FOU’s blog

日本の大学 今 未来

【短編】市長さんが大学を履歴書の学歴欄の記載としかみていないことに憤ってみる

卒業か退学か除籍かしらんけど

伊東市長さんのお話について、いろんな疑問や非難が出ています。大学で働く者の気づきでいくつか。

卒業してたら

卒業する時、普通に卒業証書をもらえたりするものです。また、卒業後も(特に私大なら)定期的に同窓会誌や寄付のお願いが送られてきます。

退学したら

退学は、必ず学生自身の意志により大学へ退学願(書類)を提出し、大学が承認すれば認められます。ですから、学生側は必ず覚えています。

除籍になったら

除籍のアクションは大学側にあります。よくあるのが、一定期間授業料を支払わない、一定期間大学に出てこない、成績が不良である、学生としての非行をおこなった、最大修業年限までに卒業できなかった等々で、学則に基づき大学側が除籍を行います。大学にもよりますが、除籍者には除籍の事実のみ記録され、在学中の成績等の証明も出しません。

東洋大学さんはもっと怒ろう ー大学をなめているー

市長さんのこれまでの言い分は、卒業したと思っていたが、大学へ行って確認してみたら除籍だったとのこと。在学中は自由奔放だったのでよく覚えていなかったようです。

筆者も同じ法学部卒業ですが、今でも在学中、どこかの分野の法(筆者なら経済法)を専門的に学び、特にゼミ・卒論の際の指導教員の名前や研究テーマ等々は必ず・絶対覚えているもんです。

で、筆者が腹立たしいのは、在学中、大学にも行かず自由奔放だったので、よくわからないという釈明。普通、大学は高等教育機関なんだから、何かを学びその成果を社会において役立てないといけないのに、その気持ちはまるっきり見えません。確かに大学での4年間はモラトリアム的な要素があるのは事実ですが、市長さんのような公的立場に立つ人物が、大学には入学したけど自由奔放だったので何時除籍になったのかすらもわからないと言うのはホントがっかりです。それに東洋大学さんにも自分の不始末で迷惑かけてるんだからお詫びした方が良いです。

結局、この人物、履歴書の学歴欄を埋めるため、何時、何を学んだかもわからないまま大学の名前を書き込んだということ。コドモへの説教になりますが、言葉のとおり、学歴ってそれこそ Educational Background なんだから何もやっていないのなら書いちゃダメです。

 

 

【大学いろいろ】大学の献体事情

某大学で献体登録をしました、このことでは、SNSを見渡すと、妄想というか、ちょっと違うことをイメージしている人がもいるようですので、良い機会でもあるので実際の状況を考えてみます。

人々の大学病院への妄想

昔からよく聞く大学の怪談?ものを一つ。『医学部には高額で特殊なバイトがあって、夜な夜な病死者の遺体をホルマリンとかの薬品のお風呂につけて棒か何かでつっついたりひっくり返したり』するお仕事があって?一部のマニアは目を皿のようにしてバイト雑誌で探しているとかいないとか…で、大学職員の筆者でも実際あるのかないのか知りません。

献体の募集

で、全国の医学部・歯学部のある大学では、献体募集を行っていまます。このお話、おひれがつきやすいようで、SNSとかでコメントを見てみるとちょっと違っているのがたくさん出回っています。そこで、ついさっき実際献体登録したばかりの筆者がその実情を説明してみます。

献体の必要性

まず、献体を行うことの第一目的は、学生が行う病理実習(2年次生くらい)のため。行きつけのクリニック(難波界隈)の診察の機会があったので、先生(消化器内科専門医)にこの話をしたところ、しんみり『学生の時、実習室へいったら、いくつも死体(献体)が並んでねん。それまでこんな形で死体をみるのなかったからびっくりやったわ…医学の進歩へのご協力ありがとうございます…』と思い出話をしてくれました。基本このことに献体は使います。また、臨床研究での需要もあるようです。献体ではありませんが、いわゆる基礎医学分野で解剖学を専門としている先生たちは、警察等の要請で不審死者等の死亡原因を特定する場合(法医学的分野)にもおこなれます。

献体プロセスあれこれ

筆者の経験を中心に以下整理しました。

献体登録

最初のステップは、献体を希望する大学への登録申請。献体については、それぞれの大学に、お花の名前(白菊会が多い)の献体団体があります。そちらのHP等でまずは情報収集をするのが先決。なお、入会に際しては、人数制限、地域制限(例えば大阪府北摂地域に住んでいる人限定etc)、年齢制限(高齢者優先、若すぎると管理が難しい)等を考慮に入れた上、書類選考・面談等の上、登録が可能になります。例えば、わかりやすくいうと、東京に住んでいる人が琉球大学さんへ申し込むのは、物理的にムリ、基本的には、自分が住んでいる住所地の周辺にある大学が候補となります。ですので、筆者は、兵庫県の神戸市内にある大学にお願いすることにしました。ですので、最初から京大、阪大やハム大あたりは、選択候補の対象外。

