FOU’s blog

日本の大学 今 未来

海外でお世話になった先生を思い出して日本の大学の現状を悲しんでみる1ーMtl編ー

ここでは、筆者がカナダにいたとき良くお話をした先生のことを取り上げます。マギル大では名誉教授のポジションになっていましたが、最近シカゴ大にお引越しをされたようです。この件、お話が長くなりそうですので、その1では思い出話中心、その2で日本の大学・先生たちとの対比でお話を作っていきたいと思います。

トマス・ラマール Thomas LaMarre 先生との出会い

まず、お名前の日本語読みですが、ここではトマス・ラマールで統一させていただきます。筆者が最初にお会いしたのが1998年の秋、当時は、 Associate Professor のご身分だったと思います。お名前で推測できるとおり、アメリカ国籍ですが、フランスにも縁のある方、そして日本語もペラペラ、N1レベルとかではなく、ほぼネイティブ、混みいった話でも全然大丈夫。そのあたり毎日日本のアニメばっかり見ているからかもしれません(筆者の推測)。

大学でのご所属は、Department of East Asian Studies, Faculty of literature。East Asian Studies とは書いているとおりで、日本・韓国・中国に関する学問領域全般をさします、北米ではこの名称を用いた大学での研究分野が多くあります。マギル大の場合は、それぞれの国の社会・文化に関する教育・研究と言語として授業を学生に提供していました。で、ラマール先生は日本の分野のご担当。筆者がいたころは、日本・韓国・中国の3つフィールドはそれなりにバランスの取れた数の教員構成をしていましたが、今のHPを見ると中国の先生たちが突出。こういうことの積み重ねで日本の認知度に差が出てしまいますので、海外における日本研究の拠点づくりにも力を入れる必要があります。まずは、日本の在外公館の広報文化担当や国際交流基金(JF)さんが人的交流のサポートに力を入れてもらいたいものです。また、日本の大学の積極的な国際交流も重要な下支えとなります。

www.mcgill.ca

ラマール先生の毎日

『ラマール先生はだいたい毎日大学にきます。』と書いたら、おまえアホか!大学の先生やったら来るんあたりまえちゃうんか!と(大学をよくしらない人から)お叱りをうけるかもしれません。でも、日本の(特に人社系)の先生たちはそうでもないんです。例えば東京に勤務先の大学があったとしても、ご自宅は京都にあるなんてホントよくある話(憲法上居住の自由は認められてはいます…)。こんな先生たちは授業や会議のあるときだけ(わざわざ)大学にお越しいただいています。そして用が済んだらとっとと帰ります。ですので、授業を聞いている学生さんはこんな先生のご高説を聞き逃さないようしないといけません。

ラマール先生の授業はだいたい日本と同じ感じ。所属している全学・文学部の学生対象、学科の学生対象、大学院(M・D)の学生対象に授業を行います。もちろん授業は、基本的に、Japanese studies が中心。ですので、授業を行っている時期は結構お忙しそうでした。そんなラマール先生の思い出話をいくつか。

①Office Hour には必ず部屋にいる

筆者がいた1999年頃って、日本では、Office Hour? 何それ?的な時代。シラバス上に(例えば)『授業のことで知りたいことがあるので先生と何時お話ができるか?』のような学生の要望のため、(例えば)『火曜日の午前中研究室に来てください』のように記載しておくもの。些細なことのようですが授業実施に関する重要な学生との約束です。制度上、学生の授業評価の対象にもなり得ます(行ったらいなかったとかは減点対象)。日本の先生の場合はどうかというと、まず、学生が来るか来ないかもわからないこんなことで大学に来たくない見知らぬ学生としゃべるのはだるいというお気持ちがありますので、授業の前後とか e-mail にて随時とかご自分優先の時間設定をされる方が多数と見受けられます。確かに一定の時間、指定されたところにいないといけないことの意味合い・合理性については考える必要があるかもしれませんが、カナダの場合、それは定着した行事になっていて教員側にそれほどの負担にはなっていません。学生が来ればお話を聞き、来ないようなら事前に準備した仕事をやっている感じ。筆者が行っても学生と話している姿はあまりに記憶にありません。当時の建物は Rue McTavish のブックストアのとなりにある古い4階建てで、扉をあけても階段上っても廊下歩いてもミシミシ音がし、冬はかなり冷え込む構造でしたが、それでもちゃんといらしてました。

