大手町駅から京葉線東京駅まで歩いていく感じ。新しいデッキにメリットがあるとすれば、環状線にのる選択肢が森ノ宮駅以外にもう一つふえたことくらい…

この地の歴史を紐解く

まず、森ノ宮の由来。多くの人は、普通にどこにでもありそうな名前と感じると思いますが、いやいやそれが…。その由来は、JR森ノ宮駅の近くにある鵲森宮(かささぎもりのみや)神社によります。創建は崇峻天皇二年(589年)!。聖徳太子が唯一自ら創建した神社といわれ、単なる伝承だけでなく、多くの古地図、古文書(日本書紀!)にもこの地に神社があることが書かれているようです。ついでに聖徳太子つながりでいえば四天王寺さんもご近所でお待ちしています。

そして時は流れ、この場所が改めて、歴史上知られるようになったは、石山合戦のあたりから。この地を拠点とした大坂石山本願寺顕如さんが、織田信長さんの勢力と互角の戦いをした場所。それを横目で見ていた豊臣秀吉さんは、この地が、陸運、水運、海運のハブとなる好立地であるところに目をつけて大坂城を作ります。

大坂の陣~江戸期

冬の陣の際は、南北に流れる平野川の東岸が徳川勢の上杉景勝さんと佐竹義宣さんのポジションとなり布陣。当時は遮るものがなかったので、この地から大坂城天守閣を眺めることができたと思います。ただ、この場所は、平野川以外にも多くの河川・運河があったので豊臣側にも徳川側にも直接対峙する戦闘には不適な地だったようです。

で、時はもう少し流れ、江戸期には、平野郷や、さらに奈良方面からの物資の運搬に重要な役割を果たしていたようです。そして今では普通の川になりました。

大阪陸軍造兵廠

明治期より置かれた重要な兵器工場。(帝国陸軍最弱と噂された…)大本営直轄大阪第四(淀)師団とともに拡大を続け、昭和初期には大坂城の東側一帯は巨大な陸軍の軍事工場・研究所が立ち並ぶようになりました。

で、そんなところですから、アメリカ軍の空爆の対象となり、昭和20年3月頃から何度も爆撃の試みがありましたが、そのたびに天候等々の幸運があり難を逃れてきました。しかし、終戦前日の8月14日にB29約150機による大規模空襲を受けて完全にがれきの山に。爆撃には焼夷弾ではなく数百発の大型一トン爆弾の集中投下が行われ、そのうち四発が国鉄京橋駅方面に着弾。駅構内に避難していたおびただしい人が亡くなります。一トン爆弾は、当時爆撃機に積載できる最大サイズの爆弾で、その威力はいわゆる着弾地点に大きなクレーターができるレベル。大変お気の毒なことです。また、その時投下された際の一発は、爆発しないまま眠り続け、ハム大新キャンパス造成中に不発弾とし見つかり、その撤去のため、キャンパスのオープンが半年遅れてしまいます。

大阪府立成人病センター、そしてハム大森ノ宮キャンパスへ 

そんなこともあり、戦後、この場所は、しばらくがれきの山でしたが、徐々に再開発が始まり、まず、国鉄と地下鉄の車庫となり、そのお隣に大規模な病院建設が行われます。そして昭和34年、この地に本邦初の成人病センターが発足、長年大阪における高度先進医療の中核を担う基幹施設として国から認定され、全国の大学病院、国立がんセンター、国立循環器病センター(当時)と並ぶレベルの医療を提供してきました。しかし時はまた流れ、老朽化等により中央区大手前地区へ移転。名前を大阪国際がんセンターとし高度医療の提供を行っています。そんなで大阪府市が意図するヒガシエリアの拠点には何もなくなったので(使えそうな土地もあるので)大学の誘致をすることになったんだと思います。

そしてそして、長くなりましたが、その跡地がハム大森ノ宮新キャンパスとなります。ハム大は公立大学ですので、大阪府市の都市計画・まちづくりに否が応にも巻き込まれてしまうことを学ぶことができます。

www.soumu.go.jp

新キャンパスへのバーチャルツアー   

通学区間は4駅を指定

この4駅の意味とは、(多分)JRさんやメトロさんと相談し、学割定期が発行してもらえる駅の意味。ただし、現実的には、ほぼすべての学生は、JR森ノ宮駅(メトロ森ノ宮駅)を利用します。多分。

そのため、森ノ宮駅から出発するとして、以下のようなルートでご案内。ルートは非常に単純ですが、歩いてみれば以下のことがわかります。それでは、普通に Google Street View 的に見ていきます。(ほんとに)興味のある方はご自身でチェックしてみてください。では、森ノ宮駅(南口)を降りると、まずは東へ!