また、登録は本人の意志のみでなく、法定親族の同意も必要。そのため、実際亡くなった際、献体のあり方等々にごちゃごちゃ文句を言いそうな親族がいるなら、早めに調整をしておくのが良いといえます。

②Pick Up (『お迎え』ともいう)

死亡後のご遺体は、大学経費でお迎えに来てくれます。基本的には、献体者の家族が、亡くなったことを大学に伝えると、大学と契約した遺体搬送車がお迎えにきます。で、この部分は、大学とよく相談することが必要で、亡くなった病院からそのまま、いったん葬儀会社に預かってもらい(自己負担)どこかの式場で通夜なり本葬なりを終えたのち、Pick Up してもらえることも可能。余談ですが、夏季の暑い時期に本葬まで執り行う場合、ドライアイス等による保存の必要性が生じます。このあたりは、大学経費ではなく自腹。このようなスケジュール感も、献体者が元気なうちに決めておくのが肝心。筆者の個人的なイメージは、中途半端に葬儀をしてもアレですので、病院directをお願いする予定。

で、搬送費用と距離感。依頼する大学の基本的な考え方は、兵庫県内なら無料でお迎え。ということは、行くのに車で数時間かかる、日本海側のカニのおいしい香住や温泉で有名な城崎(きのさき)で亡くなったら運搬費用は全部大学もちなので、なんとなくお得感?があります。反対に隣接する大阪で亡くなった場合、神戸市内から阪神高速乗って数十分でつくのに大阪府に入ったとたん(県外なので)追加料金が必要になるのは不平等感が芽生えます。このことは大学も気にしているようで、少額の追加料金を払えば大阪でもお迎えにきてくれるようです。他にも、いくつかの大学の事例をググってみても大学所在地にある都道府県内からの費用負担なしが基本的な取扱いになっています。ただ、首都圏は、狭いエリアに複数の医学部があるので、実際どうなっているのか個別によくリサーチすることが大切です。

じゃあ反対に、神戸の大学で献体登録した人が東京で亡くなったらどうか?ですが…(仮に)東京→神戸へ搬送すると数十万のコストがかかるとのこと。ですので、まずは献体はあきらめることに。ただ、事前にうまく相談しておけば、首都圏の大学(東科大?東大?あたり?知らんけど…)で引き取ってもらえるかもしれないとのことでした。

③大学についたら

献体が医学部にご到着。念のためですが、献体は大学病院には行きません。あくまで医学部。献体の取り扱いはヒトではなく(大切な)モノに変わっています。ここからはプロレベル?のお話になりますが、献体の下処理?が始まり数か月かけて実習に適した状態にします。そしてその時を待ちます。

で、解剖等の役目が終わったら、きれいに整え斎場へ運んでお骨に。大学によってはこのような処理のプロセスを(コストカットのため?)外注しているらしいのですが、筆者がお願いする大学はきっちり学内で正確に管理されているとのことでした。大学における献体の取り扱いについては、時々、SNS等への不適切投稿、親族への告知遅れや献体のおきっぱなしや遺骨の取り違えがニュースになります。このあたり大学の責任できっちりしてくれることを期待です。でないと、化けてでて末代まで祟ってやります。

⑤どんな人が献体しているの?

筆者が献体登録した大学の会誌を読んでみると、成願(という言葉をもちいていました)された年齢はお高め、また、思ったよりも、女性献体者が多いのが印象的。憶測ですが、しっかりした人生観を持った人が献体をしているように感じます。

⑥首都圏は大変そう

首都圏を除けば、医学部のある大学は、その生活圏内に多くはありません。ですので、献体先の大学も選択肢は限られます。ですが、首都圏では、電車に乗って数十分圏内にいくつもの医大が。それに、みなさん、キャラが強そうな大学(特に私大)ばかりです。献体者の気持ちとしては、(多くの場合)その医大に何かしらのご縁があったり、思いがあったりで、大学の方針に賛同できるから献体を行うわけで、(例えば)順天堂大さんで献体をしてもらいたかったけど、無理と言われ、聖マリ大さんに引き受けてもらう、という話にはなりにくいと思います。これは、聖マリ大さんが好きの方の場合も同様。そんなこともあり、献体先の大学をしっかり決めることはとても大切。

献体部分のまとめ

献体に関する全国組織は、比較的緩いつながりで、公益財団法人日本篤志献体協会さん、篤志解剖全国連合会さんというものがありますが、大学ごとの献体実施に関する事細かなとりまとめは行っていません。そのため、献体を考えている人は元気なうちに、いろんな大学の状況を知り、学んだうえで登録へ進むのが良いと思います。調べるのは簡単、医学部のある大学なら大学名+献体でググればすぐに見つかります。

