FOU’s blog

日本の大学 今 未来

留学生10万人計画の思い出

終活?で家の中を片付けていたら昔の思い出の品を見つけました。それを近所のLawsonさんでJpeg化。この年度前後のパンフの中には(とってつけたような)筆者の写真つきお仕事紹介記事も掲載れています。

国立大学職員採用のためのパンフレット

平成5年って1993年のことですが、1990年くらいから始まったバブル崩壊で日本は不景気真っただ中。今から思えば、こんな時によくも公務員試験に合格したもんだと自画自賛。(特に筆者の場合はお仕事しながらの受験でしたので実務教育出版さんの書籍には大変お世話になりました。)

で、このパンフは、採用試験Ⅱ種の合格者が官庁訪問者に業務案内として作られます。国立大紹介の場合、ブロック別になっていて、こちらは近畿地区版。首都圏エリアだと関東甲信越版が作られていたと記憶しています。(古い話ですが間違っていたらごめんなさい)ですので、また、本パンフは多分著作権上は文部科学省さんが引き継いでいるかもしれません。お礼かたがたcourtesyを入れて利用させていただきます。  

この時代って、WindowsOS3.1という玄人向けしかなく、出たとこのMacintoshMacPCにゴミ箱なるものがあるのに驚愕した記憶があります。執務室には書院やルポのWord Processor 専用機がおいてあり、3.5インチのフロッピーディスク一太郎文書を保存していました。インターネットも草創期で、大学独自ホームページが立ち上げられたのもこの時期です。

で、今頃になってしげしげと見つめ直すと、面白いことをいろいろ発見。二つ目の案内図では、大学で働いたらこんながあなたを待ってますよのご紹介ですが、ここでクイズ。

Q 当時の事務組織の中で今あるのにこの当時はないものがあります。さて何でしょう?

  →答えは資料の下にあります

            パンフ表紙              

 大学事務組織図       courtesy of the MEXT                   

                                                                                                                                           courtesy of the MEXT

A 国際&留学生に関する部門がどこにも全然ありません

筆者にとってはそれほど昔のことでもないのですが、ここであげている標準的な大学事務室に国際や留学生の名のついたポジションはありません。当時でも、国立大学では、留学生や外国人研究者は受け入れていました。それでは事務はどんな形で関わっていたかというとすべてが教員依存。新しく留学生や外国人研究者がやってくると、英語ができる助手や院生が留学生を事務室へ連れていき、宿舎や奨学金、教務関係の手続きについて、通訳してもらいながら進めます。今から思うと、教員サイドも、事務職員に英語を話せるスタッフはいないと承知しているのでそれほど波風は立ちませんでした。そんな感じで当時は事務職員の英語能力は期待されていません。

留学生10万人計画の始まり

そもそも10人計画の始まりは、1983年くらいに、日本政府の方針として、21世紀初頭までに、日本国内受入れの留学生の数を10万人にまで引き上げましょう、としたもの。なお、この10万人という数値は、当時のフランスの留学生受入数を目安としています。留学生を多く受け入けることへの追い風として考えらえるものは、世界的には冷戦構造の終息傾向、1973年の日中国交回復以降、中国国内の文化大革命の終焉による経済発展などにより世界的な学生の流動化が起こる機運が芽生えてきたこと。負というか、紆余曲折の原因となったものは、アジア通貨危機、日本のバブル崩壊後の経済停滞の影響など。

で、1990年台初頭の日本の大学の状況はパンフのとおり。事務組織的には全然留学生の受け入れ態勢は整っていません。というか、留学生の仕事をやっている人すら稀有な状況。これが日本の現状。

一方、諸外国はというと、欧州では、国別の留学生受け入れ組織として、従来より代表的なものとしてBritish Council(英)やDAAD(独)のような国ごとに機能する組織がありましたがさらにEU全体で行う Erasmus 計画が進展していき、欧州域内+域外の学生交流の活発化が進むようになりました。特に Erasmus 計画 は当初は、予算上、国ごとの思惑等々もあり実効性に欠ける部分もありましたが、近年は順調に機能しているように感じます。

北米ではNAFSA(Association of International Educators)。カナダを含めた北米大学の国際交流の支援団体。日本にも関わり合いをもつ機関も多いですがあくまでvisitor的な存在になります。

