FOU’s blog

日本の大学 今 未来

大阪市立大学 阪神間公立大学ぶらり歩き その1

阪神間(その名のとおり大阪市~神戸市地域、イメージ的には大阪府の真ん中より北西の地域から神戸市の周辺部あたり)にはそれなりに知名度のある公立大学がいくつもあります。この状況は、私大が優勢な首都圏と異なるところ。一般的な関西の大学のイメージは、国立大なら京大、阪大、神大はまず有名、次いで『関関同立』ブランドを中心とした私立大学。これらの大学はそれなりに全国的に知られた存在。そんな中で、あまり目立ちませんが、それなりに地道に頑張っている公立大学を(神戸在住の筆者が)できるだけまち歩き的、現場主義的、独自の視点でご紹介してみます。なお、基本的にここで紹介する大学は良い大学です。 

その前に、(関西エリア限定の)大きな話題として、大阪府立大学大阪市立大学との統合があります。2019年4月から1法人2大学で始まり、しばらくは(周知期間を含めて)現状維持、2022年4月からは1法人1大学化して、完全に一つの大学となります。一つの大学になると、学生数は16000人を超え、ご近所の神戸大学や九大、名大と同規模に。事務屋の筆者としては、そんな在学生8000人規模の大学2つで、別々に稼働している人事・給与、経理、成績・学籍などの現行のネットワークシステムの統合が、それまでに間に合うのか要らぬ心配をしています。(多分絶対大変そう)
もう一つ、大学統合を機にキャンパスを移転する可能性が取り沙汰されています。まだ検討段階ですが、(お金とやる気があれば)キャンパスを大阪城の東側、森ノ宮エリア(旧府立成人病センター跡地)で集約できれば、都市型総合大学として大きな発展が(多分)見込めます。2025大阪万博のタイミングと同じ頃となりますが、オーナーである府知事さんと市長さんの高等教育への理解で、どれくらい追加的な予算措置ができるか、そこで新大学の将来は、大きく変わっていくと思います。 

大阪市立大学 https://www.osaka-cu.ac.jp/ja
メインキャンパスのある杉本町エリアは、大阪市住吉区に。奈良方面から流れてくる大和川という(かつては日本ワーストの汚さを誇った)一級河川を隔てて堺市と接する場所、最寄駅となるJR阪和線杉本町駅』を下車してすぐに入口がみえてきます。
大阪中心部から杉本キャンパスまで、あべのハルカスで有名になったJR阪和線天王寺駅』から15分ほどの距離。一見交通至便なのですが、杉本町駅に止まるのは4両編成(時間帯によって何両か増えたりします)の各停電車が1時間に4本。さらにその車両は、(暑いとき寒いときの外気遮断のため)小さな開閉ボタンを押さないと扉が開いてくれません。おまけに、行きも帰りも途中の駅で必ず快速電車の通過待ちがあってイライラ気分を増幅させます。
この大学の起源と創始者は、明治初期、当時、国内で絶大な影響力を有していた大阪財界の人たち。所説ありますが、五代友厚を中心に大学の基礎となる大阪商業講習所を開設、次いで、戦前大阪が、『大大阪(だいおおさか)』として一番華やいでいたころの関大阪市長が、『国立大学のコッピー(コピー)であってはならぬ』というポリシーのもと、帝大とは異なるスタイルの大学作りを行い、(多少紆余曲折はありましたが)今に至っています。

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五代友厚像(大阪市立大学杉本キャンパス内)

ちなみに、おとなりの大阪大学さんも、医学・自然科学系分野は『適塾』、人文社会学系分野は『懐徳堂』の名前をだし、大阪の古くからの学問的系譜を引き継いでいることをPRしたがりますが、両者と直接的なつながりがあるわけではなく、(間接的に)その精神を受け継いでいることを『由来』として述べているもの。エビデンスのある歴史的な事実から眺めてみると、この大学が一番大阪の大阪らしい歴史と文化を引き継いでいる大学だと感じます。
大学の場所、医学部を除く学部・研究科と本部機能は、JR阪和線杉本町駅』の東側エリアに集約されています。戦後しばらく進駐軍アメリカ軍)に"Sakai Base"として接収され軍病院に。朝鮮戦争の際には、現時計台前の広場にあったヘリポートに負傷兵がたくさん移送され、基地周辺には、米兵相手の私娼さんがたくさんいたりと今とは違った風景があったようです。今でも当時の建物の漆喰をはがすと米軍関係の英語の記載や落書きが出てきたりと、その過去を知ることができます。また(歴史的系譜として良くも悪くも)京大滝川事件との関わり合いから自他ともに認めるアカ大学でしたが、現在は、キャンパス内で(表面上)それを感じることはありません。
ただ、(数字は持ち合わせていませんが)教員間の交流は、京大が中心(京大の若手教員が大阪市大でポジションを得てまたどこかに出世して出ていくパターン)。あとはなぜか、大学全体のムードとして、大阪大学と交流をすることは(なんとなく)消極的に感じられます。他の大阪府内の大学(府立大学、関大、大教大あたり)とは仲が良いのですが。
教育研究に関しては、どこの公立大とも同じで、教員の自然減による学部規模の縮小が行われていますが、それでも少ない人数ながら教育の質は高く維持されています。また、(筆者の印象ですが)事務職員の質が高いこと。公立大学の中では早い時期から自前の職員養成と外部人材の受入れを同時並行的に行っていて、それなりの成果を見せています。他の『公立大の事務組織』の多くは、未だに県庁、市役所内での異動ポストの一つ程度の存在で、専門性が必要な大学事務の停滞を招くこともしばしばですが、こちらは(良くも悪くも)チャレンジング。大阪市大は、その中では成功例とみて良いと感じます。(筆者個人的には、他の公立大だけでなく、国立大学の人事関係者も一度大阪市大の採用・処遇のノウハウは知っておいても良いと思います。)
悪い面では、他の国公立大と同じく(地方)運営費交付金は、毎年減額されるものだという思い込みに(強く)支配されていること。特にオーナーである市長の積極的なリーダーシップがあれば(過去の関市長のように)もっと優れた大学になれるのに、と感じます。それでも今現在も、公立大内の評価では国内トップクラス、関西以外の人も受験・入学して、多少こってりとした大阪テイストの楽しいキャンパスライフを過ごしてみるのも良いかもしれません。 