②とある授業でのビデオ上映の思い出

マギル大の授業設定は日本では想像できない実施方法。普通(というか絶対)日本の大学では、(例えば)1限目と2限目の授業の間には10分くらいの休憩時間を挟みますがマギル大では無し。一つの授業が終わったら間髪入れずすぐさま次の授業が始まります。ですので、どうなるかというと、次の時限にも授業のある学生は、今の授業が終わる前に片付けだして次の授業に向かいます。教えている先生も、片付けしている学生と一緒に急いで教室を出て次の授業の先生にバトンタッチしないといけません。日本の大学的に言えば詰め込められる時間数を増やし一日に多くの授業が実施できれば、それだけ教室の稼働率を上げられ全体の授業時間割を作る際に余裕が生まれることになりますが、この発想は日本国内では思いつきません。(多分、設置基準では授業の時間数・回数のことは書いてあっても休憩時間の設定はなかったと思います。)

長めのマクラになりました。ある時、ラマール先生から『今日の授業は面白いから見に来ませんか?』と授業へのお誘いが。当時筆者は、勉強がてら East Asian Studies の先生たちがやっている授業に参加させていただいていました。例えば他にも、マギル大学の学生が初級の日本語を学んでいる姿を見るのは結構興味深いものでした。で、今回のラマール先生の授業は、(多分)文学部で開講の講義科目で、受講者数は、小さめの階段教室に50人以上。で、ラマール先生の今回の授業はビデオ鑑賞(日本のテレビ番組をそのまま録画したもので教材の著作権が多少気になりましたが、それでも気にしないでおきます。)

ビデオのお題は、兵庫県にある女性だけが入学できる音楽学校の一日的なもの。2年制のこの学校は、本来の音楽関係の教育に加え、女性としての礼儀作法やマナーの学習も大変重視をしていて、初年度入学者は、構内の廊下や練習場のような施設を朝から一生懸命きれいにして、先輩(2年生)がやってくると道をあけて大きな声でご挨拶をすることを叩き込まれます。その様子を映像化したもの。それをカナダの大学の学生に見てもらったあと『どのように感じましたか?』について意見と議論をする感じ。で、ここはカナダ、例外なく多くの学生は、理解不能で、なぜ無意味に新入生は、(海外でも大学の学生文化はありますが、かなり異質なので)必要以上に先輩に奉仕する伝統や文化を作る必要があるのか等々お話をして授業は終了。

折角ですので、筆者の考え方も。この項を書くにあたり、この音楽学校のHPを見直しました。筆者の一番の印象は、この学校のHPにはハラスメントに関する項目が一切書かれていないこと。この学校には寮が設置され、多くの20歳前後の女子学生が集団生活を送るのですが、みんな清く正しく美しいから大丈夫という性善説に基づいた管理が行われているようです。多分、この学校の卒業生は熱狂的なファンの多い歌劇団に所属するので音楽学校で出来事は不問とされ、それまでの苦労話として美化される傾向にあります。特にこの学校では教える側が絶対の立場で、学ぶ学生も個としてスターになるための競争原理が働きますから連帯責任という言葉は生まれても for the team 的な精神は培われそうにありません。全体的に今どきのSDGS的な考え方とは大きく乖離していると思えます。