死生観と献体の整理のつけ方について、筆者個人的には、とても合理主義者ですので、亡き後、遺族の前から、すぐに物理的に遺体がなくなることがあっても、何も心配することはないと考えます。それに数年後には遺骨の返還もしてくれますので納めたい墓があるのならその時納骨すれば終わりの話。今後も続く高齢化と多死社会の中で、自分の死をどう取り扱うかは、実際死ぬ側の心構えが大切になるんだと感じます。死んだあとも社会貢献できる献体って良いことだと考える立場でこのブログは書いています。

いつもどおり話がなってきたので、一旦ここで終わらせて、次にちょっと関係するかもしれない神戸市中央区界隈のお話をしてみたいと思います。しばらくしたらアップしますのでよろしけえればご購読を。

⇩ご参考 こんな業者さんがお迎え・引き取りに来てくれるようです。※HP読んでいるとドライバー人材等雇用確保のため、HPトップ等をそれらしく明るい雰囲気に更新をされたようです。

hantoku09.jp

 

【とても難解】博士論文への道 ー査読論文って奥深いー

この話、ついてこれる方はお読みください。そのへんにいる大学事務職員100人中数名程度しか理解できない超難関なお話。『なるほど!』でも『くだらんことかいとんなあ』場合によっては『それ間違ってんちゃう?』でも結構ですので、このことを考えてもらえる機会になれば… お話の基本は、人社系大学院を中心にしています。

はじめに

このお話(問題提起)って、大学院の博士後期課程での、学位取得のプロセスの中でのお話。筆者個人的には、このことが理由となって日本でにおける博士学位の取得者数が伸びない理由と感じます。今現在、MEXT&JSPSが一生懸命がんばって他国と大きく後れをとる大学院課程の底上げのためいろいろ努力はしていますが、査読論文(ピアレビュー)の取り扱いについては(ほぼ)出てきません。でも、お話しなきゃ博士学位の取得数は絶対伸びません、というのが筆者の持論。

誰も取り上げない査読問題 ー学位取得のための査読論文の意味合いー

で、なんで日本の博士後期課程では、博士学位を取得する過程の中で、(特に)査読論文なのか?。その基本的な考え方の一つは、研究者としての能力の確認のため。博士論文だけでなく、学会活動を行い、学会誌に投稿して査読をうけた論文による研究成果がないと博士論文の審査が進まない仕組み。一番わかりやすいのは Nature や Science のような誰でも知っている国際学術誌に投稿が選ばれページを割いて掲載されるということは全ての研究者でも憧れで目標といえます。正確に言えば Nature誌etcは、査読論文を受け付けているわけではありませんが、イメージ的には同様。その研究者の第一歩ととして、まずは査読論文を書きましょう、ということ。

基本 ーどのフィールドでも査読論文は大切で必要ー

(多分)すべてのフィールドで、博士の学位を取得する際の要件として、査読論文の本数が求められます。その数は最低でも2本以上、これには緩和措置?的なものとして、自分の大学で作っている学術誌(紀要)の掲載が認められていて、比較的簡単に1本は用意できます。それ以外は、自身の研究内容と研究指導を受ける先生の指導などでどこかの学術団体に入って研究者の第一歩を踏み、その団体から論文投稿を行うのが基本。

一番わかりやすく信頼できる(といわれる)団体は、日本学術会議協力学術研究団体といわれる組織たち。名前のとおり日本学術会議とくっついていますから基本的にはだれでも信用してくれます。このような学術団体は、定期的に各地で勉強会や研究成果の発表会が行われ、年に1冊くらい学術誌も発刊され、大学院生などからの査読を行った論文の投稿機会を設けています。ただ、どこでも論文掲載の本数は制限されているので投稿すれば全部が全部すぐに学会誌で取り上げられるわけでもありません。

そんな学術団体の状況をぱらぱらっとホームページなどを眺めてみると、規模が小さすぎたり、学会活動が低調なところも結構みつけられます。また、加盟団体でなくても、評価されている団体もあります。このような状況をみるにつけ、査読に依存する博士論文の審査のあり方自体考えさせられます。

①論文の査読者を増やせないにも理由はたしかにある

以上が、今の日本のアカデミアでの査読論文のお話。そんなで学術団体側も大変。これから頑張る研究者のため、ボランティアに近い形で論文査読やってくている学術団体は、出版物の場で、投稿論文に多くのページを割くわけにはいきません。そのため、投稿しても高い倍率がついてしまい、いつまでたっても掲載されないこともしばしば。そんなで、学生の『(学会誌に)査読論文がまだアクセプトされていないんで(博士)論文が出せないんです…』の悲しい現実が訪れます。

投稿を希望する人が多いのに査読者がいないことには理由があります。まず、査読者は善意で匿名性が担保される中(原則)無給のボランティアとして依頼・受諾するのが普通。そのため、そんな人にたくさんの査読を依頼することができません。それに一定の論文を査読するためには、その論文についてコメントできる専門的な知識が必要。例えば、思いつき事例ですが、、