ワシントンヤシのお話                         

杉本キャンパス1号館前の庭(通称ワシントン広場・この名前は"Sakai Base"時代の影響かもしれません)に植栽されていたヤシの木は、戦後長く大学のシンボルになっていましたが、あまりに成長しすぎて危険になったため、2017年(あっさり情け容赦なく)きれいに伐採されました。そんな出来事からすぐの2018年の夏、大阪を襲った台風は、関空が水没するわ関空連絡橋に船はぶつかるわシンボリックな出来事も含め各所に甚大な被害を与えることに。台風一過の杉本キャンパスでも、たくさんの大きな木が根こそぎ倒れてしまったりとボコボコの状態になっていたので、もし、ヤシノキが、そのまま植えたままの状態だったら被害がさらに拡大していたかもしれません。筆者は、そんなワシントン広場のヤシノキの姿を2006年(東京から出張で訪問した時)に写真に撮っていました。そしてもう一枚は現在の状況です。

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ワシントンヤシがあったころ(2006年頃)

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ワシントンヤシがなくなった現在

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薬学部 今 未来を考えてみる その2 まなび編

薬学部教育の二極化 薬学研究は国立大学、薬剤師教育は私立大学
同じ薬学部なのに国立大学と私立大学では、そのまなびの姿は大きく異なります。  国立大学薬学部に課された存在意義・役割、大きく分けると、学生への専門的な薬学教育の提供、それぞれのフィールドでの専門的な研究、さらに旧帝大のような上位の大学では薬学の専門的な研究者を養成をすることです。そのように多様な目的を持つ大学(学部)ですから、薬剤師養成に関する事項は、たくさんある目的のうちの一つに薄められます。反対に私大薬学部の目的は明確、その第一も第二も薬剤師養成になります。ここが同じ薬学部でも受験生の将来を見据えた大学選びのポイントになります。

国立大と私立大の温度差を理解する 国立大では薬剤師教育は結果の一つ
東大でも京大でも阪大でも、どこの国立大学薬学部のHPをながめても一目瞭然、(6年制が主流になってきた現在でも)私大薬学部と比べての薬剤師という言葉の少なさ。薬学部長(研究科長)あいさつ、学部の理念、3ポリシーなどでも、その記載は、どのような研究・教育がされ、どのような人材を輩出するかに重点が置かれています。もし『薬剤師』という言葉を用いるとすれば、その前言に「高度・先端、専門的、指導的~」という言葉を入れ、薬剤師とは、臨床薬学教育の一形態であり、単なる薬剤師養成機関ではないことを意識しています。また、教員サイドも、それぞれの研究室でネイチャーやサイエンスのような学術誌に優れた論文をだそうと一生懸命。卒業後の進路の一つである『薬剤師になること』について、熱く語っているのは私立大学だけ、ということをアタマにいれておくほうが良いと思います。

薬剤師国試を大学受験に置き換えてみる
「薬学部入学=薬剤師になれる」の時代は終わりつつあります。18歳時点、国立大や有力私大に合格する実力がないとすれば、薬剤師国試も同様に(非常に高い確率で)合格できません。現段階で薬剤師国試に合格する学力が無いわけですから、選択肢としては、それでも国試合格率下位の薬学部に入って6年間頑張る方法、もしくは一浪して上位の(合格率の高い)薬学部を目指す方法、どちらも建設的な選択ではありませんが、6年制薬学部入学は、ゴールではなく6年後の国試への始まりに過ぎないことを意識する必要があります。

高校進学指導・大学受験予備校も受験生にさらなる情報提供が必要
高校進学指導でも大学予備校でも、受験生の薬学部選びに関して、目先の偏差値や科目・得点配分の有利不利のみ分析するだけでなく、それぞれの薬学部の入学後の状況、様々なリスクについて今以上に説明することが必要と感じます。特に薬学部は、一度入学してしまうと他の学部以上に取り返しがつかなくなること。薬学部入学者の複数回の留年、中途退学のような不幸を未然に防ぐには、入学前のしっかりしたインフォームドコンセントを行い、将来への納得した覚悟と決意をして受験もらうことが必要に感じます。 

中堅以下の薬学部を受験・入学するひとが理解しておくこと
高校時代の十分な基礎学力がないと大学でしんどい思いをすることを自覚する
薬剤師国試は、医療系国家資格の中でも在学中に学ぶ高度な専門的知識が試されることを理解しなければなりません。学びの期間も6年という長丁場、いったん入学すれば在学中に他の進路を模索することもできません。受験生は、これらを納得し(大学受験ではなく)自身に薬剤師国試に耐えられる基礎学力を有するのか自問する必要があります。現在用いられているコア・カリキュラムによる履修システムは、すでに相応の学力を有する学生には、様々なステップを踏みつつ効果的に知識と実習による経験を積み上げていくことができますが、学力が不足する学生には、その全てが負担になっていきます。現在、(多くの)私大薬学部は、(結果として)6年間の標準的な学びで、卒業・薬剤師資格取得が困難な受験生にも合格通知を出しています。薬剤師になるために、普通に学び、普通に国試の勉強をして合格するためには、上位10大学、悪くても20番代までに入学できる実力が必要。その学力が足りない受験生は、入学後、人一倍の努力が必要なことを前もって自覚する必要があります。

特に女性の人へ 他の選択肢もー工学部や理学部も悪くない-
薬学部を志望する人は、ある意味目的がしっかりしているともいえますが、(食わず嫌いで)他の選択肢として、工学部や理学部などの自然科学系学部で学ぶことへの関心度が低いのではと(長く大学で働いている筆者は)感じます。
一昔前までは、『リケジョの駆け込み寺』のイメージがあって、『才女』はなんとなく薬学部だったのですが、今はそうでもありません。(様々なオトナの事情も含めて)理工系学部は、女子学生の入学を歓迎していますし、受入れの環境作りも進んできています。また、ポピュラーな工学部や理学部以外にも生命機能などを学ぶことのできるような理系の学部も多くあります。意外に写るかもしれませんが、薬を研究、開発する分野は、薬学部に限られたことでは全くありません。
薬剤師教育という規制の多い薬学部より、医学部はもちろん、理学部・工学部などの化学、生命関係の分野でも人類のためになる医薬品開発は広く行われています。また、学部卒業後も本格的に化学や生命機能系の研究ができる大学院も多くあります。このことについては、高校生に近い世代の人にとって情報を得ることは少し難しいかもしれませんが、がんばってオープンキャンパス・説明会など多くの場所で自分に適した進路探しをすることは非常に有益だと思います。 

