FOU’s blog

日本の大学 今 未来

University of Osaka と蟷螂之斧(とうろうのおの)の意味合いについて考えてみる

2022年4月に大阪府立大学大阪市立大学が一法人一大学化することに伴い新大学の名称発表が行われました(令和2年6月)。新大学の日本語名称は『大阪公立大学』そして英語名称がUniversity of Osakaに決定。これに敏感に反応したのが大阪大学。本発表後1月余りの間に計4回(第4報)大学HP上で英語の名称変更を求めるとともに新法人が特許庁へ出願している新法人側のUniversity of Osakaの商標登録を認めないための情報登録制度を用いて(膨大な)資料提出を行っています。しかしながら大阪公立大学側からは(正面からの説明は行わず)基本的に無視をし続けています。何人かの友人が阪大側にいて彼らのコメント「JAROに訴えてやる!」(事務職員(もちろん冗談))、「これからどうするつもりですかね」(教授・自然科学系)のような感じ。特に国際畑を中心に仕事をしてきた筆者個人的としては阪大側の主張が100%正しいと思うのと大阪公立大側がなぜこの(トラブル必至の)名称を選択したのかその大学としてのガバナンスが気になります。 

新大学が言うUniversity of Osakaを使って良い理由

以前より、同じ都府県内に、国立大学○▲University・公立大University of ○▲という住み分けで英語名称を用いている大学があり、それが問題になっていない。(事例をあげると、高知大×高知県立大、長崎大×長崎県立大etc)。

阪大側からの指摘があった以降も、世間をお騒がせしているが「この名称を使う資格がある」「今後の新大学の発展により理解される」「海外での周知を徹底する」等のつぶやき程度、正面切って阪大へは説明はしていません。

確かに他にも類似例がいくつかあるのは事実で、それはそのとおりなのですが、だからと言って敢えて混乱を招く名称を選ぶ必要があるのかが疑問。その他の事例も含めて、これらの大学の存在がドメスティックで英語名称はお飾りに過ぎなかったことが大きな理由と思えます。

今回の場合、指定国立大学法人に採択され、国際協働(国際共著論文の数・留学生政策の充実etc)に真剣に力を入れている阪大側にとってはこんなこと(こんなレベルで)で国際化の足を引っ張ってもらいたくないというのは本音だと思えます。 

阪大が言う類似名称の弊害はたくさん 

その1 日本の英語教育のたまもの?

阪大の主張の一つに、海外では、Osaka University も University of Osakaも同じ(とみられる)というものがあります。英語が母語となる海外諸国では微妙に二つの表現を使い分けている事例もありますが、特に欧州言語が母語でない国(例えば日本)の者からするとよく理解できません。

参考になりそうな事例として、筆者が訪問した経験のあるカナダ・オンタリオ州の名門University of Toronto(正式英名称)は、検索エンジンToronto University を入れてもUniversity of Torontoに普通にたどり着きます。ただ、Toronto University の事例と異なり、ひっくり返すと異なる大学になる場合もなくはありません。このような日本の知識・価値観で、運用が難解な英語圏では行われて事例を参考としてまでこの表現を選ばなくても、と感じ、それは阪大だけでなく自分自身のためにもなりそうです。

そして、今の状況。様々な検索エンジンに、University of Osakaと入れてもOsaka University (つまり大阪大学)に行き着きます。その中で,、新たにそして突然同業他社のUniversity of Osaka (大阪公立大学)が割り込んでくるのですから、まず阪大は迷惑必至、そして言い出しっぺの新大学もことある毎に「大阪にはもう一つ大学がありまして…」を説明を行う必要が出てきます。

「表現が違うから大丈夫」的な発想を思いついてしまうのは、ネイティブの英語話者を用いずに初等中等高等教育に至るまで文法中心の英語教育を行う日本独特の英語文化がそうさせるのかもしれません。 

その2 英語以外の言語だとさらに混乱

以上が英語で表現する場合の状況。他の言語ではさらに区別がつかない場合も生じてきます。フランス語など他の言語表記ならさらに区別がつかなくなるようです。

例えば、筆者の訪問した経験のあるカナダ・ケベック州(仏語圏)にあるMcGill University(英語系大学)。仏語表記にするとUniversité McGillとなります。仮に英語名称がUniversity of McGill という表現をしても(仏語文法上)仏語の表記に代替表現はありませんからUniversité McGillで同じになります。(カナダは多文化・多言語主義の国ですから、自然と英語表記・仏語表記の使い分けが行われるので個別事例としてのに解釈を求めるのには苦労がいります)。

同様の表現をする言語はラテン系が多いようですが、そのような諸国の人たちに日本国内で今回のいきさつ話しても納得してもらうのは困難。また多くの英語が母国語でない諸国の人たちは、英語の表記からもう一度自国言語に変換するとなると、もう何が何だかの世界になります。新大学は、これら海外との大学間とのやりとりだけでなく、VISA取得上の渡航先名称に関わるので、各国出入国管理部門の人にも丁寧に説明していく仕事も必要になりそうです。 