阪神高速の高架の下にある中央大通りを東へ歩く。

この通りは、中央分離帯付きの片側2車線道路で歩道も広々し、とても歩きやすい雰囲気。歩く歩道は進行方向左側の道を選択。特に道に迷うことはありません。※早速蛇足ですが、西側へ歩くとすぐ大阪城公園への大きな入口がすぐにあります。いつも素敵ですが、特に桜や紅葉の時期をお楽しみください。

疎開道路を左へ

この角には、目印となるロイホー(ロイヤルホスト)さんがありますのですぐに認識可。なお、このロイホーさんが、新キャンパス周辺で一番しっかりとしたお食事ができるお店となります。また、もう少し東側にあるメトロ緑橋駅を利用する人も同様にこの角からキャンパス方向に向かいます。

疎開道路をしばらく歩く

ほんのしばらく歩くと、森ノ宮病院さんという病院が見えてきます。改装後でとてもきれい、この森ノ宮病院さんの付近には、セブンイレブンさんとローソンさんがあり、さらに歩くとデイリーヤマザキさんもあります。で、森ノ宮病院さんあたりから通学方法の規制が厳しくなり、森ノ宮病院さんとUR団地さんの敷地内への立ち入りは禁止、(救急車等の緊急車両がよくくるらしい)特に病院前交差点は横断も(何故か)禁じているので。ここに来るまでに左右どちらかの歩道を決めて歩かないといけません。特に左側歩道を歩いていたら、デイリーヤマザキさんのあるところで横断歩道を渡る必要があります。こんなことでイライラして大学とケンカしても仕方ありませんでの言われたとおりにしましょう…。

で、森ノ宮病院さんからキャンパスまではUR団地が続きます。他には何もありません。ですので、生協以外の食べ物・飲み物をキャンパス内で食べたい・飲みたい場合は、このあたりコンビニ三つで購入する必要があります。※蛇足その2、病院内には売店とおいしそうでお手頃価格な院内食堂がありますが、病院に迷惑がかかるので行っちゃダメです。(特にココは阪大系病院)

④北に向かって歩く歩く!

森ノ宮病院さんより北の景色は進行方向東側にURさんの高層団地が立ち並びます。今現在は、近大さんや関大さんのように駅前に学生向けのいろいろで商売をしている駅前城下町は全くありません。健全と言えば健全。

⑤キャンパス到着!

キャンパスというか敷地内に大きな建物がドカンと一つ、筆者の印象的には大学の建物には見えません。表現するのも難しいのですが、映画館やスポーツ施設が入った巨大構造物のように見えます。今現在の状況を眺めていると、東側敷地に余裕があるように感じるかもしれませんが、このスペースは、1.5期工事という次の建物建設が進むので、広く感じられるのは今だけ。なお、道路を挟んだ西側には、府市の事業で、メトロ新駅と多目的ホール(10,000人収容規模のアリーナらしい)が作られる予定。また、メトロ新駅と、キャンパスを地上二階から結ぶための通路はすでに準備済。

⑤ためしにもっと北方面へ歩くと…

キャンパスを超えると大阪市営中浜下水処理場が見えてきます。見た感じは普通の大きな工場。さらに歩くと第二寝屋川を渡る橋が見えてきて京橋駅へ行くことができます。

 

筆者の気づき ーJR大阪駅天王寺駅からキャンパスまで歩きで最低25分は必要ー

ハム大HPによると、主要駅から森ノ宮キャンパスへのアクセスというのがあって大阪・天王寺から約20分としています。それはちゃう!と筆者は疑い深いので調べてみました。

まず、大阪駅天王寺駅から森ノ宮駅まで10分というのはわかるとして、そこからが謎。所要時間のモノサシを、隣接するUR森之宮第2団地~JR森ノ宮駅までとして計れば、徒歩で約10〜13分、距離にして約800m換算。suumoさん等での、時間表示は、多分団地住宅の位置によってそれぞれ10分~13分と算定していると推測します、、ハム大キャンパスは、UR団地のさらに北側奥にありますのでどう考えても13分以上必要と考えるのが妥当。また電車の待ち時間も入っていませんので、結論的に大阪駅天王寺駅双方からキャンパスまで20分で行くためには、思いっきりダッシュして走らない限りムリです。

まあハム大さんも『約』は入れてはいますが四捨五入するなら少なくとも25分もしく30分の記載が妥当。筆者に言わせれば、ハム大は、Do not count the number of mackerel roughly. といえます。(意味がわかり、しょ~もな~…と感じる人が一人でもいることに期待します。)※で、筆者は(何気なく)ハム大が時間にこだわるのは何か別の理由・意図がある…と勘ぐっています。それはおいおいにして…。