医歯薬系予備校との関わりで気になること
(ほぼすべての)私大薬学部では、国試対策としてプライベートな医歯薬系予備校による受験対策講義、予備校が提供する模擬試験を大学内の施設で実施しています。私大薬学部の『認証評価』をながめていて指摘が多い部分はこの部分。大学が、国試のため、通常の講義・演習・実習のような通常の授業に加え、国試対策に特化してサポートをしてくれること自体は、(大学における教育の範疇を超えていますが)薬剤師になることを前提に設置されている6年制薬学部では、『あってもいい』取り組みですし、『面倒見のよい大学』とも言えます。ただ、筆者は、大学で働いている者として以下の部分が気になります。

非正規で行われる講義の実施方法
(少し堅苦しいですが)予備校講師は、大学で正課の授業を行う資格はありません。そもそも外部の予備校業者に大学での講義?を依存することについて高等教育機関としてどうなの?です。従って授業時間割の中で(例えば火曜日4限とか)講義?を行うとすれば違和感があります。休業中なら夏休みに集中的に実施することも可能でしょうが、翌年2月実施の国試ということを考えればタイミングとしてあまりよく感じません。さらに学生に対して当該講義?へ出席を義務づけるとすれば、大学はその根拠を示すことが必要ですし、当該講義?への出席、レポート、小テストの結果により何らかの授業成績としての得点化や評価を加え、関係する科目の評価(優にするとか不可にするとか)することはあり得ません。(筆者がイメージする)大学の立場から考えるとすれば、正課の講義が終わった時間帯や(講義のない)土・日曜日などに通常の授業と分けて実施すること、仮に正課内に行うのであれば、実習なり講義なりの一環で、科目責任教員の立ち会いのもと、予備校講師が、不定期に一定の講義?を行うスタイルが社会的に説明できる最低ラインだと感じます。

模擬試験・成績情報の取り扱い ―予備校模試を受けた時の様々な権利関係―
国試補講に加え、多くの私大薬学部では、予備校が作った国試模試を実施しています。学生のメリットとして、本試験への練習であり力試し、自分のウィークポイントを見つけることができ、自分の実力を知るうえで大いに役立てることができます。そのような予備校の提供する模試とその結果について、(大学事務職員である筆者の理解では)大学側は、介入しないことが原則。大学の正課科目であれば、事前に講義・演習について、シラバスにより授業内容、評価方法を公開、その担当教員が、試験・レポート等を課し、その教員の責任において成績評価を出します。この評価結果について、他の教員や組織、大学関係者が変更を求めることはありません。一方、予備校の模試は、学生に対して任意で、なおかつ正課の講義中に実施しないでしょうし(してたらしてたで問題)、その模試成績を学生の同意なく大学側が収集し、何らかの活用をすることはありません(通常考えられる限界は学生へウィークポイントの指摘と指導あたり)。ですから、(一般的な)結論として、民間の予備校がやっている国試模試の成績が、大学の講義・実習・演習等の科目の成績評価の一部に、場合によっては、進級判定に加算されたり、卒業(留年)判定の参考資料として用いることは、絶対ない、はずです。

同時に、講師を派遣したり模試問題を提供する予備校の立場。当該大学で行う講義や模試で得ることができる情報は、国試のプロでもある予備校側にとっては濡れ手に粟、関わった大学の学生がどれくらい薬剤師国試で合格できるのかの情報を得ることができます。さらに、場合によっては、複数の大学の学力の相関を知ることも可能。当然大学と予備校との間では、学生の個人情報が、漏洩し予備校の資産にならないよう一定の守秘義務を課しているはずですが、学生個人の各種成績データが、外部に漏れ、別の用途に利用される恐れはないか?が、気になるポイント。
大学の国試対策委員会(的なところ)で、(ないこととは思いますが)先生たちが、模試の結果を眉間にシワを寄せてながめながら、「これじゃ△▲さんは本番(国試)は無理そうだから留年にしましょう」なんてやっていたら大学教育の終焉。このあたりは、『そんなことは当たり前でやっていない』ことをオープンキャンパスなどで直接大学の人に確認してみると安心感がひろがると思います。

みんなに熱心にしてほしい 同じ大学なのにダブルスタンダードすぎる
(総合大学でよくある話)薬学部は、どこでも「国試対策とその結果に必死」という状況は、理解した、として、じゃあ、なんで違う学部(特に文系)の卒業については、ユルユル楽勝でOKなのか?それはそれで文系学部学生軽視の表れでもありどちらの学生に対しても失礼なダブルスタンダードに感じます。大部屋で一方通行的な講義ばかりして、4年で苦労もさせずに卒業できる仕組みを放置しておいて薬学部だけ大量の留年生を発生させるのは余りに大学の場当たり主義だと(筆者は)感じざるを得ません。 

おわりに
医薬分業の中で
筆者は、定期的に医者に通い薬を処方箋を出してもらい調剤薬局で薬をもらっています。チェーン店の大規模調剤薬局ということもあり、毎回同じ薬剤師さんが対応してくれるわけではありません。それでも毎回丁寧にお薬の説明をしてくれますが(例えば)最近胃の調子が悪くて主治医と相談して新しく胃の薬を出してもらったとして、そのことを改めて初対面の薬剤師に話さないといけないのは結構『うざい』、この『うざい』と感じる理由は、多分初対面の薬剤師にいちいち病状を改めて説明をしないといけないこと、また、長々説明したところで『それは大変ですね、お大事に』とはいってくれても、医者以上にやってくれることもない、という二重負担があるからだと感じています。さらに『実はアタマも痛くて』と薬剤師に言ったところで、独自判断で頭痛薬を出してもらうことは出来ないシステムですから、もう一度医者のところへ行って処方し直しなおしてもらわないといけません。また、薬剤師には、医師の処方を薬剤師法にもとづく疑義照会により確認、変更することが可能ですが、これも『パワーバランス』で十分に機能しているとも言えません。
良くも悪くも日本の医療は医者で回っているので、薬剤師の仕事は、(薬剤師の組織は否定しますが、患者の立場からすると)医者の指示待ち対応が中心。薬剤師の街の薬局でのアドバンテージは、厚労省が指定した医薬品を売る資格があることくらい、それ以外は新設された『登録販売者』の資格で事足ります。このような昔から変わらない状況を見ていると、薬剤師養成の改革だけでなく、実際の日本の医療の中での薬剤師のあり方についても十分な議論が必要と感じます。

