FOU’s blog

日本の大学 今 未来

日本はいつまでだるい単位取得退学&論文博士をやるのか考えてみる

多分、教員を含め大学関係者でもこの話についていける方は少ないと思いますが…一応書きます。内容的には人社系大学院のダメなところを中心にしています。(医学研究科もいろいろやってそうですが…別の機会に)

前世紀のお話 ー大学院重点化と論文博士

マクラ話。1990年台初頭、勤務していた学部(人文社会学系)で何かの件で先生たちと話したときの会話を覚えています。

先生たち曰く『大学院重点化が始まると学位制度が抜本的に変わっちゃうだろうね。僕たちより早く学生の方が先に学位を取られてしまいそうだよ。』重点化前は、旧帝大の高名な先生でも、まずは単位取得退学しておき、自分の定年ぐらいに論文博士で博士学位を取得することが美風だといわれていたようです。

それが、自分たちの大学が、大学院重点化をしたらどうなるか、のお話。で、欧米風の研究型大学院大学を目指し、旧七帝あたりから教育研究の組織を学部から大学院へ移行させる試みが、文部省(当時)の主導で行われました。その分析・評価は、いろんなところで、いろいろ書かれていますが、多くは、その影響で急に大学院学生(修士・博士)が増えたので余剰人員化してしまった、それをどうすべきか?が中心です。

なんでなくならない単位取得退学&論文博士 ー過去の遺物で終わった話では?ー

そうなんです。大学院重点化の影響で修士(博士前期課程)も博士(博士後期課程)も学生が一杯になり学位取得者の数も増えたはず。なのになぜかなくならない単位取得退学と論文博士制度。

まず、そもそも単位取得退学とは、ですが、大学院の博士後期課程に入学した学生が、修了要件の単位のみ(だいたい20単位くらい)すべて取得し、修業年限(だいたい3年くらい)を経過したのち、博士論文を提出しない状態で退学することをさします。別名?単位取得満期退学ということも。ですので、修士課程で修士修了論文を未提出で同じことをしても単位取得退学という言葉は用いません。

この話、文科省非公認、その中で堂々とローカルルールがまかり通っていて、さらに詳しくいうと、要件的には、大学院博士後期課程に3年いて、修了要件単位を取得し、標準修業年限を満たした以降に退学すれば、それに該当しそうですが、違う解釈もあり、在籍可能期間(標準3年+留年3年くらい)の期間すべてを使いきっていないといけないという人も。結構みなさん独自解釈をしていて正しい答えも不明。実際、筆者の感覚でも、教えている教員自体が単位取得退学の概念を正確にはわかっていなくて筆者に確認しにくる始末。ただ、確実に言えることは、大学側は修了要件の単位を取得していても『この学生は単位取得退学です』なんて証明書を出すことはありません。※仮に学生が誰かに説明したいのなら、退学証明書と成績証明書と履修便覧あたりが必要になります。そんな単位取得退学という言葉、大学業界の一部、特に教員の人事評価の面では重要で、履歴書などに〇△大学大学院文学研究科単位取得(満期)退学と記載していれば状況を分かってもらえます。ただ、全世界的に『私はこの大学院を退学しました』を誇らしげに履歴書にかけるのは日本だけ。ホント(普通の人だと)意味がわかりません。

で、こんなことが行われているは、人社系大学院が中心。自然科学系大学院は、どちらかというと修士を1年で修了させて、博士も2年で取らせるような仕組みと文化が出来ていて、大学院重点化で博士人材の輩出が多くなってきたのはこちら。じゃあなんで人社系はこんな意味不明なことがまかり通っているかの理由は以下。

現行の課程博士制度のプロセスの問題。別のところ(社会人大学院)でも書きましたが、博士論文を大学に提出する前に(ただし基本的に大学院入学以降)、(博士論文の研究内容に関連性をもつ)複数の査読をされた論文を数本、学術的に評価をされている名の知れた学会誌に提出して受理・掲載されなければなりません。これは大学(院)とは全く離れた話でハードルが高いもの。そのうちの一本程度は自分の大学の紀要と呼ばれる(イージーな誰も読まない)学術誌への投稿でごまかすことができる仕組みでサポート?してもらえますが、それでもすぐにこれだけボリュームを書けるものではありません。また、論文作成のため、学会活動や資料収集、調査の必要性も生じます。ですので、3年間の博士課程は長そうに見えてそうでもありません。

単位取得退学者の受け皿となる論文博士制度

論文博士とは、非常にざっくりいえば、自分で書いた学術論文を(外形上)どこかの大学へ持ち込んで『これで博士号ください』と申請するもの。で、その実態は、自分の学んでいた大学院博士後期課程でどうしても博士論文の提出ができず、一旦退学した(単位取得退学)学生が、改めて古巣の大学院に論文博士として審査願をだし、学位授与してもらうための受け皿として用意されていることが、目的と理解して良いと思います。

