FOU’s blog

日本の大学 今 未来

【難解注意】令和5年度「人文・社会科学系ネットワーク型大学院構築事業」の募集情報をもとにいろいろ考えてみる

この拙文は、長いしわかりにくいし書いてること自体を理解するのにもかなりの専門知識が必要です。大学関係者以外の方は読んでも疲れるだけだと思います(普通の大学職員でも疲れます)。あらかじめご留意のうえお読みください。※誤字脱字はおいおい修正していきますのでこちらもご容赦を。

はじめに

MEXTが、人社系大学院のたてなおしを図るため、記載の事業募集が発表されました。今の状況が良くないから変える必要性があるので募集をする、という理解で良いと思います。読んでみる限り予算もショボく(何かのあまり?)効果は限定的に見えました。

筆者的にはどちらかというと、この事業自体より、なんで今の大学院がダメなのかの現状分析の方がよくまとまっていて興味深かったので、そちらを中心に考えてみます。特に若手(筆者の相場観では40歳くらいまで…若くもないか…)で大学院関係の教務や研究助成の仕事をやっている大学職員の方には(筆者の戯言のブログ内容なんかはどうでもよくて)MEXTは、どう日本の人社系大学院について現状認識しているのかを知る良い機会になりそう、きっと。※そんなこんなでこのことをブログに書いても読んでもらえそうな読者層自体非常に限定されますが、費用対効果より世のため人のため?高等教育の将来のため頑張って書いてみます。

この事業の目的 ー⼈⽂科学・社会科学系大学院の活性化を図りたいー

この事業を実施する目的は、うまくいっていない日本の大学院の中でも、特にこのフィールドがうまくいってないから、それをなんとかしたい。この事業でMEXTが課題としている部分は以下のとおり。(珍しく?)筆者の問題意識とほぼほぼ合致します。で、その根拠・動機づけになるのが、「第6期科学技術・イノベーション基本計画(令和3年3⽉26⽇閣議決定)。※以下要旨は筆者によりさらにかみ砕いています。

①量的規模(⼤学院進学・修了者)が(世界と比べて)極端に低いことを何とかしたい

非常にわかりやすくいうと、日本には文系の大学・学部はたくさんあり、学生自体は入学してくるのだが、みんな4年で卒業したら社会に出てしまい、継続的に大学院で学ぼうとする学生がとても少ない。この状況は、他のG7やEU圏内の諸国と比べても突出している。

②社会的評価や認知の不⾜

今学んでいる学部学生ですら、大学院が何のためにあるのかよくよくかわかっていないし、経済・産業界においても、このような大学院修了者の高度人材としての活用・利用価値についての理解度が低い(というか、学位取得者の社会的評価が固まっていない)。余談:筆者の大学時代の友だちで一部上場の技術開発系企業で働く人物の大学院修了生の評価も『頭でっかち・ひ弱・融通が利かない』で(特に企業では)役に立たん!と普通に言います。多分、世の中の人も(先入観として)こう考える人が多いのかもしれません。また、有名どころの企業の人事評価でも、修士・博士号取得者に対して(単なる肩書だけで付与にして)給与・身分上のインセンティブを用意する仕組みを作られていないところがたくさんという状況。

③⼤学院そのものの課題

そもそも、この事業の説明をする際、こんなお話をすること自体アレですが、日本では、今なお学生が大学院へ行くことへの目的が(恥ずかしいお話ですが)明確化されておらず、将来への安心できるキャリアパスにもなりえない。また、大学院のデザインも小規模専攻の研究科が多くて、学生の学びに対応する仕組みができていない。そして教えている教員たちも、講義をするにしても論文指導をするにしても旧態依然の日本式一方通行の授業しかできていない。

※この募集では、『小規模専攻』という言葉が良く使われていて、それが課題だ、というもっていき方をしています。でも、筆者はあまりそう感じません。多分、規模という意味では、旧帝大大学院とそれ以外で区分けしているのだと思いますが、それは運用次第で整理がつきそうで、本質の問題は後に記す部分にあるように感じます。

この事業での試み ー⼈⽂・社会科学系ネットワーク型⼤学院を構築してみるー

日本国内に(無駄に)散らばっている小規模大学院をネットワーク化するような仕組みを作るとともに、学生へきめ細かな研究指導の実施を行い、同時に修了者(学位取得者)が働ける場所(産業・経済界、公的機関etc)について、すり合わせる機会を設けようとするもの。で、このような取り組みをするため、最大(一採択につき)4000万円くらいお金をもらえる仕組みの事業。合言葉は、社会と繋がる教育研究ネットワークを構築。申請上の要件としては、2つ以上の大学(院)が連携して(この事業に合わせた4人以上の教員体制と20人以上の大学院生を集めたうえ)応募することになります。やりたい大学院さんは是非ご応募ください。