自分の目で確かめる オープンキャンパスはとても大切
私大薬学部の入学してからの実態は、大学HPを見ても知ることはできません。どこの薬学部紹介を見ても、だいたい同じようなことしか載せていません。最短でも6年という時間、1500万円にもなるコストを投資して得られるものは何なのかを知るには余りに情報が限られています。また、受験産業(予備校とか)も、それぞれの大学を受験したときの合格可能性については詳しく分析してくれても、入学後どうなるかのケアまでしてくれません。
現在の日本では、受験・入学前に直接大学施設に入ることができるオープンキャンパスはそこそこ充実しています。また、様々な場所で多くの進学説明会の実施、そしてe-mail・SNSでの質問も受けつけている大学もあります。
特に薬学部に関しては、訪問したオープンキャンパスにおいて、自分が入学しようと考えている大学が、自分に対して客観的に何ができ何を提供してくれるか、について、どのような言葉で説明してくれるのか、という情報を知ることができる、非常に重要な機会です。(大学)自らの(客観的な)状況を説明せず、学生に対してのみ学びの困難さや頑張る努力、ガッツとかの精神論を全面に押しつけてくる大学があるとすれば、少し立ち止まって深呼吸をして、この大学を選ぶべきかどうか、また、そもそも薬学部を選ぶべきかどうかを見つめる機会となると思います。

この項 了

 

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薬学部 今 未来を考えてみる その1 制度編

筆者が大学卒業後、最初に仕事に就いたのが私大薬学部(当時は4年制)。約6年間、入試・教務部門で常勤職員として勤務しました。また、筆者の大学時代、とあるサークル活動の中で薬学部学生の知人がたくさん、そして時は流れ、今では、そのうちの何人かは、某私大医学部附属病院薬剤部の管理部門の薬剤師、公立病院薬剤部の要職で勤務しています。おまけに、私の(仕事の)友人は、少し前まで国立大薬学部(4年制・6年制混合)の教務係長。そんな様々な因果で長く薬学教育と薬剤師さんを見てきました。長く見ているほどに現在の薬学教育のあり方について様々な疑問が生じてしまいます。この項が長編になるのはそのあたりが理由になります。 

薬学教育と薬剤師教育は両立する?
その構図は、30年(以上)前から同じ。私大薬学部は、いつも薬剤師国試で大騒ぎ、方や、国立大ではその軽視が続いています。その温度差は何かを考えてみると、他の医療系である医学部や看護学部は、その必然として、卒業後、非常に高い確率で医師免許、看護師免許を取得し仕事に就きます。しかし、薬学部は、卒業後の多様性が大きく、研究職や民間企業で職に就くのであれば、薬剤師資格の必要性は高くはありません。しかし、近年、現実的には6年制薬剤師コースのみとなる学部改変が進行。さらに問題を深刻化させているのが、2000年以降の過度な薬学部増加による、そもそもの教育の質の低下が拍車をかけていると感じます。

そのような状況の中、筆者がもっとも気になること。それは、薬学教育と薬剤師教育との相関関係。薬学教育の中から派生した一部分である(はずの)薬剤師教育のみを偏重すると、結局、薬学教育自身が行き詰まってしまうのではないか、ということ。ここでは、薬剤師教育からの視点ではなく、そのおおもとの薬学教育と大学のあり方に視点をおいて考えてみます。 

ざっくり薬学教育の歴史 旧制薬学専門学校(薬専)と大学医学部薬学科
歴史のある薬系私大は、戦前の専門学校令による『薬専と呼ばれた薬学専門学校を起源として誕生しています。『薬専』は、もともと薬剤師(に相当する人材の)養成が主たる目的で設置されたもの。また、戦中期に『薬専』を女性に開放したこともあり、その系譜を受け継ぐ私大では、現在でも在学生の女性優位が続いています。方や国立大、医学部薬学科(医学部の中にあった研究分野の一つ)から独立(薬学部へ格上げ)した系譜が多く、当初より薬学研究を主体として発展する土壌がありました。
以上のように、日本の薬学教育の業界は、薬剤師養成と薬学研究という二つの系譜を持つ中それぞれが現在に至っています。

6年制薬学部へのみちのり

30年前、私がまだ私大薬学部で勤務していた頃から6年制の話は聞こえていました。以下は、当時、筆者がいた大学事務部での『6年制薬学部になったらどうなるのかなあ』の評価(現場の雑談レベルですが今でも耳に残っているもの)。

6年制の必要性
当時の4年制薬学部では、全体的にカリキュラムが窮屈(国試で指定する科目を履修しないといけないので科目選択の自由度が低い)、さらに、薬剤師試験受験資格取得のために行う学外実習について、実施する期間・割当て(学生と病院との様々なマッチング)が非常に大変。
6年制の慎重論
①薬学教育で在学期間6年は長過ぎー婚期が遅れるー
⇒普通に卒業して24歳。(当時の時代的背景もあり)女性主体の私大薬学部で6年制を実施すると確実に志願者が減少しその質が低下するのでは、という危惧
②普通に考えて授業料が1.5倍に。志願者、家族がこの支出に耐えられるか?                      

これらが30年前の状況、多分、もっと前からこのような論争が続いていたものと思われます。

『軒を貸して母屋を取られる』薬剤師養成6年制プログラムへの移行

2000年を過ぎたころから6年制薬学部の話が具体化、2002年に現行システムへの中教審答申『薬学教育の改善・充実について』がでることになります。なお、医療系学部の教育研究、その後の資格試験については、厚労省も大きく関わっています。日本の中央官庁的な足して二で割る政策決定が、この新しい薬剤師養成の新制度にも感じられます。
※これらの経緯は、文科省HP(特に中教審関係)の検索で簡単に見つけられます。

薬剤師養成は6年制学部(これが基本)、研究需要に応じて4年制学部+2年修士
文科省の最終とりまとめでは、薬剤師を養成するため、モデル・コアカリキュラムによる履修制度と長期実習を取り入れた6年一貫性制学部とすることが適当とされる一方、研究者の養成といった薬学教育の多様性を考慮する必要性から4年制学部+2年修士のプログラムも併存させ、医薬品に関わる基礎研究、医薬品開発・製造等に従事する研究者・技術者、衛生化学や薬事行政の専門家等多様な薬学人材養成も必要なことも『配慮』する、というツートラックというか玉虫色的なところから始まります。なお、4年制学部のプログラムは、薬剤師になれる移行措置が終わったこともあり、活用している大学は非常に減少しています。

『薬剤師の国際通用性』の必要性
少し唐突に感じますが、薬学部の国際化の必要性にも踏み込んだこと。諸外国の薬剤師養成期間(5~6年)に合わせ、授業内容を国際通用性のあるレベルまでアップさせ、将来的には国際資格にまで格上げして様々な国々と相互乗入れを行える土壌をつくりたい、という言葉も追加。
多分、この『国際性』は、(国際・グローバルという言葉が大好きな)文科省側からの要請のように感じます。この言葉により、それぞれの大学では、英語に関係する科目の充実や海外研修のような試みも散見されています。