いくつかのweb情報をみていると、だれでも?どこでも?簡単に?博士号を取れる裏ワザ的なことが書かれていますが、それは多分あり得ません。

その理由は、プロセスの複雑さ。まず、デキの良い学術論文が出来上がったとして、どの大学へ出すか?。お好み大学ブランドを狙い東大や早稲田へ論文を自由に出せれるものでもありません。

基本的には、単位取得退学した自分の出身大学院の同じ研究分野の教員と相談し、先生の承認があればバトンは研究科内の手続きへ。論文博士審査を応諾してくれた先生は教授会で『こんな論文博士の申請がありました』の議題提出をし、まず審議(1回目)、教授会で認められれば予備審査委員会を作って当該論文を論文博士審査の対象とするかしないのかをまず検討、その委員会が論文博士の申請として審査するにふさわしいとなれば、改めて教授会で審議(2回目)してもらい、可なら、ようやく論文博士の審査体制(主査・副査etc)を決めて、審査を開始、その中では外部に公開された公聴会、教授会構成員すべてに論文縦覧する機会を与え、その結果を改めて教授会で諮り(3回目)論文博士として認めるか否かを決めます。長々と書きましたが(大学ごとに手続きは多少異なりますが)これくらい手間暇がかかります。

それに、どこの大学側もそれほど積極的でもありません。ヘンな論文を受理すると、大学や受け入れた教員の責任にもなるのでその対応も慎重になります。現実として、どこの大学院でも毎年多くの論文博士の申請があるわけでもありません。基本的に大学院は課程博士の修了者を出すのが目的ですので、規程上、論文博士の申請があれば対応するくらいで、(相談のあった先生以外は)特に熱心さはありません。

単位取得退学&論文博士制度で気になる部分

まず、根本的に大学が学外の誰かさんの論文を審査して博士号を与えるようなこと、世界のどこでもやっていません。類似に(見える)ものに名誉(博士)学位というものがあり、大学を訪問してきた政治家や偉い人に授与することはありますが、これは顕彰の一つでセレモニー的なものです。

基本的には、この制度、文科省も含め論文博士不要論が主流ですが、これからもあってもいい、と考える人たちの、学術的根拠として、学振がやっている論博事業があります。これを根拠に文科省も是認している、という論法。ただ、この事業のキモは、東南アジア諸国との学術交流の一環として行われているもの、そのため学振の国際事業部内で行われており、日本国内での博士学位制度とは一線を画しています。ですので、これを根拠とするのは説得力に欠ける気が(筆者は)します。

次に公平性平等性に欠けること。それぞれの大学には論文博士の規程があり、その下に各部局の規程があり受理や審査を行うのは普通。受理した論文には審査料金が必要となりますが、国公立大なら6万円前後。これにはさらに緩和措置があって、単位取得退学後、指定された期間内ではあれば、自分の大学の単位取得退学者ならそれも無料に、そして、審査時の能力試験のような一次試験も免除され、論文のみでの審査が可となります。ですので、論文博士の申請者がその大学に縁故があれば審査までルートは確保されています。ということで、他大学から論文博士を審査してもらいたい申請者は、このことをよく理解し、まずは協力してくれる先生を見つけない限り申請段階で絶望的になります。

まとめ

世の中の人たちは、大学院重点化したから博士号取得者が増えてその質が下がったといい、その一方、世界と比べ人口当たりの博士号取得者がとても少ない、といったりします。筆者的にはどっちやねんと言いたいところ。

課程博士を含めて博士号取得者が、民間企業でも重要視・必要視されない社会的・文化的背景があるは事実。(学部卒対象の企業面接でも、知りたいのは大学名と学部名まで。会社は何を学んだかはどうでもいいんです)

筆者の見た感じは、自然科学系大学院の博士課程の学生は、それなりに社会的通用性をもっていると思いますが、人社系大学院博士後期課程の学生は、外部と切り離されたところで学んでいる感じがします。さらに大学院生活が3年を超え、それ以上の期間、論文づくりをチマチマしているような人物を、企業側もどんな仕事につけようか二の足を踏んでしまうのは理解ができてしまいます。

改めて、未完成な提案になりますが、大学の博士後期課程の仕事は、3年で博士号を与えられる流れを作ること。制度上の改革も必要とは思いますが、特に人社系大学院は、教える側も学ぶ側も少々たるんでいるので、まずそこから改める必要を感じます。実際問題ほかのG7諸国や欧米諸国はちゃんとできてるんですから、日本の方がおかしいんです。※入学後3年間は授業料をタダにしてそれ以降はたくさん徴収するとか、奨学金がなくなるとか、そんなレベルのスパルタ対応でも、教員・学生とも急いがんばってやる気をだすと思います。

21世紀の今頃、帝国主義の国ができ、無垢の人たちが不幸な目に遭うことは本当に悲しいことです

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文科省資料 こちら古めですが今の日本の大学院について知ることができます

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