中国哲学の論文をインド哲学の先生に査読依頼をするのはしんどい

西洋史の論文に関する査読依頼をかけるにしても、近代アメリカ史の先生にローマ史の査読を頼むのはしんどい

のように、たくさんのフィールドで査読ができる先生を抱えていないと適切な査読を行うことは難しくなります。

同様なことをしているのが科研費科研費の審査は、査読ではなくピアレヴューという表現を用いますが、全てのカテゴリーの科研費申請をクリアするため多くの分科細目を設け、できるだけしっかりした適任の研究者が審査できるよう工夫しています。これを審査に疑義を持たれないよう年度により審査員を更新するためには(JSPS学術システム研究センターによる審査候補者のプールは)一万人を超えてしまいます。これだけの規模でできる理由はMEXT・JSPSが国費を投じてやっているから。とても小さな学術団体では、丁寧な査読を行う審査のための人員を用意することはできません。

ハゲタカとはいえないけど…

と、出だしにはその言葉を書いてはみましたが、ハゲタカジャーナル的な話には踏み込みません、と、言いつつ成り行き上仕方ないので最低限書きます(どっちやねん)。まず、ハゲタカの定義については、どこの大学でもHPのどこかに書かれていて、『粗悪学術誌というものがあるので注意して~』のようなもの。で、何が悪いかというと、論文投稿料や学会参加費というような名目でお金をとり、テキトーな査読(もしくはホントはしないで)電子ジャーナルに論文を公開しているようなことを生業(なりわい)にするところが問題に。そんな論文が粗悪学術誌により権威付けられ評価されてしまうことで真面目にやっている研究者たち研究すら疑われてしまいます。特に、問題となるのはハゲタカは英文のジャーナル(特に医学・自然科学系)が中心。

ハゲタカ学術団体は、海外に拠点をおき英語で書かれたそれらしいカッコイイ団体名称を装って、日本国内から眺めると信頼できるものに見えるのかもしれません。こんなのを誰かさんが自身の研究業績に加えていたら、見る人がみるたらすぐにばれてしまい、信頼できない研究者の烙印が押されてしまいます。また、そんなハゲタカを見抜けなかった論文審査員、ひいては大学まで信頼を失います。

ハゲタカが良くというわかりやすい事例として、悪質な企業が海外の学術誌からも高い評価をもらった健康食品ですと広告上のエヴィデンスととして販売資料に用いること。医学系ジャーナルでは(効果が検証できない・期待できない)医薬品(抗がん剤とか)の販売を助長することにもなりかねません。人社系のハゲタカも根拠なくうその記事を掲載することにより、どこかの国の政治批判や過去の事実の歪曲化なんていう Fake News の根拠立てにも利用ができます。やはり摘み取っておく必要あり。

関連し、ついでに言えば、degree mill のお話もあますが今ではあまり話題になっていません。(もう深入りしませんので関心のある方は自分のお力で。)

⇩ハゲタカについて

www.nistep.go.jp

もう一つのアンタッチャブル ー誰も知らない学術団体ー

と、言うことで、『ハゲタカには注意しましょう』は、アカデミアの世界では常識になってはいますが、他にも気になるものが筆者にはあります…。こちらの方が始末が大変。

例えば、その筋の5~6人の(ちゃんとした)先生たちが発起人となり(というか、あつまって)『日本の根本的なまちづくり研究会(仮称)』・『日本から心臓病をなくす先端研究会(仮称)』を立ち上げ、定款を作り、定期会合も(形式的には)行い、学会誌も定期刊行し、学生向けの査読論文の募集をしたらどうなるのか?それは査読論文として認められるのか?。

学術団体の活動自体は自由だし、学生や若手研究者の登竜門として論文募集をすることも悪い話ではありません。ただ、そのような査読論文が学位取得のための評価として認められるか?。例えば、学位審査の教授会とかで、とある先生に『この査読した団体良く知らないんですけど大丈夫ですか?』のような発言をされてしまうと、博士論文の主査の先生のお顔は青ざめてしまいます。

そのためか、予防線として、公表学術論文 という仕組みを設け、日本学術会議に登録された学会が発行する審査規定が明記された学会誌に掲載された論文、それに準ずる論文、また、海外において、第三者審査委員が明記されている学会誌・学術雑誌に掲載された論文等々を指すようにし質的保証を担保するようなこともしています、で、そうすれば質的な担保できるのでしょうが、博士学生の論文提出の場が狭まり、査読論文を出せないことによる学位取得の遅延が生じかねません。(良心的な学術団体の募集でも年に多くて数回、それに右から左に出せば全部受理してくれるものでもありません。)

で結局のところ、査読は誰にとっても大きな負担。学生の立場からすれば、本丸の博士論文の執筆をしたいのにそれ以外のことに足を引っ張られてしまうことに。

近隣諸国の状況

中国さんは、博士学位取得者は2023年段階で10万人越え(中国教育部・留学生含)、韓国でも二万人に近い数値になります。日本はと言えば1万5千人程度(そのうち三分の一は論文博士)。国際的な目線は、単純に中国は多い、日本は少ないという評価につながりますので困ったものです。

大きい声では言えませんが、中国なんかは博士学位者を増やすことが国家目標ですから学位審査が手ぬるい(日本のプロセスではないゆるい方法で)博士を授与していることがよくわかります。確実に言えることは(韓国でもそうですが)、急激な大学(院)の増設をしているので、ちゃんとした博士論文の審査・評価ができる教員なんて(絶対)多くはいません。反対に日本は堅苦しいローカルルールに固執しないで博士学位の授与をもっと進める必要があります。国際的には何気なくたくさん学位を出してもゴチャゴチャいう人はほんのわずかです。

嘆いていても仕方ないので対策 Preliminary Exam,  Qualifying Exam. する?

