FOU’s blog

日本の大学 今 未来

台湾の大学3 国立台湾大学 台北帝国大学と荒勝文策先生

これからが台湾シリーズのメインテーマ こちらも写真多めです

理学部物理学系今昔と資料館探訪

【写真】こちらが古くからのメインストリート、ヤシノキ並木が続きます。この道に沿って教育研究の施設が並んでいます。

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【写真】ヤシノキ並木にある建物

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【写真】その中にある建物の一つが物理学系の入る建物。建物はかなり古い感じ

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 【写真】訪問した施設がこちら 2000年代に入って帝大時代からの資料・収蔵品を集めて展示をしています。研究室一部屋程度、それほど大きなスペースではありません。英語表記だとNTU Heritage Hall of Physics(Nucler Physics) となっています。大学の過去の歴史と物品を将来に残す意図を感じます。

国立台湾大学様 訪問の際、施設内での展示品の写真撮影時は管理者的な女子大生様から許可を得ましたがブログ掲載等の利用方法についてははっきりとした承認を得ておりません。何か差し支え等がある場合、お申し付けいただければ写真等の情報を削除等いたします。

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【写真】研究室の系譜 左から荒勝文策教授(初代講座教授・京大)、(先任)太田頼常助教授(初代講座助教授・京大)木村毅一助手(京大)、植村吉明技術員(台北高等工業学校)、もうお一人の戴さんも京大理卒の方。多分人事と予算の制約上教授一名+太田助教授+助教他で講座を開始したことが分かります。大学が開校したとき、荒勝先生で38歳、他の皆さんは20代で研究を開始したことになります。

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【写真】昭和3年大学が作った所謂大学案内。大学令帝国大学令から始まり、大学の講座数、教職員の定員、各種学内規程、学生の制服デザインまで記されています。設立当初は大学全体で専任教授22名・専任助教授16名・専任助教22名で教育研究活動が始まっています。以下写真は理農学部の教授の紹介欄。理農学部の教授は11名(荒勝先生は一番最後)、筆者個人的な見立てでは農学の教育研究が優勢、農学研究の一環で理学系部門がサポートをしているように見えます。このような資料を見るだけでも原子核物理が専門の荒勝先生にとっては帝国大学の看板はあってもかなりのミスマッチで恵まれた研究環境ではなかったようです。

資料:台北帝国大学一覧. 昭和3年(台北帝国大学 編)インターネット公開(保護期間満了)国立国会図書館デジタルコレクションより

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【写真】右側は荒勝先生の任用状、台湾総督名で台湾高等農林学校教授を任じられています。台北帝大が本格稼働する前に台湾でのポジションを得ていたようです。ただ実際にはこの期間は台湾では教鞭に立たずイギリスへ研究留学し当時の最先端研究の現場を知ることが出来たようです。以下その流れ、

1926年(大正15年)任台湾省高等農林学校教授(ヨーロッパ滞在中は主に英・ケンブリッジ大学キャヴェンディッシュ研究所で研究)
1928年(昭和3年)  任臺北帝國大學理農学部首任物理學講座教授

1936年(昭和11年)任京都帝国大学理学部教授

左側は、「アトムのひとりごと (1982年)」 木村毅一先生の著書

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【写真】『広島原爆後日譚』木村先生が、広島に未知の新型爆弾が投下されたとの報を受け荒勝先生たちが現地調査を行った際の直筆レポート。現地においては理研の仁科先生のグループとともに使用された兵器が原子爆弾であると断定しています。

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【写真】昭和19年に許さんが職工見習いで理学部勤務を命じられた発令書(日本の東大京大でもこんな資料を常設展示している部門は(筆者の知る限り)ありません)

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 【写真】物理学講座の鍵の管理簿 こちらは年号が民国表記になっていますので管理責任者は終戦後もしばらく勤務を続けた太田先生の名前になっています。

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 台北帝大における荒勝先生の一番の業績は、コッククロフト・ウォルトン回路型加速器を稼働させ原子核人口変換を成功させた(1933年)ということで評価されています。筆者の当初の認識は帝大という恵まれた環境と潤沢な研究費があったからこそ出来た業と感じていましたが、昔も今もそれほど世の中は甘くはないよう。いかに帝大でのポジションとはいえ『40前の若手教授のやっている訳の分からん研究』に多額の資金提供は行えません。また、物理学講座の構成員もまだ20代の若者数名のみ、草創期のバタバタした大学の中で会議や授業、諸々の雑用に追われながら5年ほどで研究施設を整え結果を出したことについて荒勝先生の別の意味での非凡さを感じます。技術支援を行った精糖会社をパトロンとして資金援助を受けるなど素朴で温厚な写真の姿とは裏腹に泥くさい地道な取組みもされていたことが印象的。

筆者は詳しい成り行きは知りませんが、(多分)荒勝先生の研究の進展に驚いた政府はその研究の場を講座ごと京大へ移します。それ以降さらなる研究の進展がありますが、時を経ず第二次世界大戦に突入。海軍は荒勝先生の研究に興味を示しますが、あくまで机上理論での検討程度。もともと当時の日本では軍産学で系統だった研究開発をする体制が整っていなかったことと軍側にも東洋一と謳われた大阪砲兵工廠のような自前の研究開発生産拠点が各地にあったので、それほど京大の教授先生にアタマを下げる必要もなかったのかもしれません。いくつかご参考:

台北帝国大学京都大学における初期の加速器開発と原子核物理学研究(前編)竹腰 秀邦(会誌内に当該レポートがあります。) 日本加速器学会 

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