余談: 応募資格の中に、学⼠課程(全学部)の収容定員充⾜率70%(以上の大学)が書かれていること。この数値は、ここ最近、何かしらの事業募集の際よく書かれるお約束のものですが、実際、学部レベルで70%程度の充足率が気になる大学さんが果たしてしっかりした大学院事業への応募が出来るのかどうか…ちょっとハラハラします。

この事業に対する筆者の考え方 ーとりあえずやってみなはれ(サントリー的)ー

筆者の考えは、取り組み的には一つのモデルケースにはなるのでやらないよりやってみるのも良いと思います。気になったポイントをいくつか。

①小さいのがくっついたら良くなるのか?

大学院では、課程を問わず、学生たちは学位論文を作成するために学びます。そのため、学部の学修時代と異なり、授業・講義での学びよりも課題研究&論文作成に関する演習・指導の時間に比重をおきます。そのため、この事業では、大学院間で足りない専門的な研究分野・内容の補完を行うことが院生の利益につながると考えます。

ただ、筆者の考えでは、そのような効果は限定的なものに思われ、仮に、どこかの大学院に似たようなフィールドがあるとして、そのポイントだけで、他の大学(院)に足繁く通ったりすることへのメリットは感じられません。多分、そのようなことは、ターゲットとなる先生への公式・非公式を問わない zoom・Skype を用いた遠隔での相談、同様に学会活動などの際での意見交換が気楽に行えるような仕組みを充実させればそれで十分。どちらかというと、次の②に記すような現行制度の運用変更を行う方が良いように感じます。

②学生の希望に沿ったきめ細やかな研究指導

(いつもの筆者による分かりにくい?事例をあげると…)例えば、印度哲学について研究して修論を書きたいが、自分のいる研究科の哲学分野では、西洋哲学と中国哲学の先生しかいなくて物足りない。なので、フィールドの近い印度哲学を研究している他の大学の先生に専門的な研究指導を仰ぎたい。多分、MEXTが想定しているのはそんな意図だと思います。

事業趣旨にも書かれているとおり、きめ細かい研究指導を行うには、近似の研究をしている教員とのマッチングはとても大切ですが、こんなんやりだしたら細分化した研究分野の中においてはきりがありません。やって悪くはないと思いますが、筆者が提案するとすれば、そのタイミングを論文審査の研究指導体制決定時期くらいから他大学の先生がもっと自由に出入りできるポジションづくり(副査委員の+α的なポジション)を容易にしてみること。それを大学・教員にとって仕事が増えるだけのことととらえるのではなく、インセンティブによりメリットになるような仕組みを作る方がお互いwinwinでやっていけるのでは、と感じます。※具体には、大学の認証評価項目での数値化、教員個人の業績調書に載せれるようにすれば教員はみんな協力的になると思います。

③産官学的に社会と繋がる教育研究ネットワークを構築

大学院の活性化のため、いろいろみんなで知恵を出し合い、社会ニーズに応答した教育研究プログラムを作ることを目標にしています。

その柱が、チーム型の教育研究体制の構築、⼈材養成の⽬的明確化・開⽰、 共同研究、PBL教育、キャリアパス拡⼤に向けた接点の構築など

筆者には、複数大学院の意味合いがもう一つよくわかりませんが、例えば四谷あたりにある大学(院)と八王子にある大学(院)とが話し合って(非常に狭い分野で)共同でいろいろやりましょうと言う趣旨?。それがつながりのある大学院教育の発展になるのかどうか筆者には見えてきません。まあ、それでもやってみなはれです。

反対に、学位取得者(修了者)の(就職上)の受け皿となる企業等の意識改革はとても大切であるとともに、学位取得者側も企業等で(学部卒業生以上に高い給料で)働けるだけの資質・能力の向上が必要になると感じます。また、そもそもになりますが、ここだけのお話、日本企業のリクルーティング能力に課題があるので、早慶上智・MARCHだののブランドに依存して人材獲得をしているのが悲しい現状。筆者は、ーこんな企業を目指す学生も学生・こんな採用で安泰な企業も企業ーとは思いますが、今の日本はそれで回っているので仕方ありません。ともかく、この事業により少しでも企業が大学院生とのマッチングしてもらう機会が増え雇用につながる仕組みができてほしいものです。

アカデミアか民間企業か

大学院学生のキャリアの志向は、まず、自然科学系分野と人文社会科学系分野で大きく異なり、さらに人文社会科学系の分野の中でも様々といえます。まず、文学研究科であったり体系だった学問領域の中にある法・経済のような研究科の院生の多くは、民間企業でポジションを得るよりも、アカデミア方面の中で、自分の研究を活かしていきたいと考える割合が高くなる傾向が考えられ、反対に経営学の分野や、社会人を対象とした学際複合領域の大学院だと、これまで関連してきた業界の中でキャリアパスを伸ばす目的での学びの比重が高くなることが想像できます。

学生さんの将来を大学としてどのようにサポートし新たな提案ができるか?