査読論文は大切だとして…アメリカの多くの大学の博士課程では、通常入学してから1年後ぐらいのタイミングで、Qualifying Exam と呼ばれる、大学院学生が研究遂行に必要な基礎知識を十分持っているかを確認するテストを行います。さらに Preliminary Examination (博士論文の作成能力の判断する予備試験)を設け、(一応)目に見える化して学生の能力を評価する方法をとっています。cool な大学職員であれば、ちょっと前、博士課程教育リーディングプログラムが行われていた際、良く耳にした言葉だと気づくかもしれません。

相も変わらずの日本の大学院のカリキュラムですが、このシステムを取り入れている大学院もなくはありません(新しく五年一貫となった京大薬学研究科とか)。多分文科省に言われてやっているんでしょうが…、なんとか新しい道が拓ければと感じます。

まとめ 博士論文と査読論文は(直接)関係はないのに…

結局のところ、筆者の言いたいことは、査読論文というものが、博士論文の道筋のためどれだけ役にたっているか? です。

多分、過去に博士学位を得た人には良くも悪くも思い出話として記憶に残っているんでしょうが、今後も続ける必要性は大きくありません。今後博士学位を多く出すには、必ず改める必要があります。※それでも、論文博士のような愚かな学位認定の方向に進んではいけません。こちらも大切。

↓大学院、特に博士後期邸は問題山積です。古いのもありますが気になる方は是非ご一読を.

※資料2-3_学術情報流通に係る懸念すべき事例への対応状況アンケート集計結果 が参考になります

www.mext.go.jp

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www.nistep.go.jp

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【短編】そのとおりとしか… ー財政制度分科会に書いてあることの考え方ー

財務省さんが好きなわけではありませんが、文科省さんはムダな抵抗はやめましょう。大学職員さんも財務省さんや世間一般の人たちの大学への目線を知る良い資料だと思います。

未来はすぐにやってくる

財務省さんは、財政制度等審議会等を中心に、財政を中心とした将来予測とその対応・提案を行っています。で、この出典は、その中で行われている【活力ある経済社会の実現 安心で豊かな地域社会の確立 (財政各論Ⅰ)2025年4月15日】(普通にポンチ絵で58枚)というもので、人口減少社会が加速する将来の財政の困ったことをいろいろ書いたもの。いろいろのメディアでも大学の将来像をこの資料をもとに書かれていますが、実際量的にはそんなに多くページを割いているわけではありません。以下が筆者が感じた気づき。

①人口減少社会の中で、人材育成を強化するためには、高等教育における安定的的な質の確保が必要限られた予算の中で、私学助成についてメリハリが必要、大学規模の適正化(スリム化・コンパクト化する)することが必要。

ご説ごもっとも。この資料中、全体的にリ・スキリングという言葉が良く用いられていることも印象的。財務省さん的には、様々な手法による全ての年齢層での学びなおしが必要と考えているようです。

②一定の教育の質が確保されている大学に対して国費が投入されるよう、その在り方を見直すことで~、 教育の質の向上につなげる制度とすべき。(記事中全般の雰囲気)

良い大学には手厚く、ダメな大学にはそれなり程度にして公費支出を有効で意味あるものにすること。これは、当然、ターゲットは、学力レベルの低い私立大学のことを指します。文科省のやっている支援は手ぬるいからメリハリをつけろというのが財務省さんの考え方。筆者も同意見、急激な人口減少社会がきている中、今のやり方ではダメ、どのみち近い将来目に見えてもっとひどい状況がやってきます。様々な改革は喫緊の課題。

③ 私立大学の公立化が定員割れ大学を安易に公費で救済する結果~

公立大学の可否については、千葉科学大学のところでたくさん書きました。千葉科学大の場合は、結果として救済先?が、あらわれて、他の民間学校法人に経営をゆだねました。それまでの銚子市VS加計学園の話し合いでは多くの条件面で折り合わず公立化を断念しましたが、筆者は銚子市さんは正しい選択をしたと感じます。蛇足で言わせてもらうと、引受先が、野球とゴルフの部活と還元水の利用を得意とした?特色ある高校運営をしている小規模学校法人が、どのように大学を建て直すか非常に関心があります。