その3 海外での公的認証

仏語の続きのお話で、少し専門的な話になりますが、仏語圏などの在外日本公館(例えば在仏・在加公館)でのアポスティーの作業(大学関係なら大学間との公的文書の授受など)でもめんどくさくなるかもしれません。新大学はこのような英語名称の説明をするための作業は産みの苦しみとしてがんばるのも一つですが、全く関係のない阪大側もいろいろなところで「最近似たような名前の大学が近所にできまして~」をやらなくてはなりません。このことは(自分で蒔いた種ですから)新大学側も真摯に阪大とともに協力して対応する必要が生じてきます。 

その4 国際学術誌への投稿

特にこのことが阪大がいらだつことだと思います。日本の研究型大学院大学(旧七帝や東工大など)の研究者はNatureScience を代表する国際学術誌に研究成果を投稿して世界的な評価を得ることが大きな目標として日々の研究活動を進めています。投稿時には当然「どこそこの誰」を英語表記で入れるわけで、そんな中に新たに似た名称の大学が割り込んでこられるのは非常に迷惑な話。同様に国際的な場面で活躍している現大阪市大、大阪府大の研究者たちも新たな説明責任を抱え込むことになります。

 

新大学の意志決定過程が気になる

この名称を決めた新大学名称検討委員会(新法人HP)。2020年4月頃から複数回会議を開催し3候補に絞りこみ6月26日に府知事、市長、法人理事長の三者で最終決定の流れ。この検討委員(6名)の構成は、大阪府副知事、大阪市副市長、新法人経営部門から1名、法人理事長(市大医卒)、市大学長(市大医卒)、府大学長(阪大工卒!)で構成。なお、この構成員6名に女性はゼロ、特に命名には女性目線は必要ないようです。

さらにその下には優秀な府職員と市職員からなる事務部門が法人本部を支えています。まず、委員会構成員の中で気づくのは、そのうち3名は大学教授としてキャリアがあること。(多分)英文の学位論文の審査したり海外のジャーナルへの投稿に関わったくらいの経験はあるはず。まして委員の一人である府大の学長は阪大工卒のキャリア。これらをみても、少なくとも構成員の半数が大学事情に精通している(はず)の人たちがUniversity of Osaka を選ぶと、国内外からどのような反響が出るかについて想像力に欠けていること、その後の阪大側からの主張にも明確(法人HPトップに「本法人の考え方」等を示す程度)な反証は行われていないこと。これは所謂目に見えない同調圧力がこの組織が支配されているとしか思えません。その割にこの英語名称だけは商標登録をちゃっかりしていたりしていて、この「指定国立大阪大学」に一方的にけんかを売る対応を眺めるにつけても大学の危機管理や所謂CSRが出来ていないと筆者は感じます。 

 設置審査にも良いことは…

新大学は未だ設置審査の途上。令和2年10月末までに最終的な設置構想の書類を文科省へ提出することになります。このような大事な時期に波風を立てたままだと、文科省の担当者から(彼らは模様ながめで変えろとは言いませんが)、「阪大側から英語名称に指摘がでてますが大丈夫ですね?今後何か問題が生じれば貴学で適切に対応してくださいね」等々とやんわり釘を刺されるのことは必定だと感じます。 

敬意なき相場観

新大学の今回の対応、同様の行動を、東大、京大に行ったのか?筆者はそうは思えません。阪大(程度)だから(これくらい行ってもいい)という彼ら独自の相場観を感じられます。

新大学は、統合効果で大学規模が国公立で3位(入学定員・近畿圏なら神戸大に匹敵)になるとのコメント(各HPでの広報関係etc)を入れています、が、こちらはあくまで学部レベルでの話、大学院レベルの学生数や研究力は大きく劣ります。阪大側の説明(第3報)のとおり新大学に統合されたにしても、留学生数、科研費の採択件数などは阪大とはダブルスコアはおろかトリプルスコア、関西で言えば学生数は同程度になる神戸大学と比較してもその差は歴然、特に科研費千葉大学岡山大学が当面のライバルの状況。新大学になっても現実的には研究力・国際力の面では阪大・神大にすら遠く及びません。 

もともと今回の新大学構想の根っこは地方の政治力で地方公共団体が2つの大学をもつ経済負担が大きいから、という『コストカットをやってしまえ』が主たる目的。統合当初は一時的にキャンパス移転等で予算がつき所謂見栄えするハコモノできるでしょうが、大阪府・市よりの継続的な経済支援を得て大きく飛躍する素地は見当たりません。自分たちは国立大の連中に負けていないという気概はあるのでしょうがその差は歴然という状況分析を冷静に行う必要があります。 

