FOU’s blog

日本の大学 今 未来

同業種交流会の世間話から2023年の大学を占ってみる2 ー魅力なき大学教授のお仕事編ー

次の盛り上がりは教授先生の多忙さ。工学・応用物理系の先生で、全学的には留学生政策をやっていますが、器用貧乏?であれもこれもといろんなところから頼まれて大変な状態に。素人目には海外にたくさん行けて楽しくカッコよく感じるかもしれませんが… ※バタバタしていて年末のお話がここまで延びてしまいました。申し訳ございません。

教授の二極化 

自然科学系教授はしんどい  教授になりたくない・職業として魅力がないー  

この先生のお話だと、日本国内でも上位の大学においても大学院の方は沈滞しています。世界的にも評価の高い国立大学の大学院でもなかなか優れた学生が来てくれません。その有望な学生が大学院へ進まない理由は一つではありませんが、この場ではそんなところで働く先生たちに焦点をあてます。

特に教育研究に時間が割けない問題で疲弊 

全学の会議(大学全体でやる会議)部局内の会議等々の出席、科研費の執行管理、自分の研究室の管理等々のお仕事に時間を割いてしまいます。四半世紀前まで行われていた講座制度の研究室なら、雑務は学科事務や教室事務と呼ばれる非常勤職員や助手にやってもらい、講師、助教授に研究室の現場対応をやってもらい、教授はその総括をするような役割分担(講座制・大講座制)ができていて、それはそれで良かったようにも感じられます。それが今やスタッフは定削でどんどん減っていき教授クラスもすべてに関わらないと回らないとようになりました。そんな状況を大学院学生も見つめています。学生たちもうすうす教授クラスのお給料はうすうす知っているわけで、こんなんなら民間企業で働く方がよっぽどマシだになってしまうことに。

人文社会科学系教員の堅固なポリシー ー最近つくづく感じますー

一方で文系の先生たちの緩さ。このことは大学で事務やっている人ならうなずいてもらえることも多いと思います。筆者の見立てでは、法学部や経済学部のような系統だった学問体系の学部はまだしっかりしていますが、文学部や学際・複合領域を主とする組織の先生たちはその傾向が高くなる印象が。

こう言うのを書くときの表現・礼儀として『先生の中の一部には…』とか『一握りの先生ですが…』を通常用いる際の気配りとしてあるものですが、残念ながら筆者のこれまでの経験上どうみてもこのポリシーを有する勢力がかなり存在します。筆者のイメージ的では、3割が良い先生、3割が普通の先生、残りの4割がダメな先生の割合。

そのメインとなる強いポリシーとは『大学の仕事は週三日以上しない』というもの。なので大学に来ても授業や会議が終わったらすぐ消える。事務側から言わせると何をやっているのかわからない、その割に忙しい忙しいという。そんな彼らにも論法があって労働裁量制で働いていてちゃんとやることはやってんだ!というのですが、少なくとも大学に対して物理的には何も貢献していません。だって大学にいないんですから…。

①大学の近所に住まない

 筆者とその知人情報も含め、(例えば)大阪エリアの大学勤務で出勤してくる元のもとの場所は、岡山、高知、丹波篠山、福知山、名古屋、東京、横浜等々普通に働いている会社員なら旅行の距離。なんでそれがわかるかというと、教員用のメールボックスには郵便物はたまりっぱなし、学期末になったら『もう大学に行かないから採点は自宅?でする』という理由で学生から提出のあったレポートを郵送してくれとか悪意なく普通に言ってきます。ですので、反対に言うと short trip level の移動で大学にやってくるわけですから、大学での授業や会議だなんだをとっとと済ませて帰りたい理由は(良いことか悪いことかは別として)理解できます。日本国憲法でも居住の自由は認められていますのでどこからやってきても良いのですが、少なくとも大学の諸事に貢献しようとする気持ちは感じられません。