④高等教育の学生数は増加((平成元年)193万人→(今現在)263万人)し大学進学率が向上(同25%→59%)しているにも関わらず、私立大学全体の入学定員充足率は足もとでは100%を下回っており、約6割の私立大学が学生から選ばれず定員割れを起こしている(平成28年以降新設の44大学についても約7割が定員割れしており、設置認可審査も不十分な可能性)が、令和5年度における学生一人当たり補助額は定員割れの私大等(私立大・短大)の方が大きくなっている状況。(P17 労働・人的投資等⑥:人口減少と私立大学の定員)

ややこしい話ですが、高等教育機関の見かけ上のキャパは、学生数も増えて拡大しているのに、なぜか私大の6割が定員割れしていることへの疑問。現行制度は、どこかで矛盾や改善を要するのでは、という問いかけ。助成や学部新設のモノサシを定員充足50%にするか70%まで引き上げるというレベルだけで考えて良いものか?将来的にもっと厳しい時代がくるというにのんきなお話です。

⑤労働・人的投資等⑦ :教育の質の実態(P18)やはり以下の事例(初等中等教育的な)のような授業を大学で行うことは、職域分担的によろしくありません。また、他のところ(財務省etc)から突っ込み(指摘)の対象となります。今の日本の高等教育の実態として、以下のような学生が受験した場合、不合格にすべきなのか、大学経営・採算ベースを考慮してそれでも入学してもらうかは社会全体で考える必要があります。

・数学:四則演算等、数の初歩的な取り扱いを学ぶ

・英語:文系の基本、Be動詞、現在、過去の区別を学ぶ

・国語・日本語:句読点、日本語の基本的な表記方法を学ぶ

このお話はメディアでも面白おかしく記事を書けるネタ。深堀りするほどのお話でもありませんが、大学でこんなことしちゃダメ、恥ずかしい、入学させるな、で解決を進めるか、大学に入る前の初等中等教育の段階で何をやってるんだ、の視点も必要かもしれません。また、突き放して考えてみると、昔から日本(人)の学力・学習水準ってこんなもんだったのかもしれません。

まとめ

文科省さんも財務省さんにダメ出しされても現実は現実、何かを変えていかないといけません。地方を中心とした見込みのない私立大学たちは、(誰かの)英断でどんどん統廃合すべき、というのが筆者の考え方。反対に首都圏で美味しい思いをしている一部私大たちも痛みを分かち合う必要があります。で、読んで考えてもなんの良いアイデアが生まれない筆者はとても悲しくなりますが、多くの人たちに情報共有と理解が進むことを期待です。

www.mof.go.jp

 

 

 

 

 

 

 

【短編】祝・新学舎完成! ーハム大の看護学部・研究科の新拠点ー

4月から新しい建物になって動き出しました

多分とても良くなる

まずは、看護学部のおさらい。いまでこそ、石を投げたらすぐ看護学部にあたるくらい(表現上妥当?)どこの大学にも看護学部はありますが、実は国立大学には看護学部はたくさんありません。ご承知のとおり(知ってる?)一番最初に看護学部千葉大学にできたのは1975年、それほど古い話でもありません。ですから、それまでは、看護師の養成というものは看護専門学校が主体で、特にそれ以上の教育(ScienceやResearch)は必要としない現場主義の教育が行われてきたのが看護師というお仕事。

それで、千葉大学看護学部はあるとして、他の国立大学はどうしているかというと、例えば、医学部の一学科として保健学科とか人間健康学科(先端看護科学コース)の中で小さな規模で学ぶことができるのが主流。そのようなMEXT・大学の方針は千葉大学看護学部以降も大きく変わっていません。そのような傾向があるので、国立大の看護系学科は少数精鋭で学びの質が高く基本的には専門的なエリート養成機関と言えます。

で、昨今のたくさん増えた大学看護学部は、主として公立大・私立大が(なぜか)担っています。そのことについては、筆者個人的には日本の医療制度のいろいろがそうさせているんだと感じますがそれはさておき…。

なぜハム大の看護学部は期待できるのか?

筆者が第一に考えるその理由は、建物が16階建てになったからとか、定員充足で600人を超える数的優位とか、ではなく、設置母体。首都圏の方向けにわかりやすくいえば、東京都立病院機構の病院すべてを病院実習先として使えるということ。また、大阪の場合は府立とさらに大阪市立の病院も含みます。さらに、建物のお隣には、ハム大医学部附属病院も。多くの私大看護学部で実習先病院探しに苦労している中、このことは大きなアドバンテージと言えます。また、卒業後もこのような病院群で働きたいのであれば、なにがしかのインセンティブも(多分)期待できます。また、大学院も(それなりに)充実しています。設備は最新で、天王寺阿倍野から徒歩圏、行きたかったら動物園がすぐ隣にあるという立地も魅力的。

ちょっとだけ、言わせてもらうとしつこいですがキャンパスの狭さ。筆者の写真同様、ハム大HPの写真を見ても無理やり広角撮影しないと建物全景を映し出せません。そんこともあって上の方に建物を伸ばす(16階)にせざるを得なかったんだと思います。

