斎藤幸平さんは大阪公立大学開学の前日静かに東京へ旅立ちました……
こんな出来事でも、競馬誌みたいに自分の予想が的中したらPRをしないといけません。やはり筆者の思っていたミスマッチ感は正しかったということ。でも、ホントは非常に多くの人たちも薄々そう感じていたのかもしれません。
やはりミスマッチでした
4月1日から大阪公立大のHPから斎藤幸平さんのお名前が消えました。あれっと思って調べてみたらすぐに発見。4月からは東大総合文化研究科へお名前が移っています。今から思い返してみれば、新大学に移行するこんな重要な時期なら、大阪公立大としても客寄せパンダ的にいろいろなところでPRに使えただろうに、それが結構静かだったのはそんな事情があったのかもしれません。多分東大からの割愛(かつあい)依頼が大阪市大に届いたのは数ヶ月前だったでしょうから、この時点で大学としての慰留は絶望的。所謂詰んでいたんだと思います。
せっかくの機会?でもありますので筆者も大阪公立大(現在)をなんで辞めてしまったのか、最寄り駅のJR阪和線杉本町駅が1時間4本の4両編成の各停しか止まらず、しかも必ず快速通過待ちをしないといけないイライラ感以外にも理由があるはずです。
これまでの経済学というカテゴリーでもない
(筆者の考えでは)斎藤さんの研究は、特定の専門領域を有していません。分かりやすい事例でいうと科研費の分科細目。斎藤さんの研究は、筋の通った経済学のような確固とした専門領域というより、歴史であったり、哲学であったりもプラスされた、学際・複合領域のポジションにあるのだと思います。また、当然、これまで日本でやっていた古典的なマルクス経済学とも言えません。現在の大阪公立大の経済・経営の先生たちはどちらかというと従来型の研究者が多いので彼を受け容れてくれる居場所も限られてしまう可能性がありました。
【写真】十数年前、とある出張で大阪市大へ行ったとき、生協食堂で食べたたこやきうどんの天かすのせ。斎藤さんもこんなものを毎日食べていたのかもしれません。
新しい所属先・東大総合文化研究科との相性
斎藤さんが行くことになった駒場にある総合文化研究科・教養学部は、東大の中でも特色ある教育研究組織。特に教養学部としては、日本の大学における一般教養という課程での教育がうまくいかない中、(東大というブランドもあるので)特色のある教育を行なっています。確かに斎藤さんは、アメリカでの学びの中でもリベラルアーツ系の大学で学んでいましたので、専門色の濃い系統だった学問を行なう組織より、このような緩め研究科で、いろいろ学べ・いろいろな研究が混ざり合う雰囲気がお好きなのかもしれません。ただ、長く東大で骨を埋めるかというとこれまた?。彼ならアメリカの大学からのスカウトも引く手あまたでしょうから、東大でのポジションも一定の時間が経過したら、いつの間にか消えてしまって日本からいなくなっているかもしれません。
斎藤ロスに大阪公立大は
多分、一番のがっかりは、斎藤先生に会えることを夢見て入った新入生。あれだけ年末年始NHKのテレビ(BS1とか)を中心に露出していたら、この先生と学びたい!と考え一生懸命勉強してきた若者はたくさんいたはず。呆然とする学生に対して、大学としては、自分の思うようにならない世の中の厳しさを学んでもらうしかありません。
ちなみに大阪公立大の事情通に話を聞いてみたら、この大学は結構若手の教員が行ったり来たりするのが盛んで、そんなに驚くべきことでもないとのこと。例えばノーベル賞を受賞した南部陽一郎さんは、実質大阪市大にいたのは3年ほど、同じく山中伸弥さんは、大学院にポジションがあったため少し長めですが、それでも9年足らず、その下積み生活を経て、大きな成果が出だしたのでは奈良先端科学技術大に入ってから以降となっています。教員についてもキャリアパスとうか人材流動性というものは大切だと思います。斎藤さんの大阪市立大学での時間は、5年ほどでしたが大学にとっても様々な力がもらえて、そんなに悲観すべき話ではなかったのかもしれません。どちらかと言えば、斎藤さんは正しい道を歩んでいて、反対に辞めないまま漫然と居続ける教員の方が問題なのかもしれません。
この項は一応これで終わり。ですが、これも何かのご縁?ですので、斎藤さんの行く末を今後も追いかけてみたいと思います。
多少強引にキューバ情報