②授業と会議以外には大学へ行かない・行きたくない

①のポリシーを堅持している人たちなので、その大学や学生に与える影響はいろいろでてきます。学生と接するオフィスアワーが成り立たないことについても、『zoomやメールでできるじゃないか』と彼らの独自理論を主張して逆ギレ気味。これまで普通に学内で集まって行われていた教授会のような委員会の出席(というか大学へ行くこと)についてもうざがります。

少なくとも McGill Univ. の先生は、『今日はオフィスアワーの日で〇時から▲時まで研究室に在室しなきゃいけないんだ』と(英語で)話していたのを覚えています。教員の中には、実際 zoomやメールの方が利便性が高いんだから居なくて何が悪いという先生もいますが、筆者の理解・考え方では、学生側が積極的にアプローチ(メールとか)するのではなく、その時間帯オフィスにいけば会える程度の緩さ気楽さで学生を待つのが良いように感じます。オフィスアワーとは、教員も普通にお部屋にいて自分の研究をする日にするだけの話、これを継続することが大切、そうすればやがて学生もやってくるものだと思います。

③役につきたくない

これも根っこは大学に来たくないから。自分のやりたいこと以外したくないから。学部長・研究科長や教務委員長なんか引き受けません。何かの因果であたってしまうと出る会議が山ほどで大変。会議のことやもろもろの打ち合わせで事務職員とやりとりしないといけなくなり自分の(彼らの考える自由な)時間が失われていきます。役につけば少々の手当が出ることもありますが(こんなことに)時間を取られたくない彼らの気持ちが筆者にはいっぱい感じられます。学生やその家族は気づかないお話ですが大学ははこんなで動いています。

④教授室は本置き場

よく大学教授がテレビの取材なんかの取材を受けるとき、その背景に難しそうな専門書が書棚たくさん並んでいる様子をよく見ます。あれがなんとなく普通の人がイメージする教授室の雰囲気。そんなところで自然科学系の先生たちは毎日がんばっているのですが、人社系の先生たちはそもそも大学に来ないのでどんどん物置化していきます。一応大学教授ですからそれなりに学術書類は手に入ります。ですので、勤務の実態は(コロナを要因としない)在宅勤務が中心に。特に文系教員の場合、研究室や実験機器は不要ですので自宅にPCがあればだいたいのことはできます。よく言えば働き方改革の先頭を走っているのかもしれませんが、こんなことやっているからどんどん大学へ行く気持ちから遠ざかってしまいます。

科研費に関心なし

外部資金(科研費)の獲得状況は、特に自然科学系の研究者なら自身の業績を示す重要な指標になりますが、人社系の研究者の場合は重要度が(かなり)下がります。特に研究はやってなくて授業中心の先生たちであれば、大したお金を使うが必要ないというより不要というのが本音。特に科研費の場合、文科省(学振)に申請をするもの邪魔くさいし、万一採択されて研究代表者にでもなると何百万何千万の予算・執行管理をし、その執行責任問われます。ですので役の軽い研究分担者(協力者)なら引き受けても良い程度、それ以上はゴメン。こんな調子なので人文社会科学系の研究がドメスティックなローカル色だらけで国際的に通用する研究が育たない理由の背景になると感じます。事情はいろいろあるにしろ、結論として、彼らは大したことやっていない人たちと評価されても仕方ありません。

まとめ

最近、JSPS Monthly Report でメールのやり取りをしている(頑張っている方の)教授の先生がしみじみと国際的にもそうだし、国内的にも人社系大学教員のレベルの低さ、肩身の狭さを嘆いている言葉を聞いたことが印象的でした。日本には(腐っても)800余りの大学があって高等教育・研究を行っているのですが、そのレベルは欧米はもとよりアジア諸国と比べても自慢できるものか?と感じます。世間の人たちは大学入試の偏差値ばかりで大学を考えるのではなく、大学で行わている教育と研究の質・水準も怪しみつつチェックしていってもらいたいものです。