FOU’s blog

日本の大学 今 未来

日本の大学の教員の資質について考えてみる1 特に般教(ぱんきょ~)の先生

前の就職に関するお話を書いたことで久しぶりに恩師のことを思い出しました。事務系職員のお仕事探しも大変ですが教員の業界も同様です。

恩師の怒り

筆者の(一応)恩師は法学部の先生。学部長や学長補佐、就職部長などのお仕事もやっていました。分野的には経済法(独禁とか)で、経済法は、法学の分野では、一番法曹や公務員試験に縁遠い分野。なお、筆者は、しれっと恩師と書いていますが何かしおらしい振る舞いをしてきた訳でもない不忠者です。すいません。で、筆者が私大に就職後、何かの機会にお会いすることがあってその時のお言葉。(その時の会話はこんな調子・関西弁は多少誇張し過ぎているかもしれません)

共通教育科目の教える先生の資質・あり方が気になる

恩:『お前んとこの大学にAという教員おるやろ?』

筆:『はい、法学教えているA助教授のことですか?』

恩:『そや、あいつ一体なにやっとんや?』

筆:『一般教養で法学とかを……』

恩:『そやろ、このまえあいつと話することがあったんや。なんであんなんが助教授やっとんや?』

筆:『それは私に言われても…』

恩:『わしなんか修論修士論文)出すときも博論(博士論文)出すときもクソミソに叩かれて叩かれてようやく取れたんやぞ!それがやなあ、あいつはなんなんや!』

こんな感じで、恩師のお怒りの原因は、A助教授の素行がお気に召さなかったということ。A助教授は、どっかの大学で法学修士を取って、運良く現在のポジションをゲットし、今では事実上(よく言えば)教育者ではあるが、研究者は放棄してしていて、(まだそこそこ若いのに)学会活動(講演とか発表とか)はしなくて、数年に一度、自分の大学の(誰も読まない)紀要に数ページの投稿?をしている程度。これで今のポジションは一生涯安泰。基本的に教養科目の人文社会科学系分野の授業を数コマするだけで何もしなくてOK、さらに所謂(助)教授室も持っています。方や恩師、学位を取るのに苦労はするは、働き出したら学部の授業、大学院の授業と指導、学内委員、学外では学会の委員などなど息つく間もないほどやっている自分との対比でご立腹されたご様子。

大学設置基準上、一定数の常勤教員を配置する必要性があるので、般教とはいえフルタイムの教員を何人かは揃える必要があります。そこでこの助教授は(運良く?)ポジションを得ることが出来たようです。他にも筆者のいた私大では、英語とドイツ語を教える先生を常勤で雇用していました。あと、もう一人社会学を教えていた常勤教員がいた気もします。言語系の先生は、入試問題を作る際に何かと重宝しますが、法学の先生はあまりその他の使い道はなさげです。この事を反対に言うと、大学側のニーズは(残念ながら)この程度、なので、大学院出て博士号も取ってるのに非常勤講師を幾つもやりつつ常勤教員のポジションを探している人の苦労話をテレビなどで見ることがありますが、(これだけ大学はあるのに)大学側の需要はそれほど多くは無いというのが現実と言えます。筆者個人的には、専門的な能力をお持ちの方は、働く選択肢を高等教育の場だけではなく、自分が活きる場を他にも探すことも重要だと思います。

人社系・自然科学系の教員の資質は恩師が昔々コメントした状況がいまでも継続しています。総合大学であれば専門の先生が持ち回りで般教の科目を引き受けていますが、それでも般教のプロパー的な教員は語学系を中心にまだまだいらっしゃいます。その大学での語学習得について、筆者が見ている限り、(筆者は何度も書いていますが)現在でも大学で2言語を学ぶ目的もはっきりしていません。読むこと書くことに重点を置くのであれば日本人の教員でも出来そうですが、(ホントは)特に話せる会話能力に重点を置くのであれば、20人以下のクラス編成とその言語のファーストランゲージの教員が望ましいに決まっています。語学の学びなんですから、それなりの目的と教育効果がないとやるだけムダです。現在の専門教育(2年次以降の学部授業を担う)以外の基礎科目を担う教員については、なんとなく授業とともに(大学院を修了した人たちのための)雇用の確保もあるようにも感じます。

まとめ

このお話の論点、恩師の考え方と仕事の少ない?助教授のあり方については、双方に言い分があります。特に助教授側は、自分の研究や存在が(自分で選んだ道とは言え)同じ大学の中でも低い(と感じられる)ポジションであることも理由ではあると感じます。

このことは、長年行なわれている日本の大学の仕組みですぐに大きく変わることは難しいですが、中長期的な視野で教員組織のあり方・カリキュラムを考えることが必要と感じます。

 

fou.hatenadiary.jp