この話、ついてこれる方はお読みください。そのへんにいる大学事務職員100人中数名程度しか理解できない超難関なお話。『なるほど!』でも『くだらんことかいとんなあ』場合によっては『それ間違ってんちゃう?』でも結構ですので、このことを考えてもらえる機会になれば… お話の基本は、人社系大学院を中心にしています。
はじめに
このお話(問題提起)って、大学院の博士後期課程での、学位取得のプロセスの中でのお話。筆者個人的には、このことが理由となって日本でにおける博士学位の取得者数が伸びない理由と感じます。今現在、MEXT&JSPSが一生懸命がんばって他国と大きく後れをとる大学院課程の底上げのためいろいろ努力はしていますが、査読論文(ピアレビュー)の取り扱いについては(ほぼ)出てきません。でも、お話しなきゃ博士学位の取得数は絶対伸びません、というのが筆者の持論。
誰も取り上げない査読問題 ー学位取得のための査読論文の意味合いー
で、なんで日本の博士後期課程では、博士学位を取得する過程の中で、(特に)査読論文なのか?。その基本的な考え方の一つは、研究者としての能力の確認のため。博士論文だけでなく、学会活動を行い、学会誌に投稿して査読をうけた論文による研究成果がないと博士論文の審査が進まない仕組み。一番わかりやすいのは Nature や Science のような誰でも知っている国際学術誌に投稿が選ばれページを割いて掲載されるということは全ての研究者でも憧れで目標といえます。正確に言えば Nature誌etcは、査読論文を受け付けているわけではありませんが、イメージ的には同様。その研究者の第一歩ととして、まずは査読論文を書きましょう、ということ。
基本 ーどのフィールドでも査読論文は大切で必要ー
(多分)すべてのフィールドで、博士の学位を取得する際の要件として、査読論文の本数が求められます。その数は最低でも2本以上、これには緩和措置?的なものとして、自分の大学で作っている学術誌(紀要)の掲載が認められていて、比較的簡単に1本は用意できます。それ以外は、自身の研究内容と研究指導を受ける先生の指導などでどこかの学術団体に入って研究者の第一歩を踏み、その団体から論文投稿を行うのが基本。
一番わかりやすく信頼できる(といわれる)団体は、日本学術会議協力学術研究団体といわれる組織たち。名前のとおり日本学術会議とくっついていますから基本的にはだれでも信用してくれます。このような学術団体は、定期的に各地で勉強会や研究成果の発表会が行われ、年に1冊くらい学術誌も発刊され、大学院生などからの査読を行った論文の投稿機会を設けています。ただ、どこでも論文掲載の本数は制限されているので投稿すれば全部が全部すぐに学会誌で取り上げられるわけでもありません。
そんな学術団体の状況をぱらぱらっとホームページなどを眺めてみると、規模が小さすぎたり、学会活動が低調なところも結構みつけられます。また、加盟団体でなくても、評価されている団体もあります。このような状況をみるにつけ、査読に依存する博士論文の審査のあり方自体考えさせられます。
①論文の査読者を増やせないにも理由はたしかにある
以上が、今の日本のアカデミアでの査読論文のお話。そんなで学術団体側も大変。これから頑張る研究者のため、ボランティアに近い形で論文査読やってくている学術団体は、出版物の場で、投稿論文に多くのページを割くわけにはいきません。そのため、投稿しても高い倍率がついてしまい、いつまでたっても掲載されないこともしばしば。そんなで、学生の『(学会誌に)査読論文がまだアクセプトされていないんで(博士)論文が出せないんです…』の悲しい現実が訪れます。
投稿を希望する人が多いのに査読者がいないことには理由があります。まず、査読者は善意で匿名性が担保される中(原則)無給のボランティアとして依頼・受諾するのが普通。そのため、そんな人にたくさんの査読を依頼することができません。それに一定の論文を査読するためには、その論文についてコメントできる専門的な知識が必要。例えば、思いつき事例ですが、、
・中国哲学の論文をインド哲学の先生に査読依頼をするのはしんどい
・西洋史の論文に関する査読依頼をかけるにしても、近代アメリカ史の先生にローマ史の査読を頼むのはしんどい
のように、たくさんのフィールドで査読ができる先生を抱えていないと適切な査読を行うことは難しくなります。
同様なことをしているのが科研費。科研費の審査は、査読ではなくピアレヴューという表現を用いますが、全てのカテゴリーの科研費申請をクリアするため多くの分科細目を設け、できるだけしっかりした適任の研究者が審査できるよう工夫しています。これを審査に疑義を持たれないよう年度により審査員を更新するためには(JSPS学術システム研究センターによる審査候補者のプールは)一万人を超えてしまいます。これだけの規模でできる理由はMEXT・JSPSが国費を投じてやっているから。とても小さな学術団体では、丁寧な査読を行う審査のための人員を用意することはできません。
ハゲタカとはいえないけど…
と、出だしにはその言葉を書いてはみましたが、ハゲタカジャーナル的な話には踏み込みません、と、言いつつ成り行き上仕方ないので最低限書きます(どっちやねん)。まず、ハゲタカの定義については、どこの大学でもHPのどこかに書かれていて、『粗悪学術誌というものがあるので注意して~』のようなもの。で、何が悪いかというと、論文投稿料や学会参加費というような名目でお金をとり、テキトーな査読(もしくはホントはしないで)電子ジャーナルに論文を公開しているようなことを生業(なりわい)にするところが問題に。そんな論文が粗悪学術誌により権威付けられ評価されてしまうことで真面目にやっている研究者たち研究すら疑われてしまいます。特に、問題となるのはハゲタカは英文のジャーナル(特に医学・自然科学系)が中心。