新大学側が気づかないといけないことは、今対立している相手が指定国立大ということ。そもそも設置趣旨や予算規模が大きく異なる大学(阪大)と不毛な対立をするのではなく自分の立ち位置でより良い大学にしていくことが重要。大阪の狭い中で紛糾していても首都圏その他の地域の人たちは冷めた目しかみてくれないし設立前の新大学の評判を傷つけるばかりです。

筆者としては、対立より協調をして、多少古くさい言葉になりますが、ONE大阪となって両大学が地域を盛り上げて行くという進め方が多くの人たちからの賛同と支援が得られると感じます。

 

阪大側はオトナの対応

今回阪大は「被害者側」になりますが、自大学のHPと文書の送付(と思われる)などによりエビデンスを積み上げながら主張することは、自制が効き大学らしくて好感を持てます。 また、このような大学で突然起こる想定外の危機管理についても(多分)新大学よりも場慣れしている印象も感じます。(半分嫌みになるかもしれませんが多くの不祥事が日常茶飯に起こることが今回は幸いとしているとも感じます。)

だいたい旧7帝規模の国立大学になると文科省キャリアの人が出向しています。
現在法人理事(阪大HP)で在職しているNさんのキャリアをみていると、若いころは学術国際局、研究振興局、そして途中から文科省の国際関係の部門を中心に進み、在米日本大使館参事官、国連代表部公使、阪大にくる直前は文化庁長官官房国際課長、文科省大臣官房国際課長を歴任しています。筆者の見る限り、ここ十年は文科省の中でも仕事のできる国際通でやってきたキャリアの人。当然阪大内ではこの英語名称問題についても大きな影響力をもち、文科省への情報発信力も大きなものがあります。(ときとして大学へ流れてくる文科省キャリアは?の人も来るのですが、今回の騒動のさなか、阪大にとっては非常にラッキーな人が来てくれています)

片や新大学、霞ヶ関文科省にパイプがあるわけでもなく「他にも事例がある」「名乗る資格がある」云々レベルの申し訳でエビデンスてんこ盛りの阪大からの指摘からUniversity of Osaka の正当性を説明するのはかなりしんどそう。仮にがんばりとおしたとしても多くのしこりを残してしまいそうです。


考えられる英文名称

今のところ新大学側は、名称変更の意思を示していませんが、(何か見えない圧で)急に(あっさり)新ネームを発表することも無いではありません。筆者はその事例を幾つかを考えてみます。
基本的にはPublicを入れるのが一番妥当。Public University of Osaka もしくはOsaka Public University を用いれば新大学の有り様をよく理解できると思います。
次いでMetoropolitan。首都の意味ではなく漠然と大都市にある的なイメージでOsaka Metropolitan University あたりも良いイメージを感じます。
個人的にはFree University of Osaka。ベルリン自由大学からの連想ですが、律儀に英文大学名はそのまま日本名称から直訳する必要もありません。
戦前期よりドイツの都市型大学をモデルに大阪市大が作れたこと、滝川事件に由来する自由とのつながりや理念を連想させるなど誇らしく気品があり、最初は取っつきにくいかもしれませんが、中長期的には日本国内でも海外でもおぼえてもらいやすい名前ではないかと思います。なお、この名称の大学は欧州域内に少なくとも3大学あるようです。日本では高等教育機関としては使用している大学はありません。

それでもUniversity of OsakaでがんばるというならOsaka University(OU)University of Osaka(OPU)等の記載で常に略称を入れ表現するしかないと思います。

ついでに良い機会なので日本の大学の英語名称も考え直してみる

新大学がよりどころでとしている同一地域にある類似英語名称(高知大学高知県立大学etc)の交通整理もやっておいた方が良いと感じます。公立大であれば基本としてPublic Prefecture、Cityをいれるか、例外的に他と大学と明白に区別がつく独創的名称なら認める等、公立大学協会あたりが音頭をとればそれほど難しくはないと感じます。また、Tokyo、Osaka、Kyotoなど、それぞれ10を超える地名を冠した紛らわしい大学名についても、海外目線を意識して新名称を模索する方がそれぞれの大学にとって知名度があがると思います。このような知名度アップの事例として、名称変更を行った意味合いは異なりますが、近畿大学さんのKinki University→Kindai University がよい事例になると思います。

結局、今回の騒動は、日本には英語による大学名称を大事にしない国際化が未熟な大学がたくさんあることを世界に知らしめてしまったようです。 

結び

新たに大きな公立大学が生まれるのという本来祝うべき時期に、21世紀に入って20年もたっているこの時代に、こんなレベルの論争と対立が行われていることにショックを感じました。同時に、日本の大学の英語の運用能力がこの程度であること海外にさらしてしまったこともかなりショック。日本の大学の国際化はこの程度のもの。特にこれから大学で学びたい人、大学の事務職員で働く皆さんもこの現実を覚えておくほうが良いと思います。

 

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