FOU’s blog

日本の大学 今 未来

中国の大学1 つき合い方を考えてみる 導入編

中国の話ですがまずは全然中国と違う話から。行ってみてきた中国の大学紹介は次の編で。

東欧圏の思い出 バックパッカーやってました

大学の最後の年、筆者はヨーロッパを1月かけてほっつき歩いていました。ヨーロッパに行く一年前の年が、お話しました California の City of Red land というところでの語学研修。今から思い起こせば当時から国際関係には関心があったようです。

その時のヨーロッパほっつき歩きルートは、大韓航空で(アンカレッジ経由)パリ着→西ドイツ→ベルリン(東西ドイツ)→チェコスロバキアオーストリアハンガリーオーストリア→ベルギー→オランダ→フランスで日本帰国のルート。その当時って関空はまだなく国際線を利用するのは伊丹空港、随分昔の話になりました。そして名前の変わった国もたくさん。特にソ連があったころの共産圏諸国ではいろいろ学ぶ?ことができました。また、フランス料理がおいしいと感じだしたのこのあたりから。東欧圏を中心にいろいろ思い出小話を。

Episode① 西ドイツから西ベルリン行きの電車にのると途中の東ドイツ領内はユーレイルパスの適用外で追加料金が必要だったのに未購入。車内での購入は東ドイツマルクが必要でですが準備していなくて困っていると、車掌さんが(可哀そうなアジア人と多分不憫に思ってか)目配せして支払いを許してくれました。怖そうな制服着てても良い人はたくさんいます。

Episode② 西ベルリンから東ベルリンに入るとアジア系人種が非常に少なくなり、タクシーに乗った時、ほんとに片言の英語で『お前はどこから来たんだい?ベトナムか?チャイナか?(北)コリアか?』と。この会話だけで『違うところに来たんだ』ということを感じとることに。さらに英語が通用しないのはハンガリーチェコスロバキア、街頭の表示も理解不能、文字や会話が困難な国は緊張します。

Episode③ 真偽不明の話、共産圏では(良くも悪くも、ダイバーシティ?)特別配慮なく全員均等平等に仕事をさせる(らしい)。そのため若い女性(男性も)がレストラン勤務とかになると容姿端麗がレセプションやウェイターをするというものではない(らしい)。確かに東ベルリンのレストランでは奥の洗い場でお皿洗いをぶつぶつ言いながらやっている女性がとても綺麗で得心しました。

Episode④ 東側へ入ると当時は経済格差で日本人的というかUSDを基本使う者からすると、高級ホテルやレストランがバックパッカー価格になります。高級将校の制服をまとった人たちの会食の隣のテーブルで、きたないデニム姿のアジア人がお食事する姿はかなりシュール。

Episode⑤ チェコスロバキアプラハでは、街中を歩いているとChange Money?の呼びかけが多数。当時は東側通貨の価値は低く闇両替するとかなりの儲けに。お金を持ってそうにない貧乏そうなアジア人の若者にまで声かけてくのが驚き。

Episode⑥ オーストリアのウィーンでは、ハンガリー大使館にいってビザ取得。当時の『歩き方』東欧編に書いているとおりでやったのですが、今考えてみると度胸が据わっているというか、簡単に出す国も出す国だと。ちなみにチェコスロバキアは、西ドイツの当時の首都ボンで大使館で並んでとりました。

Episode⑦ 当時のヨーロッパでは同じようなバックパッカーの日本人によく出会います。現地で出会った早稲田大の学生の話では卒業旅行シーズン、早稲田大だけで1000人はやってきているとのこと(かなり真偽不明)。さすがに東側を旅する人は少ないですが、パリやロンドンは普通の添乗員ツアーできた日本人学生でごった返していました。

東側に入れば、総じて日常品購入の行列はどこでもみられ、街頭の治安警察の多さなど社会制度の相違を直にみることは良い学びになりました。ただ、その当時、東欧で赤い日本のパスポートを見せると何もかもがノーチェック。これがアメリカあたりのパスポートなら途端に厳しくなるなるだろうに、日本は平和国家でやってて良かったです。

ヨーロッパはとりあえず変わりました。中国は?