ハゲタカ学術団体は、海外に拠点をおき英語で書かれたそれらしいカッコイイ団体名称を装って、日本国内から眺めると信頼できるものに見えるのかもしれません。こんなのを誰かさんが自身の研究業績に加えていたら、見る人がみるたらすぐにばれてしまい、信頼できない研究者の烙印が押されてしまいます。また、そんなハゲタカを見抜けなかった論文審査員、ひいては大学まで信頼を失います。
ハゲタカが良くというわかりやすい事例として、悪質な企業が海外の学術誌からも高い評価をもらった健康食品ですと広告上のエヴィデンスととして販売資料に用いること。医学系ジャーナルでは(効果が検証できない・期待できない)医薬品(抗がん剤とか)の販売を助長することにもなりかねません。人社系のハゲタカも根拠なくうその記事を掲載することにより、どこかの国の政治批判や過去の事実の歪曲化なんていう Fake News の根拠立てにも利用ができます。やはり摘み取っておく必要あり。
関連し、ついでに言えば、degree mill のお話もあますが今ではあまり話題になっていません。(もう深入りしませんので関心のある方は自分のお力で。)
⇩ハゲタカについて
www.nistep.go.jp
もう一つのアンタッチャブル ー誰も知らない学術団体ー
と、言うことで、『ハゲタカには注意しましょう』は、アカデミアの世界では常識になってはいますが、他にも気になるものが筆者にはあります…。こちらの方が始末が大変。
例えば、その筋の5~6人の(ちゃんとした)先生たちが発起人となり(というか、あつまって)『日本の根本的なまちづくり研究会(仮称)』・『日本から心臓病をなくす先端研究会(仮称)』を立ち上げ、定款を作り、定期会合も(形式的には)行い、学会誌も定期刊行し、学生向けの査読論文の募集をしたらどうなるのか?それは査読論文として認められるのか?。
学術団体の活動自体は自由だし、学生や若手研究者の登竜門として論文募集をすることも悪い話ではありません。ただ、そのような査読論文が学位取得のための評価として認められるか?。例えば、学位審査の教授会とかで、とある先生に『この査読した団体良く知らないんですけど大丈夫ですか?』のような発言をされてしまうと、博士論文の主査の先生のお顔は青ざめてしまいます。
そのためか、予防線として、公表学術論文 という仕組みを設け、日本学術会議に登録された学会が発行する審査規定が明記された学会誌に掲載された論文、それに準ずる論文、また、海外において、第三者審査委員が明記されている学会誌・学術雑誌に掲載された論文等々を指すようにし質的保証を担保するようなこともしています、で、そうすれば質的な担保できるのでしょうが、博士学生の論文提出の場が狭まり、査読論文を出せないことによる学位取得の遅延が生じかねません。(良心的な学術団体の募集でも年に多くて数回、それに右から左に出せば全部受理してくれるものでもありません。)
で結局のところ、査読は誰にとっても大きな負担。学生の立場からすれば、本丸の博士論文の執筆をしたいのにそれ以外のことに足を引っ張られてしまうことに。
近隣諸国の状況
中国さんは、博士学位取得者は2023年段階で10万人越え(中国教育部・留学生含)、韓国でも二万人に近い数値になります。日本はと言えば1万5千人程度(そのうち三分の一は論文博士)。国際的な目線は、単純に中国は多い、日本は少ないという評価につながりますので困ったものです。
大きい声では言えませんが、中国なんかは博士学位者を増やすことが国家目標ですから学位審査が手ぬるい(日本のプロセスではないゆるい方法で)博士を授与していることがよくわかります。確実に言えることは(韓国でもそうですが)、急激な大学(院)の増設をしているので、ちゃんとした博士論文の審査・評価ができる教員なんて(絶対)多くはいません。反対に日本は堅苦しいローカルルールに固執しないで博士学位の授与をもっと進める必要があります。国際的には何気なくたくさん学位を出してもゴチャゴチャいう人はほんのわずかです。
嘆いていても仕方ないので対策 Preliminary Exam, Qualifying Exam. する?
査読論文は大切だとして…アメリカの多くの大学の博士課程では、通常入学してから1年後ぐらいのタイミングで、Qualifying Exam と呼ばれる、大学院学生が研究遂行に必要な基礎知識を十分持っているかを確認するテストを行います。さらに Preliminary Examination (博士論文の作成能力の判断する予備試験)を設け、(一応)目に見える化して学生の能力を評価する方法をとっています。cool な大学職員であれば、ちょっと前、博士課程教育リーディングプログラムが行われていた際、良く耳にした言葉だと気づくかもしれません。
相も変わらずの日本の大学院のカリキュラムですが、このシステムを取り入れている大学院もなくはありません(新しく五年一貫となった京大薬学研究科とか)。多分文科省に言われてやっているんでしょうが…、なんとか新しい道が拓ければと感じます。
まとめ 博士論文と査読論文は(直接)関係はないのに…
結局のところ、筆者の言いたいことは、査読論文というものが、博士論文の道筋のためどれだけ役にたっているか? です。
多分、過去に博士学位を得た人には良くも悪くも思い出話として記憶に残っているんでしょうが、今後も続ける必要性は大きくありません。今後博士学位を多く出すには、必ず改める必要があります。※それでも、論文博士のような愚かな学位認定の方向に進んではいけません。こちらも大切。
↓大学院、特に博士後期邸は問題山積です。古いのもありますが気になる方は是非ご一読を.
※資料2-3_学術情報流通に係る懸念すべき事例への対応状況アンケート集計結果 が参考になります
www.mext.go.jp
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