ということで、筆者には珍しく期待ができる看護学部であると感じました。

www.omu.ac.jp

⇩参考 過去記事(部分2025-01-02付け)
看護学部の巨大化 -巨大化の割にキャンパスは狭いー

市大と府大の両方にあった看護学部を一つにして阿倍野へ統合移転。人数が倍になるので校舎も新築中。よく考えると(考えなくても)無茶苦茶な仕打ちですが、学ぶ側にとってはキャンパスがキレイになって優れた実習先となる病院も増えて損することはなさそうです。筆者個人的には、急に倍になったセンセーたちで行う教授会ってうまくいくか心配がつきまといます。建物はきれいで、大林組さんの設計施工ですので良いものだとは思いますが、敷地が狭いのがちょっと(かなり)気になります。

【写真1】完成間近の看護学部・研究科棟。お隣は医学部と附属病院があります。敷地はキチキチ。

 

fou.hatenadiary.jp

 

【大学徒然】本当にできる教員とは?をつくづく考えてみる ーいそうでいないー

最近つくづく感じるので書いてみます

昔からそうなんだろうけど… 

例えば卒業・修了判定の教授会。修士(博士前期)だろうと博士(博士後期)だろうと学部と比べれば学生数は少なくて、特に博士学位の取得は、研究者への第一歩として重要な道筋の一つといえます。

と、筆者は、思うのですが、実際の教授会では、話すのは、司会の研究科長と該当する学生の主査や研究指導教員の先生の報告が大半。淡々と進みます。特に博士論文については、教授会までに審査用論文には目を通さず、公聴会にもの不参加。マジメ?な筆者はこんなんで学位出すんかい!とがっかりになります。

また、学部長・研究科長や教務委員長のような(絶対に忙しい)ポジションの就きたがらず、打診があったら、研究が多忙、体の具合、親の介護等々の理由で頑なに逃げ切ろうとする姿も見苦しく感じてしまいます。

素敵な先生はいるにはいる

そんな中で、自分の所属する部局に新しい先生が採用されたら、(一般的には)そんなこと他人事で構わないことでも、あれこれ授業やゼミの進めのような学部・研究科のしきたり・ルールを教えてあげたり、みんな尻込みしている学部長であったり教務委員長の役職を引き受けたりする人もいます。で、実際、こんな役につくと、ひっきりなしに事務からメールが届き、たくさんの会議に参加させれられ、自分のやりたい教育や研究は在任中全くできません。でも、そんなことを承知で、役を引き受け、同僚を支える人格者の先生は(中には)いるもんです。そして、そんな先生の行動は誰かはちゃんと見てくれているもので、ちゃんと自分に返ってきてるように見えます。

事務組織で働く職員と異なり、大学教授って、ある意味孤独なお仕事で、誰も何も教えてくれず、相談できる人もまばら。だから、そんな状態だからこそ、他の人のために心を開き、懐ひろく、悩みに寄り添うことができる先生って本当素敵だと感じます。

明日から新年度、そんな大学で新しい学生を迎えます。

 

【医療編】ぶらり歩き番外編 ー海外滞在と医療ー

大阪の病院関係の記事を書きながら気づきで、これから海外留学・研究する人へも参考になればと思いカナダ、アメリカ、タイを中心に書いてみます。前後しますがこれから、余裕があれば、大学病院を中心とした日本の医療についても書くようにします。

海外で病気になったら

救急車

どこの国でも#911すると救急車の要請はできますが、アメリカは極端で、救急車を呼ぶだけで(だいたい)最低1000ドル(15万円)は必要。これが最安値で、週末・深夜加算と移送する距離でどんどん金額アップ。ですので、普通、自宅でお腹が痛い、熱が出たレベルで#911することはまずありません。また、#911して行ける病院(保険が使えるか)も確認しておく必要があります。とはいえ、お腹が痛くなった患者側が救急車を呼べるオプションのついている生命保険に入っていれば気楽に要請できるかもしれません(ですのでお金・保険は大事)。注意しないといけないこととして、飲酒酩酊者に対して『念のため』病院搬送を養成するのも?真に生死にかかわる医学的ケアが必要な場合を除き、行先は警察の施設での留置が相当。一緒飲んでいた人たちも、その場所が公共エリアなら、酩酊を助長させた疑いで警察の取り調べをうける可能性があります。

病院でのお薬の処方も限定的。専門的な治療目的なら処方箋を出してもらえますが、『最近アタマが痛くて…』程度なら『近所の薬局でタイレノール買ってみたら?ダメならまたきてね』で終わってしまいます。ですので、日本的な『アタマが痛いのにCTもとらず薬すら出してくれなかった』という主張は海外では無駄な抵抗です。

Walk in ~ も役にたつかどうか…

どうしても急に体調を崩したなら診てくれる Walk in Clinic英語圏ならWalk in ~だけで通じるみたいです)をがんばって探します。ただ、行ってみたところで、長時間待って問診され、ひどいようなら他の専門病院を紹介してくれる程度。お薬がでるにしても調剤薬局への処方箋を作ってくれるだけ。特に深夜にこんなことしたら疲れがますばかり。ですので、総じて日本的なケア?までやってくれることは厳しそうです。