その反対に、特に私立大学では、在学生の(海外)送り出しは出来たとしても、外国人留学生の受入れは、高コストと6年制の中で継続されるドメスティックな薬剤師教育のプログラムで(特別なインセンティヴでも無い限り)事実上困難に感じます。また、海外の大学から、学術交流協定(学生交流覚書)などを利用して、留学(短期)したとしても、(薬剤師教育を優先した現行プログラムの中では)学びのメリットも得られるメリットともに限定的です。               

高コスト化 私学の学費は実質1500万円を想定
薬剤師養成を行う6年制薬学部は、私立大学に依存しています。その多くでは、1年で200万円を超える学費を学生に求めるところがほとんど、入学料など諸経費を加えれば6年在学・卒業で1300万円。留年リスクを加味すれば、1500万円を用意する必要があります。これは、結果的に、このコストを払えないと薬剤師になれない仕組みができあがったということ。この6年制薬学部を目指す人たち、家族は、この6年という時間とコストの費用対効果に納得して入学(投資)することになります。
※(筆者は)仮に大学で学ぶために1500万円の予算があるのなら、アメリカやカナダの大学進学を計画してみることをすすめます。 

モデル・コアカリキュラムとユニバーサル・アクセスの時代に入った大学
現在の高等教育の有り様を話すとき『ユニバーサル・アクセス』という言葉は、とても重要で、別の機会にも話したいと考えていますが、簡単にいうと「大学とその教育は、優れた学力がある一部のひとのためのもではなくなり、全て(ユニバーサル)のひとの手に届くところまで拡がった」段階。大学自体は、えり好みさえしなければ誰でも受入れてくれるようになりました。

それはそれで良かったのかもしれませんが、6年制薬学部の場合、その次(薬剤師になる)のステップが待っています。薬剤師は、ユニバーサルになりたい人がなれるわけではありません。現在の状況は、大学受験の段階で将来的に薬剤師試験の合格にリスクの高いひとであっても、(どこかの)大学は、受入れてくれるようになったと理解できます。

同様の課題が生じている学部は、大学(院)を卒業・修了したのち公的試験をクリアしないといけない業界(医療系学部全般、教員試験が待っている教職系学部、法曹資格のために設置された法科大学院など)、反対にMBAプログラムのような修了したらそれだけでOKな社会人向大学院の方が、制度上は楽ちんかもしれません。

このような日本の薬学部の状況を、筆者は、(ナンチャッテ)マーチン・トロウ的に検証すると、エリート段階(上位15%)に存在する大学(主として旧帝大のようなところ)は、教育・研究ともに充実していて優れた研究者・薬剤師を輩出しうる、マス段階(上位50%まで)では研究力はやや劣るが教育の水準は担保され一定の薬剤師養成も可能、ユニバーサル段階(上位50%~ほぼ入りたい人はだれでも入れる)に定義される大学では、一定水準の薬学教育は実施可能だが上位の大学と比較すると卒業時、社会的要請に十分応えられない人材の輩出にとどまることもある、と考えるのが妥当だと感じます。
なお、筆者は、彼が定義する3段階の『位置にある』大学の状況という解釈で説明に用いています。

※補足として、1970年代から90年代にかけて米国で活躍した社会学者、マーチン・トロウ(名誉教授だったUC Berkeleyの記載では、higher education studiesで国際的に認知された人物※、となっています)による大学(とその教育)の分析は、当該国での経年的な大学の進学率の推移に基づく社会の様々な変化について、3つの段階に分けて説明できるところが非常にわかりやすく感じます。(なお、日本においては、同様の立場にあった天野郁夫先生が中心となり、同様の視点から高等教育に関する提言を行っています。こちらも非常に参考になります。)21世紀に入ってから、日本の文科省も彼の学説を論拠として中長期的な高等教育のあり方について、その方向性を定めています。ただし、すでに彼の没後10年以上の歳月が流れ、彼の生きた社会情勢と現在は大きく異なりつつあることも事実。今を生きている者は、彼の提言をどのように評価し活用していくかが課題となる時代が来ています。日本で大学事務職員をやっている若いみなさんもSD研修などで彼の考え方を学ぶ機会があったらいいなあ、と感じます。
UC Berkeley News (2nd March 2007), Martin Trow, leading scholar in higher education studies, dies at 80      https://www.berkeley.edu/news/media/releases/2007/03/02_trow.shtml

モデル・コアカリキュラムについてもここでは深くは掘り下げませんが、学生がそれぞれの履修上のポイントについて、ちゃんと学びができ、必要な知識を得て、実践に使うことができるかについて、細かい単元ごとにチェックしていく学習方法。卒業時に国試が待っている医療系学部、ロースクールなどに向いていて、最近では、教員養成系の分野にも取り入れられつつあります。
(筆者の個人的な認識ですが)コア・カリによる教育システムは、大学のユニバーサル化(ここでは誰もが入学できる大学の意)が進む中、大学ごとに生じる学生の学修レベル差(例えると東大京大の薬と学力下位大の薬)があっても、卒業時には(最低限)一定の質は担保されていることを保証(しようと)するシステム。そのために、それぞれの大学の学力水準(主として偏差値)ではなく、該当する教育の到達目標を定めるガイドライン(コア・カリキュラム)ができた、と考えれば良いと思います。この必要性の一つに、病院などで行う(薬剤師試験のための)実習について、どこの大学からやってきた学生でも能力的にデコボコしない一定の学修水準を求める(求めたい)ため、とも言えます。ただ、当然、制度上、これは学力下位の大学へ行けば行くほどその学生たちには大きな負担になります。 

法科大学院構想との類似性から考えてみる
法科大学院ロースクール)は、薬学部改革の数年前から開始されました。ご存じのとおり、最初のうちは数多くの法科大学院が、これまで司法試験に縁の無かった大学を含めてたくさん誕生、一時はバブル状態、そして今は揺り戻し、淘汰、収縮が進んでいます。これは基本的に法曹界法務省文科省が、時代の要請で、これからは、多くの弁護士を中心とした法曹人口が必要、そのためにアメリカンなロースクール的なスタイルでやってみよう、ということでしたが、そもそもこれまで司法試験に縁の無かった底辺大学までが、需給見込みも考慮せずロースクールを作ったことが、現在の(事実上の)破綻と混乱を生じさせたといえます。

