FOU’s blog

日本の大学 今 未来

さっこんの大学等でのもめごとについてどうしたものかと考えてみる2 ー日本の文化とSDGs編ー

なんだか最近教育機関関係でのもめごとがたくさんメディアを賑わせています。その中でも筆者が感じるのは寮のあり方。大学以外の施設の問題を含めなんでこうなっちゃっているのか総合的に考えてみたいと思います。話が長くなりそうなのでこちらで①ー若者も寮生活編ー、もう一つで②ー日本文化とSDGs編ーとしてまとめます。最近次から次へと立て続けのトラブル多発で書くのが大変です。書き残したことは③で書く予定です。

日本の寮生活問題のいろいろ ー学生よりも管理者側に問題ー

若者が直面する教育機関内での寮問題は、一つの大学のアメフト部の寮に鎖かけて施錠すれば済む話とは到底思えません。また、そこにいる学生のみならずそのような温床を作る教育機関側に大きな問題を感じます。そのため、最近の状況を踏まえ、高校やその他学校・施設も含めて考えてみます。

なんでもありの高校部活動 ー完全に設置者側に責任ー

高校レベルの話になりますが、男女共学全生徒1000人規模の高校で、野球部員やサッカー部員が100人、場合によっては200人、両方足して300人をはるかに超える部員を抱えるところって結構あります(東北地方とか)。九州でも公立高校でも男子学生の半分が同一クラブに入っていることも。こんなやり方で(バカな)無敗のチームを作り誇りとするのは、私立高校だけかと思っていると公立高校でも200人超のサッカー部員がいるところも(九州地方)。この人数になると(単純計算して学校に1000人生徒がいたとしてその半分が女性として)各教室にいる男子生徒の半数は野球かサッカーいづれかのクラブに所属している高校が日本には存在していることに。設置者(特に私立高校)側に言わせると、ちゃんと教育やってコンプラは守っていますと言うのですが、はたしてこんなんで良いものか?。

これだけ多くの部員が集まる理由の一つは、高校によるスカウトとここでプレーしたいという生徒本人の希望、その家族の支援があるのが理由と言えます。その多くの部員は同じ寮での合宿生活。寮に同じ部員が集まる理由の一つにそ通常の通学圏外から生徒が集まってくることもありそうです。で、その寮の中では、部活の監督が寮監になり、その奥様が寮母となって栄養を考え、心のこもったお食事まで出してくれたりすると、生徒によっては happy に感じるかもしれませんが、別の言葉で表現すれば一種の抜け出すことのできない収容所であり監獄。私生活も含めて何もかも『上の人』からコントロールされた日々を送ることについて日本では問題視されません。世界標準ではないことを気づいてもらいたいところ。

このような状況の寮生活では、特に伝統的な日本文化の中では、そこで生活する生徒のマインドがこれは自分で選んだ道、家族やみんなが期待しているので頑張らなきゃ!となってストレスをため込むことに。宝塚など他の事例でもそうですが、家族等の期待と、自ら選んだ道であるとの逃げ場のなさとの重圧によって身動きできず行き詰まってしまうケースが多いと感じます。そのような中にいる生徒自身も洗脳されているとまでは言いません、が、スマホ取り上げられても外出を制限されても特に問題意識すら感じないメンタリティーに。そんな風通しの悪い中では、メンタルにも負担がかかるでしょうし、様々なハラスメントは生じやすく、表にもでにくくなることが容易に想像できます。

宝塚にある音楽学校&歌劇団もねえ… ー今のスタイルを未来永劫続けるのか?ー

もめごとが大きくなってきましたので、こちらでも実名で宝塚音楽学校宝塚歌劇団でのいろいろに変えます。命を絶たれた方の件は重く考える必要がありますが、それ以前にこの学校はどのような位置づけでこれまで存在してきたのか?。別項でお話したようにラマール先生がビデオでこの学校の特色ある授業を取り扱ったのが1999年のこと。今ある学校も、その当時のスタイルのままにして現在に至っています。昭和の時代まで、校内での何かと厳しいスタイルが見え隠れしていても芸の肥やし的な理解での納得感を得られたのもかもしれません。そんなことを、在版のテレビ・新聞社は良く知っていたくせに、急に突然、えっ!こんなことがあったんだ!と(ほんのついさっきまで良き伝統文化とたたえていたくせに)とぼけられ大騒ぎされてもこちらの方が気恥ずかしくなります。