海外ではたくさんの”慣れ"が必要

海外では専門医の受診にはアポと時間を要します。 The Matrix Resurrections の中でネオに青いカプセルを飲ませようとする精神科医アナリスト(人名)のような人物が専門医(Specialist)と呼ばれる医師。持病を持っていて長期滞在する日本人であればお世話になるかもしれません。

結果的に日本人が海外で暮らすとこのような医療制度のもとで生活することになります。ですので、日本的な、いちいち待ち時間が長い、医師や看護師、事務員、ガードマンとのコミュニケーションとかが高圧的な態度で見下された、絶対忘れない、二度と行かない等々の気持ちになって、いちいち腹を立てたら肝心の治療を受けることができません。このようなメンタルの人は、海外にいくと『アジア人だから差別されたぁ~』の方向に気持ちがいってしまいがちになります。そんなことよりやるべきことは、どこの国に行くにしても、自前で手厚い医療保険に加入することがとても大切。

日本で海外の医療事情を知る方法

アメリカ以外のG7諸国では国民皆保険ですので、医療費は無償もしくは低めに抑えられてはいますが、日本のような自由できままな医療の国は少ないと思います。筆者はカナダに一年住んでいましたのでそのお話。

カナダの医療制度は、国民皆保険制度(Medicare)、すべてのカナダ市民と永住者に対して医療サービスを提供してくれます。その面では日本人にとってとっつきやすいシステム。カナダの医療制度の基本は、連邦政府と州政府の共同出資による運営。医療サービスへの出資は主に税金で賄われています。で、留学生のような一時滞在者の場合は、確か大学の健康センターのようなところの手続きにより医療カードをもらえました。実際に筆者は使うことはありませんでしたが、(多分)病気になった場合、大学の医療センターへコンタクトすれば指示がでると思います。また、学内にも Walk in 的な内科・外科のファストエイドができるオフィスを独自に持っていました。さらに専門的な治療が必要な場合は以下の考え方で進めます。

カナダでは、プライマリケア(初期医療)が重視されており、いつも隣にいるイメージの家庭医(GP)が患者の健康管理の中心的役割を果たします。ですので家庭医はしっかりしていることが前提。特に持病があって長期にカナダに滞在する人はその理解が重要。専門医への紹介も家庭医を通じて行われます。こんな進め方なのでスピード感はありません。そのため緊急性の低い手術は待機時間が長くなる場合も多々。そんな理由で、タイのような医療に信頼ができ、コストも低い外国へ行き手術をうける Medical Tourism のような需要があるのだと思います。

旅行とかの短期の滞在でも注意 

筆者の友人(当時カナダ在住)からのお話。その知人が日本からカナダ行きの飛行機でカルガリーに到着したら体調異変。すぐにERに入って調べるとエコノミークラス症候群発症。かなりの期間の入院加療が必要になったとのこと。その人はそれなりに旅行傷害保険に加入していたので、日本からの救援者の費用も含めてなんとか付帯条件の中で納まったそうですが、その金額としては数百万円にもなったとのこと。カナダだったからこんなもんでアメリカに着陸していたらもっと高額になったかもしれません。筆者はANAカードともう一枚クレジットカードの付帯保険に入っているのでなんとか大丈夫だと信じています。基本中の基本ですが、ホテルのバスタブもなぜかとても滑りやすい時があります。短期で大丈夫と思っていても予期しない事故に巻き込まれる可能性がありますのでそれなりの心がまえは必要です。

※余談ですが、この友人、ローマとワシントンDCで歩行中(軽い)交通事故に二度遭遇しています。何か起こる人には起こるようです。

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タイでは

タイのお話も。旅行中ダメになったらどうするか。バンコクのような都市部で、日本人が泊るような大きいホテルならロビーで事情を話せば日本語や英語で対応してくれる病院を教えてくれます。さらに奥の手?があって、現地にある日本の旅行会社の支店(HISさんやJTBさん)やクレジットカードのオフィス(JCBさんやダイナースクラブさん)に相談すれば病院の紹介を(多分)してくれます。なお深刻な状況なら、大使館・領事館に報告することも必要。

タイの場合、バンコクや観光地なら日本語対応の病院はすぐ見つかります。そんな病院なら加入している損保会社のHPからたどればスムーズに保険金支払いまで進めそうです。なお、タイ人の知人によると、普通にタイ語でやっている病院でも英語が通じるので安くついていいとのことでした。まあ、確かにタイの医者なら(日本と違って)英語は大丈夫だと思います。

まとめ

まとめるにも、国によって医療制度や国々の社会制度、文化は異なります。筆者に言わせれば、多くの日本人は、海外経験も乏しく日本の甘くて緩い医療制度の中で生きてきていますから、行く前の問題意識とリサーチはとても大切だと思います。