筆者がそんな東欧圏をぶらついてから少し経った1989年。ベルリンの壁が崩壊して東欧革命がはじまり、ロシアを含めて第二次大戦後スタイルの共産主義国家は(程度の差こそあれ)無くなりました。どこもとりあえずその国の国民が投票して元首を選ぶスタイルになり多くの国がEUにも加盟しています。

その一方アジア。中国は改革開放路線を進め民主化するのかと(多分アメリカあたりも)思っていたら全然。やはり社会制度の異なる国とはいろいろ付き合い方を考慮する必要があると筆者は考えます。日本は、G7やEU諸国と価値観を共有している立場なので、今現在の中国とは価値観の相いれないものが多く生じてきます。そんな中、日中間での大学との付き合い方も注意をする必要を感じます。

冷戦時代のソ連には、地図に載っていない秘密都市があったりして核兵器開発とかを秘密裏に製造され、そこで科学者たちが苛酷に働かせられていたようです。現在、科学技術は当時よりさらに発展し街は華やいではいますが、中国には新疆ウイグル自治区のように外国人が自由に訪問できないところも多くあり、大学や研究機関も何を目指して何をやっているのか説明の足りないところが多数。大学レベルの交流でも国家としての価値観の相違は認識してお付き合いしておく方が良いと思います。

あとは映画談義

若い人には遠い話になってしまいましたが、1980年台、西側諸国が共産圏のソ連(ロシア)や中国を見る目は映画になって現れています。この頃中国では文化大革命が終焉し、四人組裁判、そして天安門事件が起こっています。

Fiar Fox 今でも時々テレビで見ることができる映画。クリント・イーストウッドの活躍はともかくとして、この映画の中で、ソ連の優秀な科学者たちが、無理やり新型戦闘機の製作に集められ挙句の果てにみんな撃たれて殺されてしまうところ。アメリカのアクション映画は、ソ連だったり、中東のテロリストだったり、今現在ではソ連時代ではない今のロシアをターゲットにしてるところが、その時々の時代背景を感じることができると思います。007シリーズランボー、最近ならジョン・ウィックイコライザーあたりもその雰囲気がありますね。とりあえずは悪い奴はやっつけろ的なのでストーリーの筋立てとしては分かりやすいとは感じます。一方で最近のロシアでも、ロシアの立場での第二次世界大戦もので映画作りが盛ん。西側の映画う雰囲気と違う価値観で作っているので斬新に感じます。28 Heroes は、モスクワ間近に迫ったドイツ戦車部隊を、絶対死守を命じられた28人の歩兵部隊の戦い、ドイツ軍と赤軍の寒々として平原で無慈悲な戦闘が印象的。

Hotel California Berlin 西ベルリンで泊まった泊まったホテル。現在、名前は少し変わったよう。泊まった当時はそれほど値段の高いホテルではありませんでした。当時のホテル探しのスタイルは、インターネットはありませんので、街についた当日、駅周りにある Tourist Information で予約してもらうか、直接行って交渉するかでした。

www.insidersberlin.com

https://www.animod.de/hotel/2678-hotel-california-am-kurfuerstendamm

ブダペスト工科経済大学 BUDAPEST UNIVERSITY OF TECHNOLOGY AND ECONOMICS Leader in technical higher education

こちらがバイトの女性の旦那が所属している大学。関西の国立大学へ何らかの資金、プログラムでポジションを得ていたよう。筆者はこの大学を直接知りませんがハンガリーではエリート大学のようです

www.bme.hu

University of Readlands ロスエリアですが内陸に入っていて治安も良好。日本人のイメージするアメリカのミドルタウンの典型のような気持ち良い街。改めまして、語学研修等に行くならお勧めできる場所です。

fou.hatenadiary.jp

Fire Fox