例えば、『文学研究科で中世文学の研究を専門にしていて、将来はどこかの大学で教員になりたい、というようなよくあるアカデミア志向の気持ちをもっていたが、ある時、大学が提供した院生向けの企業との出会いの催しに何気なく参加して、たまたま専門書を扱う出版会社の人とお話をしてみると、驚くほど自分の研究内容が企業で使えることに気づき、将来の選択肢が拡がった』(これは一番模範になる例)のような出会いの場作りができるかということだと思います。基本的には『多様で多くの出会いを』となりますが、大学側の学生ニーズの把握と運営の発想力が問われることになると思います。

この事業についてのまとめ

ひととおり、この事業内容は読んでみましたが、やはりぱっとしません。応募する大学側にとって、一緒にやってくれる大学を見つけプログラムを作り、企業等との人たちと受け入れ方法等のパイプ作りを調整する等々の仕事はとても手間暇がかかりそうだし、毎年4000万円の事業費をもらったとしても何に使ってよいのやら、その結果の報告書も作らないとけないし。まあ、事前にMEXTあたりから(みえないところで)打診のあったところが細々とやっていくのかなと思います。それでも、(線香花火からでも)花火をあげて日本の大学院の社会的理解が進めばよいことだと思います。それと、申請要件内にはっきり書かれていませんが、この事業の対象とする大学院を、社会人を対象とするような大学院で考えるのか学部持ち上がりの大学院を考えているのかも要件内に明示してあげた方が良かったかもしれません。

筆者個人的に感じるこの事業の一番気になる部分は、人社系大学院における多様な研究テーマにそれぞれ個別のミクロ的な対応はできたとしても、人社系大学院をマクロレベルで見渡せるプログラムにはなりにくいところ。それでも部分的にでもこの事業が求めるネットワークの構築ができれば良いなと思います。こちらもとりあえずやってみなはれです。

筆者の考える人社系大学院の充実 

文句・愚痴ばかり書いていてもアレですので、どうしたらも良くなるかも考えないといけません。筆者の見立てでは、人社系大学院がうまくいっていないのは、修士課程と博士課程とでそれぞれ理由は異なります。キーワードは、以下の①と

①そもそも修士課程というものの日本における認知と社会的通用性の再検討

例えば、どこかの院生が、先ほどのように印度哲学の分野を研究テーマとして、修士論文を作成しようとします。それはそれで、どこかのプロフェッショナルな人たちには高い評価を得ることができるかもしれません、そして社会の一般的の人は、そんな難しい?研究している学生さんはどこかの大学の先生になるんだろうなあ…と漠然と予測するかもしれません、世の中の修士号取得者の認知度はその程度。自分たち身近のことではない関係の遠い存在と感じていそうです。

大学院で学ぶ人たちは、(非常にそもそもですが)自分書いた論文がどのように社会に役立つのかという視点をしっかり持って研究することがとても重要。当然、論文審査する側の先生たちも『こんなことよく研究したね!』的な学術的視点だけでなく、その論文が、社会的にどう役立つかの部分に比重をおいた論文審査の目線が必要になります。そのためには、形式的で独特で(一般の人には)マニアック?にうつる論文体裁ばかりにこだわった論文(の書き方)指導ではなく、論文内容における盗用や剽窃さえクリアされているのであれば(かきぶり・内容が多少アレでも)視点や発想の良い内容であればどんどん(将来を期待して)評価をして修了してもらう持って行き方が必要だと感じます。

同時に、論文内容以上に大切なのは学生側の表現力も大切。最近の言葉なら Active Lerning だの PBL授業だのの表現で使われるもので、自分の考えを相手方へちゃんと説明でき、誰にでも納得してもらえるようなトレーニングを十分うけていること。このような取り組みで企業関係者の評価は上がっていくものです。

