いろんな人の経歴を書きます。その理由・説明はあとの方で。
欧米ではこんな感じで普通
北米代表 ラマール先生
学歴:
1977-81 B.Sc. (Biology) Georgetown University, 1981
1981-82 D.E.A. (Oceanology) Université d'Aix-Marseille II, 1982
1982-85 Docteur ès Sciences (Oceanology), Université d'Aix-Marseille II, 1985
1986-87 M.A. (East Asian Languages and Civilizations), University of Chicago (Thesis: The Transaction of Language and Desire in Genji monogatari)
1987-92 Ph.D. (East Asian Languages and Civilizations), University of Chicago, 1992
職歴
1987-1988 Assistant Instructor, East Asian Civilizations, University of Chicago.
1990-1991 Coordinator, Center for East Asian Studies, University of Chicago
1992-1997 Assistant Professor, Department of East Asian Studies, McGill University
1997-2007 Associate Professor, Department of East Asian Studies, McGill University
2001-2004 Chair, Department of East Asian Studies; Director, Centre for East Asian Research
2007- 最近退職 Professor, East Asian Studies & Associate, Art History and Communication Studies
現在- Distinguished Service Professor in the Department of Cinema and Media Studies, East Asian Languages and Civilizations, and the College
➡ジョージタウン大学は(ご承知のとおり)言わずと知れた泣く子も黙る超名門大学、次いでエクス=マルセイユ大学でMDを取得。ここまでは、生物学・海洋学のような自然科学系分野に関心を持っていたことがわかります。ところが1985年ごろ、何かに目覚め?源氏物語研究の世界へ。改めて(こちらも超名門)シカゴ大学でMDを取得しなおしています。(言い方には注意が必要ですが)アメリカのエリート層(知識があり裕福)の典型的キャリアとも言えます。また、ラマール先生はフランス語も普通に話せるのでフランス語圏で学ぶことも教えることも造作ないので、マギル大での居心地も良かったんだと思います。で、今現在は、シカゴ大学の特別教授(Distinguished Service Professor)。
北米では基本的に、40歳くらいまでは、いろんなところで学び、教え、それが固まってきたら固定したところ(McGill Univ.)に落ちつく感じ。
EU代表 Markus Gabriel(マルクス・ガブリエル)さん
ヨーロッパの研究者代表に選びました。筆者はあまり存じあげませんが、最近出版物、テレビで引っ張りだこの方。ドイツ・ボン大学にお勤めですが、活躍の場は世界。わかりやすいドイツ観念論の再構築(筆者はテキトーに書いてるんで間違っていたらすいません)の分野で脚光を浴びています。
※筆者が書いている出典は、以下の非常に詳細なpdf版英語履歴書Markus Gabriel (Curriculum Vitae – January 2023)から用いています。眺めていて日本人の研究者も見習ってこれくらい自分のキャリアを㏚しないといけないのかなあ、と感じるすごいボリューム。
ガブリエルさんは、人気者すぎて多少特異ですが、DAADやAvH等々の(ドイツ政府の)助成を受けているのはわかります。また、ドイツ国外でも、アメリカ、スイス、(なぜだかたくさん)ハンガリー、ポルトガルでも様々なポジションで活躍されていることもわかります。EU域内での活躍については、ERASMUSの影響もあるのではと筆者は推測します。オコチャマ的な物言いになりますが、日本人の先生もガブリエルさんみたいにたくさん言葉が話せたら活躍の場が広がるんだと思います。
日本代表 斎藤幸平さん
日本代表。先にお示ししたお二人のような、今現在、欧米で普通に行われている人材流動性についていける日本人の研究者は、斎藤幸平さんくらいしか思いつきません。
東大(ちょっとだけ)→ウェズリアン大学→ベルリン自由大学→フンボルト大学→カリフォルニア大学サンタバーバラ校(JSPS海特)→大阪市大→東大
簡単に言えば世界のどこでもやっていける人。筆者には、東大でポジションを得たとかでそれで終わる人には見えませんし、終わってはいけない人だと感じます。というか、このレベルで教育・研究ができ、海外の大学からお呼びがかかる日本人教員がたくさん出てこないことには日本の高等教育は変わりません。
グローバル感なし
最初に日本の先生たちの英語能力。まだ、工学系・自然科学系分野では、Nature や Science を代表とする国際学術誌への投稿のような目的をもって研究している先生たちも多いのが救いですが、人文社会科学系分野は絶望的。(少なくとも)英語で海外に研究成果の情報発信ができる人材が極端に枯渇しています。反対に言うとこのことは欧米の学生・研究者が日本に来て気楽に学んで研究する際の障壁にもなります。日本人でもノーベル文学賞を受賞したり、毎年期待されている人がいることを見ても、文章の多言語化により海外の人に良いものを知ってもらうことがとても大切なことがよく分かります。だって英文学や英語学教える先生まで日本人である必要はありません。前世紀(1990年代)の文部省・文部科学省の資料を眺めていても国際化の進展なんて言葉は今と同じような調子で書かれています。例えば、これをクイズにして『この国際化に関する文書は1995年のものですか?2020年のものですか?』と出題したら、たくさんの人が不正解になる難問になりそうです。で、結局のところ、同じことを繰り返し停滞しているのが日本の大学の姿。
もう一つのポイントが教員の人材流動性。欧米の基本パターンは、40歳手前までは、様々な大学でキャリアを積み、それ以降は、安定したポジションで教育研究を行うのですが、日本の場合は、どこかでポジションを得たらそこに固執。流動性はなかなか起こりません。筆者が考えるその理由は、①大学で働くことを雇用の面(職を奪われる)で捉えがち、②違う大学へ移るにしても私大を中心とした大学間の教育・研究環境のレベル差への懸念、あたりの影響が大きいのではと感じます。以下のとおり文科省も昔からいろいろやってはいますが、代わり映えなし。
まとめ
言いたいことは、(ホントいうのも恥ずかしいのですが)日本の大学・大学教員の国際的な孤立。英語が話せないことは、英語が話せない英語教師が教える初等中等教育時代の英語授業の影響もありますが、大学教員の英語による情報発信能力のアップは(これもいまさらですが)急務。大学関係者がTHEのような国際大学ランキングを気にするのであれば、そもそもレベルでの英語の学術論文作成の強化、教えている教員自体が日本国内だけではなく、海外の大学でポジションをとり活躍できる仕組みづくりがこちらも急務。でないと、日本の大学の国際的地位は低下するばかり。今さらですが、明治時代、船に乗ってはるばる海外へ行き、西洋の知見を持ち帰って人たちもたくさんいたのに、今の日本の現状は悲しくなるばかりです。www.mext.go.jp