法科大学院の司法試験の合格率は7~8割が目標
この状況は、設置趣旨、人社系大学院・医療系学部の相違はありますが、国家試験制度の中にはめ込まれた高等教育制度、ということで考えれば、現在の薬学部でも参考にできます。法科大学院は、学部卒業後の専門性の高い司法・法律を学ぶ研究科である一方、薬学部は、(高校卒業者が入学することを前提とする)6年制の学部教育であることを念頭におけば、8割以上の合格者を出すことを目標とすべきだと(筆者は)感じます。このような目標設定は、法科大学院では、かなり前からの提言されていて、法科大学院では、その課程を修了した者のうち相当程度(例えば約7~8割)の者が新司法試験に合格できるよう、充実した教育を行うべきである※、となっています。実際、合格率を大きく下回る法科大学院は、既に受験生の減少、定員割れ、大学院自体の廃止が生じています。
首相官邸HP トップ>会議等一覧>司法制度改革推進本部>司法制度改革審議会意見書(抜粋)

受験生にわかりやすい情報公開が必要
残念なことですが、6年制薬学部の中には、留年、退学者が多く、実際の薬剤師国試の合格率も低い大学であっても、そのHPでは、にこやかな学部長あいさつや楽しそうに学ぶ若者の姿だけを載せた薄っぺらな情報提供しか行ってくれないところがたくさん。今現在でも、自分に有利になるような薬剤師国試合格率のみを見せて学生を集めるような大学があることは事実といえます。
このような、大学側に依存する様々な情報を交通整理するには、誰か(文科省あたり※)が主導して、薬学部のある全ての大学が、標準卒業年限6年で何パーセントが国試合格できるのか、について、正確な統一された数値を公開させ、それについて大学はどう考え、どう対応しようとするのか、どんな取組みをやっているのか、について、広く情報公開することが必要だと思います。

今の状況を『オトナの事情で長年続く制度設計のまずさ』と考える筆者は、早急に誰にでも見える形で対策を行う必要があると感じます。特別に複雑化した数値を出す必要はありません。全ての大学で統一した数値を出すこと、それだけです。

具体には、全ての大学で同じ尺度を用いた各年度ごとの大学入学から卒業までのできるだけ単純化した統計数値
例:20XX年度入学者数200名

    6年次終了時点の状況(卒業者数160名、留年者数20名、退学者数20名)

  そのうち国試受験者数150名(合格者数130名)

※この程度の単純な数値も出し渋る大学があることを、受験生とその家族は、記憶しておく必要があると思います。 

※現在最も客観的で見比べしやすい資料2つ

文科省HP http://www.mext.go.jp/a_menu/01_d/1361518.htm
全ての薬学部の入学~卒業までの就学状況と国試合格状況を知ることができます。
多少分かりづらいですが6年制薬学部の現在を知るためには非常に重要な資料です。※リンク切れの場合『文科省 薬学部 入学試験・6年制学科生の就学状況』の検索でみつかります)

薬学評価認証機構HP http://www.jabpe.or.jp/ 【本機構の評価結果】部分
大学(学部)が定期的に受ける認証評価情報。認証評価の方法は、審査対象大学側が提出する資料による書面審査と一部実地審査を行うことにより、その結果を公表します。関心のある大学については、目を通しておくことが重要。なお、その記載は、専門性が高い部分もあるので、正確に理解するには、複数の大学の評価結果について目を通し、比較対照することが重要、どのようなポイントでどのようにチェックが行われているかつかむと良いと思います。 

薬剤師教育の重点化と薬系大学の近未来
閉校するのに最長18年早めの店じまい
大学設置基準上の理論値として、6年制学部なら、通常課程6年+留年6年+休学6年で計18年の在籍が可能。大学は、在学生が休学留年を繰り返した場合でも、卒業なり退学なりして全員が大学を去るまでは、学部組織を残して教育を提供し続けなければなりません。低迷している学部が、募集停止を考えるのであれば、財務状況に余裕があるうちに勇気ある撤退を考えなければ、多くの関係者に迷惑をかけることになります。

ある程度の(悪い)段階まできたら
薬学部の特色として、大学の地域偏在性があります。西日本を見回すと、関西圏では京阪神地区に集中。その一方で奈良、和歌山県は空白地域。中国地域では鳥取島根県も空白。九州・四国地区も選択肢は少なく沖縄県にも設置がありません。(かなりの力仕事になりますが)存続の厳しいいくつかの薬学部は、公立法人化を進め、統合したり移転させ、これまで薬学部がなかった地域で存続させるのが良いと感じます。

 

この項 おわり まなび編 につづきます

 

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看護学部 今 未来を考えてみる

 高等教育としての歴史の浅さ
千葉大学で国立大学初となる看護学部が設置されたのが1975年、看護教育の老舗っぽく感じる日本赤十字看護大学でも4年制看護学部となったのは1986年。また、国立大学医学部(附属病院)に附置されていた看護系学校を4年制医学部看護学科へ格上げしたのは1980年代以降。これで国公立大学の動きはこれで落ち着きましたが、私立大学看護学部の新設は今でも続いています。
学部4年制になったメリットは、看護学部在学中に助産師、保健師の資格や教職免許も取得可能となったことがあります。また、大学からのメッセージがあるとすれば、看護教育以外に共通教育系科目で幅広い全人的な教養や語学を学ぶ機会ができましたよ、と(いるかいらないかは別として)謳(うた)っています。

学びのコスト
4年制化のおかげで、学びの成果として『看護学士』が取得ことになった一方、支払うべきお金(学費)は巨大化しました。国公立大学なら入学から卒業までコミコミで250万円程度に抑えられますが、私立大学では年間の学納金が150万円以上のところがほとんど、入学金などの諸経費を含めれば700万円の支出を覚悟しないといけません。医学部卒業者(医師)の高収入と異なり大学卒業後看護師として就職した場合の収入を勘案すると大きなリスクを背負った投資になります。

筆者の感じている看護業界 
私が働いていた看護学部・研究科でも、実習分野で雇用されている助教レベルは毎年大量退職・大量採用の繰り返し。また、現在勤務する大学の医学部附属病院(1000床規模)の看護師にかかる人事異動をみることができますが毎月複数の誰かが辞めそして誰かを採るを続けています。看護師(特に20代)の給与は夜勤があるから高く見えるだけ。出産育児の増える30代になると収入は自ずと下降傾向。求人は多いものの勤務環境は物理的にも精神的もストレスがたまりやすく疲弊することが多い、という現実は(崇高な仕事ですが)おぼえておくほうが良いと思います。