大学でもアメフト部やボクシング部、野球部、駅伝部に所属する学生を専用の寮に住まわせ鍛える方法が広く用いられています。高校でも、例えば野球部の場合も専用寮があって監督と何時も一緒に生活し食事洗濯は監督の奥さんがやってくれるとかが美談になります。昨今の芸能事務所で大きな影響力をもつ人物の未成年者への性加害事件についてもその多くの現場となったのは合宿所・寮といわれるところ、違法薬物の蔓延も大学寮内、それぞれ施設により何が起こるかは異なりますが、少なくとも、肉体的にも精神的にも暴力を受けない、自分の意思で寮生活の判断を行うことができる、ハラスメントのような事象について、第三者的な立場で、秘密が守られ、公平で迅速にチェックできるシステムを構築しておくことが寮の設置者の責務と言えます。大学として設置する必要があるのかないのかもわからない場所で薬物が見つかっただの暴行があっただのレベルで世間を賑わすのはやめてもらいたいもんです。

やはり冗長になりました。すいません、で、こんな調子でラマール先生とは1年間ご一緒させていただきました。それからあとも数回、カナダに里帰り?した際お話をさせていただきました。学生でも教員でもない立場でお付き合いさせていただき様々なお話ができたことは非常に有意義であったと今でも思っています。

その1の過去のいろいろはこれで終わりにさせていただき、その2は(今から書きますが)、ラマール先生の経歴を参考として日本の大学・教員との対比をしてみます。

ー以下に『ラマール先生ってどんな人?』の情報をまとめていますので関心のある方はご高覧くださいー

Thomas LaMarre 先生のこれまで。シカゴ大学の公式ページより直接引用しています、筆者でもわかる平易な英語ですが、急いでつまみ食いしたい方は、コピペでGoogle Translation 日本語訳に。最初の段落はわかりにくいですが、それ以降はだいたい内容をつかむことができます(ご経験のあまりない方は勉強がてらトライしてみてください。)。書いているとおりで、主要な研究テーマは日本のメディアスタディとなります。多方面からアプローチしていらっしゃいますが、実際あって話すとアニメ系の話題で盛り上がります。

【web 引用: The Department of East Asian Languages and Civilizations (EALC) at The University of Chicago の People より(彼のBiography at Sept. 6, 2023)】

Thomas Lamarre | Department of East Asian Languages and Civilizations

Thomas Lamarre is a scholar of media, cinema and animation, intellectual history and material culture, with projects ranging from the communication networks of 9th century Japan (Uncovering Heian Japan: An Archaeology of Sensation and Inscription, 2000), to silent cinema and the global imaginary (Shadows on the Screen: Tanizaki Jun’ichirō on Cinema and Oriental Aesthetics, 2005), animation technologies (The Anime Machine: A Media Theory of Animation, 2009) and on television infrastructures and media ecology (The Anime Ecology: A Genealogy of Television, Animation, and Game Media, 2018). Current projects include research on animation that addresses the use of animals in the formation of media networks associated with colonialism and extraterritorial empire, and the consequent politics of animism and speciesism.

His work as a translator includes major works from Japanese and French: Kawamata Chiaki’s novel Death Sentences(University of Minnesota, 2012); Muriel Combes’s Gilbert Simondon and the Philosophy of the Transindividual (MIT, 2012); and David Lapoujade’s William James: Pragmatism and Empiricsm (Duke University Press, 2019).  

He has also edited volumes on cinema and animation, on the impact of modernity in East Asia, on pre-emptive war, and formerly, as Associate Editor of Mechademia: An Annual Forum for Anime, Manga, and the Fan Arts, a number of volumes on manga, anime, and fan cultures. He is co-editor with Takayuki Tatsumi of a book series with the University of Minnesota Press entitled “Parallel Futures,” which centers on Japanese speculative fiction. Current editorial work includes a co-edited volume on Chinese animation with Daisy Yan Du and a co-edited volume on Digital Animalities with Jody Berland. 

He previously taught in East Asian Studies and Communications Studies at McGill University. As James McGill Professor Emeritus of Japanese Media Studies at McGill University, he continues to work with the Moving Image Research Laboratory, funded by the Canadian Foundation for Innovation, and partnered by local research initiatives such as Immediations, Hexagram, and Artemis.

ealc.uchicago.edu

ここから、ラマール先生の著作物。単著・共著いろいろありますが、北米目線で日本のアニメの評価を行っているものが多くあります。

 

 

 

fou.hatenadiary.jp