さすがに今現在の日本では、ダイバーシティーであったりSDGsであったりの言葉や基本理念が日常化している中、本科生と予科生との意味不明で絶対的な上下服従関係、それが卒業してからも歌劇団の中で美徳として生き続けることは全くふさわしくありません。結局今のシステムは、一人の女性を加害者も被害者もしかねない状況を生んでいます。名残惜しく感じる方もいらっしゃるかもしれませんが弊害が多すぎです。もう終わりにしましょう。

↓ ラマール先生のお話

fou.hatenadiary.jp

学校運営の検証が必要

筆者がこの学校が今後行わないといけないと感じるのは、組織全体、学校で携わる人たちの管理運営がどうだったか?について。音楽学校では入学時から始まる学校教育における全ての場面で、そして、劇団入団後を含め、他者への敬意、尊重について、学校、教える教員、事務組織全体で行われていたか?。この組織における奇妙な上下関係が生じるのはそれぞれの学生の個性というより、それまでの悪しき伝統と慣習に縛られ(多少の疑念はもちつつも)下級生へ自分たちの考える厳しい指導?を行っている部分が大きいものと思われます。

筆者の目線で気になったのは、設置母体であるクリーンでお上品なイメージの阪急電車さんの記者会見の内容……ではなくて、出席者の顔ぶれ。女性のみが生徒・劇団員である組織の管理責任を説明するため出てきて謝罪・説明をした3名はみんなオトコしかいません。このあたりも企業ブランド意識したメディア戦略をしないと、そんなんだから女性軽視でこんなことがおこるんだと言われてしまいます。こんなお話、こんな状況、他のG7諸国の皆さんへ恥かしくてお見せできません。(筆者が記者会見場にいたら絶対突っ込み入れます。)

ジャニーズの件も寮での被害 ーセクハラは同性間でもおこるー

この件も、その多くは寮相当の場所での出来事。ジャニーズのお話も日本の縮図といえます。異常な性癖のある故ジャニー氏による被害は、わかっているだけで1960年台から2010年台まで続く異常さ。そしてジャニー氏が亡くならないと表に話がでてこないもの情けないお話。

普通に考えて、未成年者が寝ているところにまで、ジャニーズ氏一人で出入りできるはずもなく(その人物が共犯となるかは別として)、事務所スタッフの誰かのサポート(どこに誰が寝ているかを伝え、部屋の鍵を開錠し物色する際のサポートをする等)が強く疑われます。だって、高齢のジャニー氏が、自由気ままに一人で寝ている少年の部屋に入れるはずは絶対ありません。なのに、そのことについては、今の報道の中でも封印。この事件においても、未成年者が寝泊まりする寮への(第三者的、中立的な)ケアが行われていれば被害者の数は未然に防ぐことができ、ジャニー氏への刑事的な処分も可能であったかもしれません。やはり寮管理者側の対応が甘いから少年たちを守ってあげられなかったと言えます。

この件も絶対的権力を持つ人の悪行をみんな知ってて黙っているのは負の日本文化の側面を感じます。男性間の性的なハラスメントも昔からよくある男色の類だといって看過できる話ではまったくありません。セクハラを中心とする性的な被害について、アタマの中で思い浮かぶ被害の認識が加害者が男で被害者が女性であるという認識は捨て去る時代がきています。

まとめ ーどうすればちゃんとできるのか?ー

これだけ書いてる筆者ですが、それでも具体の良い案が思い浮かびません。今すぐの対策なら、それぞれの機関において、必ず中立で個人情報が必ず保護されるハラスメントなどの生活相談窓口を何重にも設けることで一定の防止効果は得られるのではないかと考えます。監視社会的なにおいもしますが被害防止のためには仕方ありません。後は日本にいる人の気持ちの変化。世界を見渡して今の日本はおかしいと言うことに気づかなきゃいいけません。

プロ野球でもレベルの低いハラスメント事案が起こりました。閉鎖されたロッカールームでパンツ脱がせて逆立ちさせるようなことがずっと行われていたという話、メージャーリーグ関係者が聞いたらひっくり返ります。このことを万事の反省材料とするのなら、プロでもこの調子なんだから、当然中高大学でも、男女を問わず必ずハラスメントは発生しうることを想定すること。でないと、安心安全な寮生活・部活動ができる環境を作らなきゃいけません。

 

fou.hatenadiary.jp

 

fou.hatenadiary.jp