私立大学経営者からみた看護学部
一方私立大学経営の立場で考えれば、定員100人の看護学部を作れば4年間で一人あたり(入学料+授業料年額150万円×4年その他経費を入れれば)700万円を払って卒業することに、いまでも志望者が多いので経営上魅力のある学部といえます。
また、雇用する教員も質を求めなければ(特にマル合審査の必要な大学院を併設しない場合)安価にそろえられるし学内実習設備についても薬学部設置と比べれば高価な投資も必要ありません。
私立大学でも自らの学費が高めなことは認識していて(PRを兼ねて)学部の魅力を出すため成績優秀者を対象に独自の無償奨学金や授業料減免をするなどのインセンティヴを与えているところもあります。受験生としてはそのあたりもチェックが必要かもしれません。

入学後は ー看護学部の文化ー
『働く女性の20人に1人は看護職』
この表現は女性が活躍する場としての看護師業界の現在を説明する際よく用いられています。受験生のひとはオープンキャンパスへ行くことがあればこの言葉を聞くことがあるかもしれません。この女性上位の有り様が現在の看護学部の文化を物語っているともいえます。

教員の雰囲気
医学部と異なり、看護学部の入学者はどこでも女性が過半数を占めますが、教える側も女性が圧倒的多数。その教員たちは、学内施設で実験機器をいじって研究(実験系)するようなことのないデスクワークが中心なので結構気楽。教授レベルは(教えるだけが仕事なので)授業・実習の用事があるときだけ大学にやってくる感じ。このあたりは人社系教員の雰囲気と似ています。反対に実習担当の准教授・助教クラスは雑用が多くいろいろ大変そうです。そのような中でも一生懸命な先生は外部の医療施設などでの看護の取り組みなどを中心に研究しています。そんな状態なので特に大学院を持たない看護学部の研究分野は低調、採択件数の多い科研費・基盤研究(C)あたりでも受給していたら『すごい』状況です。
また、教員内部で研究志向の教員と実際の医療現場での経験値に基づく実務系の教員と対立はよく聞きます。

勉強はそこそこします
医療系でなおかつ資格取得のための学部ですから、カリキュラム上必ず履修しないといけない多くのコア・カリキュラムで構成され、4年間をとおして講義、実習科目が豊富。学びの足りない人社系学部の学生と比べれば4年間みっちり勉強をしないといけません。

アタマの悪い私立大看護学部ほど学生への締め付けはきつくなる
例えば低迷私立大学の人社系学部ならアタマが悪いまま学生を卒業させても良い(仕方ない)のですが、看護学部では事情が異なります。看護学部を卒業する学生には看護師受験資格が与えられ、その試験を受けることになります。大学側としてもその合格率に「社運」をかけているわけなのでなんとかそのパーセントを上げようと様々な学生への締め付けが生じます。特に下位の看護学部を選ばざるを得ないひとはおぼえておくほうが良いと思います。ある意味面倒見の良い大学ともいえますが、その該当者になるとハードなキャンパスライフになりますので普段からの学習が大切です。 

大学選びのポイント

優れた実習先が確保されているか
どこの大学HPをながめていても、必ず『本学は充実した多様な実習先を確保』的な記載はされています。在学中に病院、介護施設、在宅、地域コミュニティー等多様な場で十分な実習の場が提供され実践を受けられる機会があることは将来それぞれの専門職に就く際の大きなメリットになります。大規模な病院や諸施設は認証評価や社会貢献・社会的責任の立場から看護学生の実習は引き受けてくれますがそれぞれ受入人数、期間には限界があります。
公立大学看護学部なら県立病院、市立病院など関連する医療施設が堅実に実習を引き受けてくれるでしょう。同様に医学部を有する大学の看護学部も当然大学病院で先進的な看護実習を受けることが可能、また私学でも(例えば)日本赤十字と関連する大学なら多様な関連施設での実習を受けることが期待できます。
昨今の看護学部の急増で受け入れ先はどこでも飽和状態、特に新設看護学部学生まで十分な期間受入れができる病院は多くないとのこと。このような情報は、大学の提供するweb上ではつかみにくいので、できるだけ多くのオープンキャンパスに参加し直接それぞれの大学の担当者に聞き状況を把握する方が良いと思います。

受験倍率の低い(だれでも入れそうな)大学
学生の質が低いと教育の質も低下することが予想されます。また、就職時の大学の評判も気になります。

大学HPに教育情報が少なく教員の経歴などが記されていない大学
『学校教育法施行規則等の一部を改正する省令(平成22年文部科学省令第15号)』の施行以降、大学は、積極的にその保有する情報を公開するよう義務づけられてきました。教員情報の提供はわかりやすい一例ですが、受験生に対して誠意をもって情報を提供しない大学側の姿勢が問われます。このあたりは複数の大学のHPを見比べるとだんだん分かってきます。

受験に際してー基本的なスタンスー
国公立大学優先
看護学部のレゾンデートルは疑う余地なく看護師資格の取得が100%。それなら低いコストで済む国公立大を選ぶのが基本、私立大学を選ぶとすれば何らかのインセンティヴを得られることが必要です。
理由も明快、繰り返しになりますが、卒業後普通の看護師としての働く生涯給与を考えれば私立大学の授業料は高すぎます。これにJASSO奨学金(貸与)なんか受給したら卒業時の借金が1000万円近くにふくれあがります。特に女性の場合、出産育児にかかる収入の減少時期も考慮にいれる必要も生じるでしょう。一浪してでも国公立大を選ぶ方が賢明といえます。
なお、これらは一般論で、お金に余裕のあるひと、何か別の価値・目標のあるひとは、(例えば)リッチな私立女子大看護学部を選びラグジュアリーなキャンパスライフを過ごすのも悪くはないでしょう。

地方の大学でも十分
地方に住んでいるひとのイメージとして、東京に行けば良い大学があって良い教育を受けられる、と印象を持ちますが、看護学部における第一の目的は看護師免許の取得。それだけなら地方だからといって教育の質が落ちるわけでもありません。また、首都圏のウィークポイントは国公立大学の少なさ。東大や東京医科歯科大の看護系学部・学科は非常に優れていると思います。しかし、それ以外の絶対多数の看護学部は私立大ばかり。学費の高さと東京での生活費を考えればかなりの親不孝な状況に陥ります。首都圏や関西圏の大学は自宅通学できる範囲の人が行けばいいと感じます。