で、こんなことばかり書いていると、保守的な教員側からは、教育が純粋な学問体系から外れたものばかりになる、とかのお叱り?的なことをおっしゃる人が出てくるかもしれません。ただ、今現在壊れている大学院のたてなおしですからこれくらいなんでもやるべきです。

②学位授与までのプロセス ー時間をかけずにサクサク論文書いて学位取得へー

特に人社系領域の大学院で、3年で学位取得ができるはずの博士後期課程で、それでが出来なくなる理由の大部分は、学修上の問題ではなく、どこかに出す査読論文の作成と学会活動のための時間、直接的には学位論文には関わり合いはありません。

その解決方法、まずは査読論文の要件緩和。査読論文は、学位取得のステップとして、構想発表会や予備論文提出のプロセスの中にある必須項目。自分の書いた薄めの論文(修了論文と関連のあるもの)をどこかの学術機関へ査読論文として投稿して受理・出版してもらう必要があります。

筆者の考える問題点は、査読をしてくれる学術機関(国内だけでも大小10000以上あります。)がしっかりしたところばかりじゃないこと。機関ごとに審査論文募集の要件や審査プロセスもそれぞれで異り、全ての学術機関に公平性・平等性・社会的信頼性が担保されているわけでもありません。筆者の考えとしては、(ここは大転換をして)大学側も課程博士の審査の中での査読付き論文へのこだわりの捨て、査読なしの論文・出版物であっても(例えば)単著で一定の社会的評価のあるものなどは、審査段階の評価に加え、学位取得の要件の一つとして認めてしまう方がすっきりすると思います。

国内の学術機関は玉石混交、すべての組織がしっかりした論文審査を行っているわけでもありません。このような機関は、産官学のはざまで長年の持ちつ持たれつしての今があります。こんな機関の出す査読結果ばかりに比重をおいた博士論文審査は要改善、ここを変えないともろもろ前には進みません。

素直に反省して気持ちを改める ー日本の大学院は評価されていないー

分かりやすい事例(状況証拠)として、G7・EU諸国から日本の大学院へやってくる留学生は非常にまれ。自然科学系分野を含め、名だたる日本の有名大学院でも日本での研究が必要な分野を除けば誰もきません。英語で授業をやると言ってもそれでもきません。同様に修了論文を英語で書ける日本人学生もまれ。教える方も同様で、斎藤幸平さん(東大准教授)や安田洋祐さん(阪大教授)のような、欧米の大学院を渡り歩き国際的に知られた人がいたとしても、それでも外国から学びに来る人はまばら。大学でグローバルとかなんとか言っているのはその立ち遅れの裏返しとも言えます。

先生たちも素直に反省。日本の多くの先生たちの授業は、未だマイクを握りしめての独演会から抜け出せていません。欧米の大学なら、学生の理解度を図るため、毎週 Quiz のようなコミュニケーションもやるもんですが、(学生数が多いという問題もありますが)採点とかで教員自身に負担がかかることは教員も控えめにして行いません。とりあえず、結論として、日本の先生たちは授業に関する創意工夫ができていません。(こんなことを大学のセンセーたちにはっきりと言ってあげれる事務屋なんて、筆者くらいしかいないんだから、ありがたく感謝してもらいたいもんです。)このあたりは日本の構造的要因と言ってしまえばそれまでですが…、とりあえずそんなで国際的には高い評価はしてもらえません。

まとめ

近年、THEなどの国際比較からも日本の大学の地盤沈下はあきらか。特に大学院の衰退は、その国の国力となる研究基盤とともに次代の研究者養成にも影響がでます。日本の場合、国際競争の中、自然科学系分野の衰退については危機感をもっている人はそれなりにいるのですが、人社系分野の場合は、もっと悲惨で、国際的な水準にすら達せず忘れさられたまま。そのためにもMEXTは、人社系大学院の活性化を行う必要がありますが、どこから手を付けて良いのやらの状況。今回のような事業募集のようなものをヒントに、どうしたら良いのかみんなで一生懸命考えていく端緒になればと思います。

[MEXT 令和5年度⼈⽂・社会科学系ネットワーク型⼤学院構築事業]関係
筆者のおススメは【参考】公募のポイント(令和5年4月28日公募説明会資料) (PDF:1.6MB)です

それ以外の部分は興味のある方のみパラパラっとご覧ください。

www.mext.go.jp

[MEXT 科学技術・学術政策研究所(NISTEP)科学技術指標2021➡3.4学位取得者の国際比較]

これを読むと日本の大学院は大丈夫かいなと悲しくなります。

www.nistep.go.jp

www.mext.go.jp

 

fou.hatenadiary.jp

 

fou.hatenadiary.jp