FOU’s blog

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カナダの大学5 Quebecの言語・社会 その他

Quebecの言語・社会 その他ーカナダ・ケベック州の大学ーその5

ケベックのフランス語事情

Montreal にいて気づく こと

筆者はもちろん言語学者でも歴史学者でもありませんので1年Montrealに過ごした際の経験、現地情報をもとにしたお話です。カナダと言えば多文化多言語主義を思い浮かべるのですがこちらでの状況は他の州の取り組みとは異なります。

日本人が初めてMontrealに行ってみると「思ったよりも英語が通じる」という言葉が返ってくることが多いと思います。これはある意味正しく観光地のOld MontrealMcGill University 周辺、昔より裕福な英国系住民が住むWest Mount 地区あたりは英語が通用します。反対に言えばそれ以外の場所は完全に仏語優勢。さらにQuebec州法により看板なども仏語語使用が優先されます。筆者がMontrealにいた頃、Montreal Expos と言うMLBチームがホームチームとして試合をしていました。その試合の際、スコアボードの掲示はフランス語標記にする徹底ぶり。また、Quebecにあるゴルフコースではスコアカードをフランス語記載のみに変更させられ英語話者の利用者を困らせたりしています。

【写真】エキスポス×カージナルス戦(1998年シーズン)@Stade olympique

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カナダのQuebecの仏語話者をケベクワ(Québécois)と言い、この人たちをFrench Canadianだとイメージしがちですがそうでもありません。Quebecに隣接するOntarioにおいても人口の10%は仏語話者、また、セントローレンス川沿いのカナダ諸州にも多くの仏語話者(この地域の仏語話者はアカディAcadieと呼ぶことが多い)が存在します。さらにアメリカのルイジアナ州もフランス文化が根づいています。これらの人たちの起源は英国より早く入植したフランス植民地ヌーヴェル・フランス。英国13植民地は北米大陸東岸に沿って形成されましたがヌーヴェル・フランスは、セントローレンス川に沿って五大湖周辺までの広大な範囲を(支配するには人口が少なすぎるため植民ではなく)管理下におきました。しかし居住人口の増加は少なく、規模が大きくなっていくイギリス植民地側との戦いに敗れます。1763年のパリ条約(七年戦争の後始末)において当時のフランスはイギリスにほぼ全ての北米大陸での領土を譲渡しました。このパリ条約の少し前、1760年にMontrealでヌーヴェルフランス植民地政府がイギリス軍に降伏文書に調印した際、北米でのフランス人居住人口の多さを危惧したイギリス側は、フランス本国への帰国を望むフランス人には私財の保証と帰国船の手配までする厚遇を行いQuebecで財をなした商人や軍人・官僚たちはとっとと帰国してしまいます。それでも7万人程度のフランス人がQuebecに留まります。その多くはフランス本国に帰るあてのない狩猟や農耕を行っていた文字を読めない貧困層と強固な意志で布教を行うイエズス会の修道士たち。そのためイギリス統治となってからもQuebecカトリック教会による教区制度を中核とした前近代的な統治が長く続きます。その出来事が現在まで続くQuebecの様々な因縁となっています。以上のような経緯があるので、ケベクワがそれほどフランスが好きな訳でもなく、彼らなりに彼らの歴史や文化を大切にしたいと言う思いがあるのだと筆者は感じています。

時制表現の違い

分かりやすい事例として、フランスに行ってホテルに泊まって朝がくるとPetit déjeunerと矢印をされたところに行くと朝ご飯が待ってくれているのですが、Quebecでは違います、朝になって矢印をされているのはdéjeuner(midi)。なんでこうなるのかは理由があって基本的にQuebecの仏語は1763年頃(アンシャンレジーAncien régimeの頃)からフランス本国とは異なる独自の発展をしてきました。外部的要因としてはイギリス統治化と北米英語文化圏内での孤立があげられます。また、英語からの借用語が多いのも特色となります。

トリビア的な話になりますが、在カナダの日本公館は、Toronto総領事館Ottawaの大使館含む)は英語系の職員で固め、在Montreal総領事館(管轄はQuebecより東の州)は仏語系の職員が中心となりなります。筆者がいた頃よくお話をしたMontreal総領事館の広報文化担当領事の人によるとQuebecの状況については仏語文化圏ということもあり、今でもフランス本国も気にかけているところがあり、大学への人的交流をして文化の交流を図ろうとしているのですがあまり(フランス本国側としては)成果は出てこないとのこと(あくまでご本人の弁)。それでもMcGill Univ.の中でもフランスから国籍変更してQuebecで暮らす教員は複数見かけますし、筆者がMcGill Univ.でフランス語を教わった先生はフランス国籍者でした。(この先生『Quebecではこう言うけどフランスではこうなる』的な授業をしてフランス人としても差異を感じているんだなと感じました。)