建物構造が特徴的

見た感じは一棟の大きな十三階建ての建物。十三階建てとした理由は、大阪城天守側から眺める際、建物が生駒山系の稜線を超えないようは配慮したとのこと。四百年の時が過ぎても太閤殿下への敬意がしのばれます。

で、ざっくりの建物の使い分けですが、一階が全ての学生さん関係(食堂・多目的ブース12部屋、音楽演奏可なサウンドスタジオが6部屋etc)、二階は管理部門(事務室etc)、三階~七階が講義関係(教員室+講義室)・ライブラリー(ハム大では図書館のことを『ライブラリー』と呼ぶ)。八階より上は文学部等の学部専門科目の授業が行われる場となり1年次生にとっては別世界。ちなみに面白構造として、エスカレータは、七階まで上り専用で設置。下りどうするかというと、お隣に設置された階段を使うことになります。もはや高齢?の筆者は、単調な下りの階段の方が足がもつれて転倒しそうで怖いです。若い人でも特に雨の日漫然と上り下りしていたら思わぬ事故につながります。十分お気をつけください。なお、エレベータはたくさん設置しているようなので上層階へ行く時にはエレベータをという仕分けをしているんだと思います。

なお、消防法上は、コの字構造になっていて、建物は二ないし三つある形、非常時にはそれぞれの区画の防火・防煙シャッターが下りる仕組みだと思います。(昔、大学の某庶務掛で働いていたころ学んだ記憶があります。間違ってたら御免なさい。)また、建物の構造・性質上、大きな火事の心配はなさげです。あとは津波南海トラフ)対応あたり?。キャンパスのあるあたりは、海抜3m程度。第二寝屋川平野川への津波の遡上は十分あり得ます。

そんなで、初年次教育をうける学生さんは、基本的には一階~七階を用いて一年間授業を受けることになります。一年たったら基本的にもう二度と来ることはありません。というか戻ってきちゃダメです。

で、改めて初年次学生向けスペースですが、

一階:食堂・アリーナ・学生厚生施設etc

二階:事務の管理部門

三階:講堂・森ノ宮キャンパス以外の教員のための控室

四階:ライブラリー・教員居室・教室

五階:ライブラリー・教員居室・教室

六階:教員居室・教室

七階:教員居室・教室

ですので、

外見上大きな建物ではあるのですが、以上のいろいろが入っていて思ったほど余裕は(多分)ありません。一階~三階は、授業としては(ほぼ)使用せず、四階・五階もライブラリー(図書館)スペース等が大きく占めているので、多くの初年次学生が学ぶ場所は六階・七階が中心になりそう。

なお、八階~十三階は、使用する用途が異なりますので、実際初年度入学の学生さんの使う範囲はこの建物の半分以下程度となります。

この初年次教育のため、大中小70近い教室を用意しているようですが、固定座席には全員分の電源コンセントを用意しているとのこと。BYOD(Bring Your Own Device)を標榜している大学ですから、やることはやらなきゃなりません。このあたりは(当然ですが)ご立派だと思います。また、車いすスペースもちゃんと用意しているよう。

で、この建物の設計施工は、竹中工務店さん&安井建築設計事務所さんのゴールデンコンビ。HP見ていると京都競馬場(新装)、東京でいえばサントリーホール(リニューアル)なども実績として手掛けるなど超一流。多分、国立大学では、この規模の新造工事をこのような実績ある大手に委ねることはないと思いますので、その意味でも完成度に注目です。

www.yasui-archi.co.jp

キャンパス内情報

森ノ宮キャンパスでは、生協(購買・食堂)さんはチャレンジャー?

筆者が思うに、そもそも、多分当初からの敷地面積、建設計画etcにおいて、学生向けの福利・厚生施設の割合・配分が少なめ?だったのかもしれません。オープンの際のメディアの視線は、無人店舗や食堂リアルタイム混雑予報等に向くと思いますがその実体は…。

①一階食堂は大混雑予想

一階食堂は、約700席を用意。大学の想定では、『6000人の学びの場』としていますので座席が充分なのかがポイント。で、大学・生協は、オープン前から座席数不足を大アピール。そのわかりやすい理由は、他大学の食堂座席配分数と比べ、かなり少な目であることが問題意識を生んでいるんだと思います。また、700座席があっても、学生さんは詰め詰めに座るものでもありまぜん。リュックやカバンはお隣の席におくものです。オトナもみんなやっています。あんまり責めたら可哀そうです。※ご参考までに(とても素敵な)上智大学さんと比較すればその差を感じ取れると思います。

