FOU’s blog

日本の大学 今 未来

大阪市立大学 阪神間公立大学ぶらり歩き その1

阪神間(その名のとおり大阪市~神戸市地域、イメージ的には大阪府の真ん中より北西の地域から神戸市の周辺部あたり)にはそれなりに知名度のある公立大学がいくつもあります。この状況は、私大が優勢な首都圏と異なるところ。一般的な関西の大学のイメージは、国立大なら京大、阪大、神大はまず有名、次いで『関関同立』ブランドを中心とした私立大学。これらの大学はそれなりに全国的に知られた存在。そんな中で、あまり目立ちませんが、それなりに地道に頑張っている公立大学を(神戸在住の筆者が)できるだけまち歩き的、現場主義的、独自の視点でご紹介してみます。なお、基本的にここで紹介する大学は良い大学です。 

その前に、(関西エリア限定の)大きな話題として、大阪府立大学大阪市立大学との統合があります。2019年4月から1法人2大学で始まり、しばらくは(周知期間を含めて)現状維持、2022年4月からは1法人1大学化して、完全に一つの大学となります。一つの大学になると、学生数は16000人を超え、ご近所の神戸大学や九大、名大と同規模に。事務屋の筆者としては、そんな在学生8000人規模の大学2つで、別々に稼働している人事・給与、経理、成績・学籍などの現行のネットワークシステムの統合が、それまでに間に合うのか要らぬ心配をしています。(多分絶対大変そう)
もう一つ、大学統合を機にキャンパスを移転する可能性が取り沙汰されています。まだ検討段階ですが、(お金とやる気があれば)キャンパスを大阪城の東側、森ノ宮エリア(旧府立成人病センター跡地)で集約できれば、都市型総合大学として大きな発展が(多分)見込めます。2025大阪万博のタイミングと同じ頃となりますが、オーナーである府知事さんと市長さんの高等教育への理解で、どれくらい追加的な予算措置ができるか、そこで新大学の将来は、大きく変わっていくと思います。 

大阪市立大学 https://www.osaka-cu.ac.jp/ja
メインキャンパスのある杉本町エリアは、大阪市住吉区に。奈良方面から流れてくる大和川という(かつては日本ワーストの汚さを誇った)一級河川を隔てて堺市と接する場所、最寄駅となるJR阪和線杉本町駅』を下車してすぐに入口がみえてきます。
大阪中心部から杉本キャンパスまで、あべのハルカスで有名になったJR阪和線天王寺駅』から15分ほどの距離。一見交通至便なのですが、杉本町駅に止まるのは4両編成(時間帯によって何両か増えたりします)の各停電車が1時間に4本。さらにその車両は、(暑いとき寒いときの外気遮断のため)小さな開閉ボタンを押さないと扉が開いてくれません。おまけに、行きも帰りも途中の駅で必ず快速電車の通過待ちがあってイライラ気分を増幅させます。
この大学の起源と創始者は、明治初期、当時、国内で絶大な影響力を有していた大阪財界の人たち。所説ありますが、五代友厚を中心に大学の基礎となる大阪商業講習所を開設、次いで、戦前大阪が、『大大阪(だいおおさか)』として一番華やいでいたころの関大阪市長が、『国立大学のコッピー(コピー)であってはならぬ』というポリシーのもと、帝大とは異なるスタイルの大学作りを行い、(多少紆余曲折はありましたが)今に至っています。

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五代友厚像(大阪市立大学杉本キャンパス内)

ちなみに、おとなりの大阪大学さんも、医学・自然科学系分野は『適塾』、人文社会学系分野は『懐徳堂』の名前をだし、大阪の古くからの学問的系譜を引き継いでいることをPRしたがりますが、両者と直接的なつながりがあるわけではなく、(間接的に)その精神を受け継いでいることを『由来』として述べているもの。エビデンスのある歴史的な事実から眺めてみると、この大学が一番大阪の大阪らしい歴史と文化を引き継いでいる大学だと感じます。
大学の場所、医学部を除く学部・研究科と本部機能は、JR阪和線杉本町駅』の東側エリアに集約されています。戦後しばらく進駐軍アメリカ軍)に"Sakai Base"として接収され軍病院に。朝鮮戦争の際には、現時計台前の広場にあったヘリポートに負傷兵がたくさん移送され、基地周辺には、米兵相手の私娼さんがたくさんいたりと今とは違った風景があったようです。今でも当時の建物の漆喰をはがすと米軍関係の英語の記載や落書きが出てきたりと、その過去を知ることができます。また(歴史的系譜として良くも悪くも)京大滝川事件との関わり合いから自他ともに認めるアカ大学でしたが、現在は、キャンパス内で(表面上)それを感じることはありません。
ただ、(数字は持ち合わせていませんが)教員間の交流は、京大が中心(京大の若手教員が大阪市大でポジションを得てまたどこかに出世して出ていくパターン)。あとはなぜか、大学全体のムードとして、大阪大学と交流をすることは(なんとなく)消極的に感じられます。他の大阪府内の大学(府立大学、関大、大教大あたり)とは仲が良いのですが。
教育研究に関しては、どこの公立大とも同じで、教員の自然減による学部規模の縮小が行われていますが、それでも少ない人数ながら教育の質は高く維持されています。また、(筆者の印象ですが)事務職員の質が高いこと。公立大学の中では早い時期から自前の職員養成と外部人材の受入れを同時並行的に行っていて、それなりの成果を見せています。他の『公立大の事務組織』の多くは、未だに県庁、市役所内での異動ポストの一つ程度の存在で、専門性が必要な大学事務の停滞を招くこともしばしばですが、こちらは(良くも悪くも)チャレンジング。大阪市大は、その中では成功例とみて良いと感じます。(筆者個人的には、他の公立大だけでなく、国立大学の人事関係者も一度大阪市大の採用・処遇のノウハウは知っておいても良いと思います。)
悪い面では、他の国公立大と同じく(地方)運営費交付金は、毎年減額されるものだという思い込みに(強く)支配されていること。特にオーナーである市長の積極的なリーダーシップがあれば(過去の関市長のように)もっと優れた大学になれるのに、と感じます。それでも今現在も、公立大内の評価では国内トップクラス、関西以外の人も受験・入学して、多少こってりとした大阪テイストの楽しいキャンパスライフを過ごしてみるのも良いかもしれません。 

ワシントンヤシのお話                         

杉本キャンパス1号館前の庭(通称ワシントン広場・この名前は"Sakai Base"時代の影響かもしれません)に植栽されていたヤシの木は、戦後長く大学のシンボルになっていましたが、あまりに成長しすぎて危険になったため、2017年(あっさり情け容赦なく)きれいに伐採されました。そんな出来事からすぐの2018年の夏、大阪を襲った台風は、関空が水没するわ関空連絡橋に船はぶつかるわシンボリックな出来事も含め各所に甚大な被害を与えることに。台風一過の杉本キャンパスでも、たくさんの大きな木が根こそぎ倒れてしまったりとボコボコの状態になっていたので、もし、ヤシノキが、そのまま植えたままの状態だったら被害がさらに拡大していたかもしれません。筆者は、そんなワシントン広場のヤシノキの姿を2006年(東京から出張で訪問した時)に写真に撮っていました。そしてもう一枚は現在の状況です。

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ワシントンヤシがあったころ(2006年頃)

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ワシントンヤシがなくなった現在

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