斎藤さんの割愛を記念して?、今でもマルクス・レーニン主義でやっているキューバについて考えてみたいと思います。とは言っても政治色ゼロの単純な旅行記。キューバはアメリカからは嫌われていますが、それ以外の国とはそんなに仲が悪いわけでもありません。西側諸国と比べれば物価が安いというメリットもあり、カナダ・ヨーロッパあたりからは多くの観光客が訪れます。筆者の場合は、カナダから。日本→カナダ・トロント→キューバ・ハバナというハードなルートで訪問しています。行ってみると結構楽しい旅になると思いますので読んでいる皆様にもオススメ。せっかくなので写真たくさんでご案内します。
【写真1】ハバナ旧市街1 スペイン語が飛び交い、こんな雰囲気で食べるところがたくさん。観光客としていけばどこにでもある普通のトロピカルなリゾート地と変わりはありません。
【写真2】ハバナ旧市街2 古めの白バイ よく見るとYAMAHA製
【写真3】ハバナ旧市街3 ベイエリア 随所に砲台跡があります。
【写真4】ハバナ旧市街4 ベイエリアの一角にある支倉常長像。慶長遣欧使節としてメキシコ・キューバに立ち寄ってさらにスペイン・イタリアへ向かったようです。そのメモリアルとして設置されています。
【写真5】ハバナ旧市街5 旧市街の観光地。(名前を忘れてしまいました。)施設の中を優雅に孔雀が歩き回っていました。
【写真5】ハバナ旧市街6 良く話題になるキューバの現役クラシックカー。アメリカの経済制裁が主な理由といわれていますが、ここまで古いと楽しんで使っているようにも感じます。
【写真6】Hotel Florida ハバナで泊まったホテル こんな建て方を British Colonial Style などと呼んでよいものか?筆者の知識不足でよくわかりません。建物自体は老朽化が進んでいますが丁寧に管理されています。日本人的に名前と雰囲気だけでなら凄そうなホテルに見えるかもしれませんが現地では普通クラスです。
【写真7】Hotel Florida の Restaurant1 タイムスリップしたような良くも悪くも Authentic な雰囲気を感じます。革命以前はアメリカなどの富裕者層が楽しんでいたんだなあと思います。
【写真8】Hotel Florida の Restaurant2 お皿に見える食材はロブスターなのですが、キューバではロブスターは国有財産として管理され(多分)一般庶民には手が届きにくいもののようです。(不確定情報)
【写真9】ハバナ旧市街7 旧市街にある旧国会議事堂 革命以前、(不正と搾取で?)リッチだった当時の政府がアメリカの連邦議事堂をマネして作ったものらしい
【写真10】ハバナ→バラデロ(Varadero)へ向かうバス バラデロは海外観光客向けに開発されたリゾートエリア。アメリカ人は当然来ませんが、リーズナブルな価格設定なのでカナダやヨーロッパの人はたくさんやってきます。
【写真11】バラデロ アミーゴ!
【写真12】バラデロ 泊まったホテル1 Hotel Palma Real いたって普通でした。
【写真13】バラデロ 泊まったホテル2 家族向けのそこそこのレベルで、All-inclusive Style にしているのでお金を一度払ったら追加料金を気にせず楽しめる設定になっています。
【写真14】バラデロ どこのホテルからでも歩いてすぐにビーチにたどり着きます。バラデロの利点は、地元の人の制限エリアにあるビーチなので、タイのパタヤやプーケットみたいに、飲み物買えだの土産物買えだのの人がやってこないので静かに過ごすことが可能。
【写真15】バラデロ いわゆるバスクリン的な海の青さ ゴミもなくて綺麗です。
【写真16】バラデロ どこかの施設。日本人の観光客的な目線でなにげにワクワクしてしまいます。
【写真17】バラデロ キューバのイヌも暑いので日陰を求めます
【写真18】ハバナ旧市街8(バラデロから戻ってきました) 普通の日本人には見慣れない光景なので印象に残ります。このあたりを見ると観光振興と海外資本等が入ればもっと発展しそうに感じました。
【写真19】ハバナ市街9 旧ソ連製?の戦車(突撃砲タイプ)が何気なく飾られています。
【写真20】ハバナ旧市街10 革命の博物館 革命当時?のプロペラ機などを展示
【写真21】ハバナ旧市街11 革命の博物館 こちらは旧ソ連製?のT34戦車