日本はというと,、国費留学生(文科省奨学金)とJASSOさんとが中心にがんばってはいます、が、筆者が近年感じるのは『日本一国だけでやってもなあ』の気持ち。日本だけでいろいろやっても、コストが高くなるばかりで、海外からの留学生の立場からしても学びの選択肢が日本だけというのも面白味に欠けます。多分、これからの高等教育における国際交流施策というものは、単独で行うよりもしっかりしたカウンターパートナーを形成し諸外国との連携が必要になると感じます。

10万人計画は(一応)達成。そして20万人・30万人計画へ

10万人計画は、計画通り20年かけ21世紀初頭には達成されます。ただ、当初の趣旨と多少異なってきている印象も。筆者の理解では、日本に来る留学生のカウント方法等々をお役所的なやり方でかなり緩めて数値の水増し?を行ってきた成果?と言えるもの。また、確かに留学生数は増加しているのですが、増えた留学生は一体どこで何を学んでいるのか?等々もなんとなく良くわからいまま今をむかえています。

純正培養は良くない

10万人計画云々は、日本への受け入れのお話。それでは日本人学生の海外送り出しはといえばそれも過去のまま。筆者が大学生だったころから、日本の大学(特に私大)では国際化という言葉自体は大好きで、(意味不明に)国際〇〇学部のような冠をつけた学部を作って受験生にPRしてみたりというのは数十年前からやっていました。そして現在でも、何をやっているのかわからないグローバルなんちゃら学部あたりもたくさん。もちろん少しづつ国際化は進展はしているのしょうが、世界のスピードには全然追いついていません。欧州では、Erasmus 計画の進展により、(資金・予算面に目がいきがちですが)自国以外の大学で学ぶ上での学位制度・単位取得制度の読み替えが共通化されてきましたので単位互換がスムーズになり学びの選択肢が大きく拡大。Erasmus 計画は動き出して四半世紀たち、欧州域内ではスタンダードな制度となりました。方や日本、ガラパゴス化が進むばかりで、大学の国際化を世界の潮流を見渡さない中、国内で完結しようすることが、日本の大学とそこにいる学生が大きく取り残されてくる理由の一つと感じます。  

全てが英語に結びつく

で、筆者の提言というか思いは、英語教育の充実。初等中等教育の中、40人のクラス編成で、教える教員が日本人では英語能力の向上は絶対見込めません。せめて英語クラスだけでも20人編成にして、教える側の教員の半分はネイティブを用い、1か月程度海外のESLで学ぶ機会を作れば大学へ入学する前段階で相応の英語能力を獲得できます。18歳までの英語能力の向上は、大学を目指さない人たちを含めて若者に様々なインセンティブを得ることができます。そして大学選びの視野も英語能力があれば日本の大学にこだわる必要性もなくなります。

まとめ

書いたとおり、日本の大学の国際交流の進展は非常に遅れ世界から取り残されているのは事実。大学に関係しない人たちも同様で、海外に行くこと自体ビッグイベントで、行っても観光地を添乗員付き。島国だから仕方ないにはしないで日本の教育の中では若い人たちに海外に目が向くような施策とインセンティブがあったらいいなと感じます。

【写真】1999 NAFSA Annual Meeting@Denver

この時、筆者は、日本からではなくMontreal@CANADAからデンバーへ。McGill U. から参加する人たちも結構いて、行く前には『〇△大の✕✕さんもくるみたい。会えるのが楽しみ!』のような会話で盛り上がっていたのが印象的。そんな感じでこの会議には北米で留学生の仕事をする人たちが大勢集まります。なお、日本関係では、AIEJさん(当時)が、日本コーナーを作っていて皆さん法被(はっぴ)姿で、テーブルにはお寿司を並べていたのが印象に残りました。それ以外にも一部日本の大学からの参加者はいましたがまだまだ多くはない時代。会議で耳に残ったのはインターネットの活用による留学生獲得がトレンドの話題となっていました。そのあたりも時代を感じてしまいます。

以下、当時の事情をいろいろ。お読みになって温故知新すると、結構今の大学の国際交流を見つめなおすことができると思います。

まず、ベネッセさんの偉い方の留学生施策についての提言。これも古いお話ですが今でも話は通じとても参考になります。

berd.benesse.jp

MEXT 中央教育審議会大学分科会 留学生部会(第1回) H14.12.25 資料

【留学生交流関係施策の現状等について】こっちらももう20年近く前のものですが、ポータル的によくまとまっていて勉強になります。他のMEXT資料も当時を知りたい人には参考になります。※なぜか一部表示が文字バケします。すいません。

www.mext.go.jp

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