以上が基本的なスタンス、あとは受験偏差値、自身の好みで絞り込んでいけば良いと思います。 

たくさん学びたいひとは、
真面目に高いレベルの看護教育を学びたいなら旧帝大系医学部保健学科とそれに準ずるところ。将来の研究者養成も念頭においた教育が行われ国際性も高い。そのまま大学院へ進むことも十分可能。ただ、どこも定員が少ないのが難点ですが、がんばってみる価値はあると思います。また、特色ある教育なら防衛医科大学校看護学科。基本的には防衛医大看護学部版、看護師資格取得後防衛省関連施設での勤務の義務を果たす必要がありますが給与をもらいながら学ぶことができます。

入学後
普通に学べば4年後に卒業して国家試験、そして普通に学んでいれば看護師資格取得、勉強は大変でしょうが結構単調で早く進む4年間です。その中で学生それぞれやってみたいことはあると思いますがここでは国際好きな筆者のサジェスチョンをいくつか。

やる気のある人は海外
最近の日本の大学のトレンドは『国際』だの『グローバル』なのですが、そもそも日本の看護師資格取得が目的の学部なので国際性のある分野の教育は立ち後れています。今後、国際的な災害時医療への対応や国内的には訪日外国人の増加もあり活躍の場が増えることは予想されるのですが今ひとつはっきりした動きはありません。そんな中、表現的には『ざっくり』になりますが、今後を見据え、国際的な立ち位置で学び・働きたい、英語などの語学力を活かして看護の場で働きたい、ような思いは大切だと感じます。

特に国公立大の看護学部なら学術交流協定(MOU)と学生交流覚書を締結した海外大学の数は多く、学生が海外で学ぶプログラムは少なからず用意されています。例えばG7諸国の海外協定大学へ行く機会があれば日本と異なる優れた看護教育・実践を知ることができるでしょうし、ASEAN諸国での看護の実情を知ることも良い経験になると思います、また、貧困が支配するような地域でいかに看護をおこなうべきかなど、海外でしか体験しえない出来事に遭遇することは、きっと学生の皆さんに何かを残してくれると思います。学部学生に提供するプログラムの多くは短期研修が多いと思いますが、関心を持った人は本格的な留学の機会などを探ってみましょう。若いときに経験するこのような機会は日本の看護の在り方についても問題意識を持つことができるかもしれません。
※一部の私立大学で国際看護学部の設置する動きがあります。筆者の考える方向性とは異なる部分もありますが看護の領域に『多文化・多言語』を導入することは基本的には良い傾向ですので今後も見守っていきたいと思います。(さらに大学院まであればなお良しです。)

このブログについて

筆者は、以下のような視点で大学へのコメントをします。

大学とは学ぶべきところ、研究すべきところ
筆者は日本の大学を国際的に魅力のある大学にするため、『大学力をいかに向上させるか』について問題意識を持っています。
筆者のこれまでのキャリアから、これから学びたいひとに勧める大学、月並みになりますが今の日本の状況では研究型大学院大学になります。具体には旧帝大のよう旧官立大と呼ばれる国立大学と上位の公立大学、そして早慶上智を代表とする上位の私立大学。真面目に学びたいひとには適した大学です。それ以外の大学(特に私立大学)については様々な問題意識を感じています。
また、今のままでは近々終焉を迎える底辺大学についても気になります。おいしい料理も出さず改善の工夫・努力もないレストランは潰れるべきであって、(それぞれの大学にはお気の毒な事情もあるのですが)そのようなところで学んではいけない、と感じています。
とはいえ、現実的には高校生(受験生)の中には様々な個人的社会的背景や理由によって上位の大学へ入るための学力を持てなかったひとたちも多くいます。そんなひとたちのことも留意した大学の情報・選びのサジェスチョンもできればと考えています。このような視点のコメントが続きますので楽しいエンジョイキャンパスライフのネタについては期待していただけません。
筆者のような老境?に入ると若い人たちの行いが『気になって気になって』の状態になってきます。筆者自身のこれまでの経験を踏まえ、大学の有り様・大学選び、学びについての情報を提供して、それらを知りたいひとびとへの一助になればと思っています。また、同業の若いへも私が学んだ知識をお伝えし少しでもお役にたてればとも感じています。

筆者のこれまで
某私立大学職員(6年)→某国立大学職員(出向:文科省所管独法職員(5年))→某大学職員(期限付)勤務中。(この中で海外の大学での実務研修(1年))
経験値の高い分野は、大学の『国際』に関する分野、学部よりも大学院の分野、外部資金(科研費)の取り扱い、一般的な教務・学生・入試分野についても「大学職員の身だしなみ」程度の知識はあるつもりです。

このブログが役にたつ(かもしれない)ひとたち

大学受験に関係するひとたち(受験生とその家族など)
大学の同僚たち
大学を知りたいひとたち


以上のようなひとたちを中心として筆者個人の自由な発想で大学に関するコメントするようにします。なお、高校生のひと・大学の事情をあまり知らないひとには書きぶりが多少難しいかもしれません。そんな時は何度か読み返ししていただければと思います。

ご注意していただきたいこと
本ブログでは、筆者がこれまで経歴と実務経験による専門知識から筆者なり個人的に考える日本の大学のありようについてコメントします(思い出話的になる部分はご笑納願います)。一般的なブログの注意事項になりますが、個人が匿名で暇な時にあくびしながら書く類(たぐい)の内容ですので、情報の不正確さ、エビデンスの不足、考え相違、書きぶりの悪さ・誤りは多々あります。もし、記載内容に関心があれば他の情報源も併せて参考としご自身の責任で検証し活用してください。本ブログの活用で何らかの被害・損害が生じても(またはそう感じられても)補償・賠償を行うことはありませんのであらかじめご注意ください。
このブログを始めるにあたり同様の『大学事務職員』発のブログを拝見しています。方向性は様々に感じますが、それぞれの立場、考え方で意見を発信することは非常に大切だと感じます。関心のある方は本ブログだけなく多くのブログを訪問して日本の大学の現状を考えていただければ、と思います。

ブログのスタイル
ブログでよく用いる何かの元資料を引用してコメントをいれるような表現は多くとりません。基本的には筆者個人のこれまでの経験と知識に基づき個人の自由な発想でその思いを記すようにします。エビデンスは個人的に経験、見聞したものが多いので筆者を信じていただくことになります。なお記載した内容をもっと知りたい人のために参考となるサイト等の情報を紹介することもあります。

追記
文字ばかりであまりにブログが殺風景にならないよう、はてな様公認アフィリエイトと海外の大学を中心とした写真やグルメ記事などを時々いれます。