で、そんな混雑の解決策として、科学的な検証を行い、食堂の混雑状況の可視化により、混雑・人流に関するリアルタイムな情報提供を行う予定。要は、各所に人感センサーを置き、いまどこにどれくらい学生がいるかを分析、食堂の混雑予測を行うという画期的・先進的な試みを予定。筆者のようなアナログ人間は、お昼前の授業科目の履修登録者数を曜日ごとに把握していれば、アラートを出すことができてしまうのでは、と考えがちですが、そんなんじゃダメみたいです。ただ、結果的には、大学・生協の予測もおおよそ同じで、午前の授業終了後20分間が混雑のピークと予測。この時間帯を乗り切るため、作るのに時間を要する麺類の販売は一時的に13時まで休止するとのこと(要はお昼時はうどんやラーメンは食べることができない)。筆者個人的には、そこまで予測が出来ているなら人感センサーなんかいらんやんの気持ちになります。また、食堂以外の施策として電子決済(済)の弁当の出張販売も各階で実施する予定で混雑緩和の対処をするようです。

いろいろ学生のみなさま、大変そうですが、みなさんはオトナですから『それやったら最初から食堂をサイズアップしてたらよかったんちゃうん?』なんて思っていても言ってはいけません。

キャッシュレス(現金不要)を前向きに考える

そんなんで、生協としては、忙しい時にレジで現金を渡されるのは面倒なので、生協による nanaco 的な電子決済システムを使ってもらい、レジでの滞留時間の節約に取り組むとのこと。さらに派生型として(日本全国にある大学生協発となるらしい)スマホでオーダーし現物を受け取ることもができるシステム、事前登録していれば、そのままお買い物したらレジを通さず完了となる無人店舗(ウォークスルー型のキャッシュレス無人店舗)もあったり斬新なシステムのショーウィンドウ化も進めています。

なお、筆者としては、ブログの書き込み日が9月23日ですが…そろそろ食堂で何が食べられるか、お値段はどのくらいか教えてあげても良いと思います。(HP上では「主菜・副菜」と「丼・カレー類」のまま時が止まっています。)お忙しいとは思いますが是非ご検討を。

冷たいお水はいつでも!でもお湯は?

キャンパスの食堂では、湯飲み・コップは無くして自費で紙コップを買うようにして現金化されます。SDGsと地球環境のためなら仕方ないことです。その代替措置として、マイボトルを持参すれば給水器からお水をいただくことが可能。お水には、Evian(硬水)やいろはす(軟水)等々様々なタイプがありますが、こちらでは、軟水で高度処理(活性炭やオゾンによる高度浄水処理したもの、いわゆる水道水)を提供。(ただ、一説には)東京の水道水よりおいしく感じられるようです。

で、おいしいお水はとってもありがたいのですが、お湯は?、そんなことは、Don't think, just do. の気持ちにならないといけません。

また、即席系のカップラーメン類については、キャンパスにおけるサスティナブルな循環型社会づくりに取り組む必要がありますので、残渣(残り汁)問題を考慮して、当⾯利用不可。また、当然、UFOあたりも湯切りが必要なので当然(多分)アウト。ただ、飲んで終わりのカップスープ類は別途検討してくれるようです。なんだか、地球環境やSDGsといえばなんでも許される風潮を感じる日々。特に冬場に温かいものなしは身に染みます。

こんな出来事たちにピヨピヨの一年次生たちはどう立ち向かうのか注目です。

omucoop.jp

『知の森』に書籍部(本屋さん)はありません

多分、こちらもスペース上の問題が最大と思いますが、学術書籍を購入できるような購買部はありません。大学関係者以外なら大した話じゃないかもしれませんが、授業や学究のため本に触れ、購入する機会はたくさんあります。Web上での購入も進んでいますが並んでいつ本を物色すらできないことには疑問。また、当初生協は授業用書籍の配布すら行わない(学生の自腹で宅配(数千円)?)ようだったのですが、結局、さすがにそれはあかんやろ!ということになったようで、キャンパス内で購入の電子決済をした2日後にキャンパスの指定箇所でもらえる仕組みにしたようです。ただ、今回はあくまで例外的に教科書購入での便宜が図られましたが、本難民の状態は続きます。

筆者がサジェスチョンするなら、Amazon さんetcでは、かなりの学術専門書籍も購入可能。また、お財布にやさしい中古品もあったりしますので、学生の皆さんトライしてみてください。

⇩隣の芝生で、ない物ねだりしても仕方ありませんが、、上智大学さんは素敵です

www.sophia.ac.jp

ここまでで、文字数9,000カウントに達しましたので、このあたりで一旦区切りとし、後半部分で、教務関係・学生関係+総括と考えてみたいと思います。読んでる方もお疲れ様でした。See you soon.